第41話

「この犬は」

 去り行く背を止めるでもなく、社は呟いた。

「半年前、トンネルで亡くなった人の飼い犬だった。それが、友人の村上啓の手に渡り、たまたま兄を訪れていた犬尾唯が連れていた。そして、やっぱり彼女もこの犬を散歩させている途中で亡くなっている」

 キャン。まるでそれを認めるか如くに犬が鳴いた。


「君の、一番最初の飼い主は、イサミさんだったんだ」

 キャン。再び犬が鳴く。

「それは、あのオバサンじゃなくて?」

 アズサが犬の頭を撫でながら言った。

「あの人は、アシダ・イサミ。もしかして、この子の飼い主は」

「下の名前まで覚えてないけれど、多分名字がイサミさんなんだ」


 草刈や銭谷らが言っていたイサミと、社とアズサが思っていたイサミはまったくの別人だった。なにせ彼らは一年前に亡くなっているのだ。

 その時点で話が合わないはずなのに、なまじ犬好きだの、市の職員だのと奇妙な合致があったばかりに混同してしまっていた。

「じゃあもしかして、Mr.イサミが不正を働いてgoldを隠した?」

「その可能性は、なくはない。なにせ確かに金の延べ棒が見つかっている」


 玲夏が見つけたと言っていたインゴット。つい今しがた見つけたように彼女は言ってたが、あれはもしかして、実際一年前にあった出来事だったのではないか。

 つまり彼らは意図的にか偶然か金を見つけてしまって、それで。

 そこで、社は思い出す。五味が見せた過去の幻。足元に違和感を覚えて、草刈が土を掘り返す。五老海の噂話などを交えながら。

 そして、そこからの記憶がひどく曖昧だ。何かが吹き出るような音がして、そして――。


「そうだ、アレはあるかもわからない袋田の宝の呪いなんかじゃない」

 社はハッとしたように顔を上げた。何か空気が漏れる音。それから、遠のいていく意識。

 あれは、金を隠した人間が仕掛けた罠だったのではないか?

「じゃあ、Mr.イサミが悪いことをして金を隠していた?」

「そういうことなんじゃないかな。そして、それを見つけた人間が、死ぬように罠を仕掛けた」

 くうん、と悲し気に犬が――プティが鳴いた。まるで社らの会話がわかるかのようだった。


「もしかして、そのせいで、レイカサンたちは?」

 アズサが青ざめた表情で言った。

「彼女たちは、Mr.イサミに殺されたの?」

「可能性はあると思う」

 彼は大切な金をここに隠した。うかつに人が近寄らない、いわくつきのこのトンネルの先に。けれどそれでも、好奇心からやってくる奴らはいる。変わらず開発に躍起になっている市が、調査にくるかもしれない。

 それが見つかってしまったら大変だ、もし見つけてしまったら、そいつらを。


「彼は、よく犬を連れて散歩にこの辺りにきていたらしい」

 社は、アズサに抱かれた犬を見やる。もしかしたらこの子も、ここに来たことがあるのかもしれない。けれどそれは。

「きっと散歩が目的なんじゃなくて、金が無事かを確かめに来ていたんだ」


 そして、ある日彼とこの犬は見つける。罠にかかった人々の死体を。一年前、調査に来た業者たち。呪いのせいで死んだと見せたいが、警察は死因は呪いと言うはずがない。

 万一検死でもされて、死因——恐らくだが、毒の類いではなかろうか――が特定でもされたら困る。だから彼は遺体を隠して、彼らが姿をくらましたと見せかけたのではないか。


「けれど、その人も死んでいるんでしょう?」

 アズサが何かを考える顔つきで呟いた。そうだ、結局彼も死んでしまっている。あのいわくつきのトンネルで、まるで犬に噛み殺されたようだったと。

 まるで、この山中で見つけた人々、つまり五老海が遺棄した遺体と同じような姿で。

「この子がやったっていうの?」

 変わらずアズサの腕の中に納まったままのポメラニアンを軽く撫で、アズサが言う。

「とても、そんな風には見えないわ」


「もちろん、そうじゃないと思う。実際遺体の脇で死んでいたのはダルメシアンだった。けれど、その犬も人を噛み殺してなんかいない」

「誰かがそう装ってMr.イサミを殺した?」

「そう、なんじゃないかな」

「なぜ?」

「理由なんていくらでも考えられる。金を奪おうとしたとか、仲たがいをしたとか」

 金は富の象徴でもあり、呪いを象るものでもある。亀井社長の言った事は正しい。それをめぐって人々が血を流す。その血と欲をすすって、さらに金は血を求める。

 大きすぎる富は、呪いだ。


「じゃあMr.クサカリやMr.ゼニヤみたいに、金の噂を聞いた人間が殺した?」

「いや、それよりも」

 どこに隠したかを知っている人間を殺してしまうのは得策とは思えない。それより可能性がありそうなのは。

「企業から情報を盗むのは、一人で出来るものなのか?」

 自問するように社は呟いた。

「パソコンがたくさんあれば出来るんじゃない?」

 わからないけど、と首を傾げながらアズサは言う。

「一人で全部やった方が、バレる可能性は低いと思うけど」

「でも、五老海さんのまわりの評判を聞く限り、穏やかそうな人に思えた」


 華が言っていた。犬好きで犬にばっかり構ってるからお嫁さんが来ないのだと。

 確かに、五老海は偏屈と言ったらそうなのかもしれない。この犬だって、金の在処を確認するためのダシだったのかもしれない。

 けれど周りが犬好きと認めるほど、この子を可愛がっていたのは確かなはずだ。それに、お見合いしろだのと余計なおせっかいを焼かれるくらいには、近所付き合いはあったのだろう。その人物と、犯罪者というイメージがうまく結びつかない。


「しかも彼は市の職員、公務員だ。お堅く生きていきたいような職の人が、ハッキングなんて」

 そこまで言いかけて、似たようなことを誰かが言っていたのを思い出す。確か、あれは。

 ああいうやつらは、お堅く生きたくて公務員になるんスよ、そんな馬鹿なこと。それに、あいつは。


 あいつは?なんと続けるつもりだったんだろう。このセリフを放ったのは、神成だ。

 神成は、五老海のことを知っていたのではないか。


「……五老海は、データを売りつけることまですべて一人でやっていた?公務員の通常の仕事をこなしてから、それらも全部一人でやっていたと?」

 そんなこと、とうてい社にはできそうにもなかった。八時間労働だけでもしんどいのに、休みの日まで副業(五老海の場合は犯罪だが)をしたいと思わない。

「仲間がいたってことね」

 アズサがうなずいた。

「そいつが、Mr.イサミを殺した。……それは、誰?」

「考えられるのは、村上啓。五老海の友人だ」

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