第32話
「こりゃだめだ、一度小屋に戻った方がいいな」
空を見上げ、呟いたのは森だった。うっそうと茂る木々の合間から見る空はいつの間にか曇っていて、そこからぽつぽつと雨粒が落ちてくる。
「冷てっ」
雨粒が社の頬に落ちた。濡らしてはなるまいと、慌てて社は背中の風呂敷を抱え込む。
「けっこう雨脚が早そうですね」
やはり雨で濡れたのだろう、メガネを拭きながら銭谷も言う。
「このままここで夜を過ごすなら、雨に濡れるとまずい。雨宿りだけなら、そこの観音堂でも出来ますが」
ちら、と銭谷がお堂へと視線を向ける。けれどあそこは全員が休むには狭すぎるし、なにより。
「あまり、死体や血の跡と一緒に夜を過ごしたくはないわな」
森の一言で却下となった。
「雨が小降りのうちに急ごう」
ほら早く、と玲夏も急き立てる。もちろん反対意見などない、もとより戻るつもりであった一同はくるりと踵を返す。だが。
「そういや、あの小さいおっさんはどこ行ったんスか?」
だるそうに声を上げたのは神成だった。
「なんか、いない気がするんすけど」
「え?」
指摘され、初めて社は気が付いた。そういえばあの騒々しい声がさっきから全然しないじゃないか。あの、キイキイと喚く鼠のような、草刈の声が。
「まさか、この期に及んでまだ金を探しにいったんじゃないだろうな」
アイツは馬鹿なのか、そう森が嘆くのに、
「あり得なくはないですね」
と銭谷が返した。
「あの人、本当にお金に困ってたみたいですから。その、私は別にさっきあの人が言ったような、やましいことは何もないんです」
もうこれ以上拭くこともないだろうに、執拗にメガネを拭きながら彼は続けた。
「面白そうな話だな、と思いはしました。個人情報を盗む悪党が、金塊を隠している。まるで冒険話だ。それで、どうせ調査ついでに、一緒に探すと約束してしまったのが運の尽きで」
ははは、と彼は乾いた笑い声を立てた。どこまでが本当かはわからない。草刈の推測はただの邪推なのかもしれない。けれど、さっきの慌てぶりと今の動揺ぶりは気にかかる。しかし今はそれよりも。
「まあ、もうどうせ金なんてのんきに探してる場合じゃねえんだ」
言い終わる前に、森が歩き出した。今まで彼らが歩いてきた道。ハイキングコース近くの、小屋へと戻る道の方へ。
「悪いが、もうこれ以上あの人にはついてけねえ。……下手したら、今度はあの人がホトケさんになっちまうかもだが」
悪いがあいつより自分の身がかわいいもんでね、と森は、こちらから顔をそむけるように呟いた。何も彼だって、もちろん社だって、みすみす草刈を見捨てるのは気が引けた。けれど、こうも立て続けに遺体を見つけてしまっては。
「今ここで死ぬわけには行かねえんだ。少なくとも、お嬢を無事にここから出すまでは」
「何言ってんだよ、みんな無事に出られるに決まってるだろ」
空元気に玲夏がにぎやかして、やはり森の後へと付いて行く。神成はもとより草刈を探すつもりなどないらしく、さっさと歩いて行ってしまった。
月城跡を通り、険しい道を下る。地面が濡れて、ひどく歩きづらい。途中何度か転んでしまって、全身泥だらけだ。
やっぱりこんなとこ、スーツでなんか来るんじゃなかった。何度目かわからない後悔が押し寄せる。それは、多分社なんかよりこの人の方が大きそうだけれど。
「草刈さんには申し訳ないですが、私も降ろさせてもらいます」
銭谷の高そうなスーツもやはり泥まみれだった。この人だって、こんなつもりでここに来たわけじゃないのだろう。
銭谷がぽそぽそと続けた。
「だってあの人、おかしいですよ。最初の方こそ、私と同じで子供の宝探しみたいなノリだったのに。それが、どんどんあるかもわからない金に執着して」
はあ、と彼はため息をついた。どうだろう、社から見れば、銭谷だって相当金探しにのめり込んでいたように見える。じゃなきゃ、この格好で山中に分け入ったりしないだろう。
けれど、急に――まるで憑き物が落ちたかのように、諦めてしまった。
「草刈さん、何かに憑りつかれたみたいじゃないですか」
銭谷がぼやいた。憑りつかれた?本人さえ気づかないうちに、何かに。
「それだ!」
とたん社は叫んだ。そうだ、なんで気が付かなかったんだ!
「きっと、草刈さんに良くないものが憑りついてたんだ」
嬉々として声を上げる社に、先を行く一同が歩を止めた。
「でも、生きてる人間に入って同化されると、そこに霊がいるのか分かりづらい――少なくとも僕は。アズサちゃんもそうだろ?」
急に話を振られて、困惑したようにアズサが返した。
「……そうね、霊が身体から飛び出してでもくれないと。それに、その人のことを元から良く知ってないと、変かも気づきにくい」
彼女の言う通りだ。社はアズサの目線を受けて、大きくうなずいた。なにしろ社は普段の草刈の姿など知らないのだ。それは先発隊のメンバーだって同じはずで。
「霊が、生きてる人間に憑りついて、さもその人みたいに振舞ってた、ってことなんスか?」
怪訝そうに神成が問う。
「あり得なくはない。そりゃあ、露骨に変なこと、例えば生肉を食べ始めるとか、ブリッヂしながら階段を下りてきたりしたら気が付くだろうけど」
けれど草刈は、ごく自然な、そのあたりによく居る口うるさいおじさんにしか見えなかった。
「じゃあ一連の事件は草刈さん、に憑りついた霊のせいだっていうのか?」
とりあえず話は戻りながら、と森に促され、一同は深い森を歩いていく。木の葉が屋根代わりになってくれているが、それでも雨粒は容赦なく社らの身体を濡らしていく。それを気にしたそぶりも見せずに森がうなった。
「例えば、公民館に入って消え、違う場所で死体で見つかった光もか?」
「あのとき草刈さんも一緒だった。彼から悪霊が抜け出して、公民館に入った光さんを神隠しに合わせたとか」
そうに違いないとばかりに社が言うのに対し、
「でもそれなら、ムラカミケイとタカアキが入れ替わったのは?それも、Mr.クサカリに憑りついた霊の仕業だって言うの?」
きれいな金の眉を寄せて、アズサが疑問を呈した。
「それだと今、タカアキはどうしてるのかしら。もしタカアキも悪霊の手にかかって死んでるとしたら、なぜ死体を取り換えるような手間をわざわざ霊がしたの?」
「それは」
立て板に水に言われ、社は言葉に詰まる。確かに幽霊が犯人ならば何でもアリだろう。そもそもが、この世の理から外れた存在だ。とはいえ、ただ死んだ人間が霊になっただけで、万能に色々と出来るわけでもない。よほど強力な、妖怪とか悪魔とか、そんなものでもここにはいるのだろうか。いや、でもそれ以前に。
「その悪いものがただ人間を殺したいだけなら、わざわざ別の場所に遺体を移動させたり、遺体を入れ替えたりなんてしないと思うの」
そういうアズサの意見は尤もで。
「霊が犯人だとしたら、手が込みすぎてる。そういうことか?」
玲夏がアズサの後を継いだ。
「ったく、わけがわかんないよなあ。犬だの、実は生きているかもしれない人だの、不審な五味とかイサミとか。怪しい奴ばっかりで」
それは社も同意せざるを得ない。怪しい奴らが多すぎて、まるでB級パニック映画みたいだ。
「こんな中で、生きてここを出られるのか……」
絶望的な声で銭谷が呻いた。その言葉に引きずられるように、一同はうなだれる。
「大丈夫だよ、なんとかなるって」
玲夏が励ますように口を開いた。
「ほら、さっきのすごかったじゃん、あんたのさ。アレは何だったんだ?」
玲夏がアズサを見て笑った。さっきの。五味に向けた、不思議な力。
それは社も知りたいことだった。彼女は何者なんだ?
一同の視線を受け、迷惑そうに顔をしかめてから一言だけ彼女は呟いた。
「PK」
「ぴーけー?」
おうむ返しに玲夏が繰り返す。その後に森が続いた。
「それって、サッカーのか?」
一般的に思い浮かべるのはそれかもしれない。社だってそう思った。
けれど僕はそれをどこかで見た記憶がある。社は必死に思い出す。見たと言っても、確か本の中だ。あれは、やっぱり華ちゃんに勧められて、結局怖くて途中までしか読めなかったホラーミステリー。もともとティーンズ向けの話なんだから大丈夫と言われたけれど、僕の幽霊嫌いを舐めないでほしい。
その中で、説明があった気がする。PK。ええと、サイコキネシス。念動力。
「えっ超能力者なのか!?」
ようやく思い至って、思わず声をあげた。
「ほ、本当に?」
「普通の人が出来ないことが出来る。それなら、ヤシロだってそうなんじゃないの?」
逆に言い返され、社は混乱する。そもそも超能力で除霊って、どういうことだ?
とはいえ自分だって、どうやって霊を祓っているのかわからない。
祝詞を唱えはする。なら神様が力を貸してくれているのかと言われると、そうとも言い切れない。社の祝詞が効くのは、多宗教ゆえに無宗教の日本人だけだ(外国人の幽霊に遭ったこともないし)。
だからどちらかというと、相手が神様を信じているかどうかにかかっているんじゃないかと思っている。信じていれば、霊は安心して、未練を捨ててこの世から去っていく。
この僕の霊を祓う手段は何と呼べばいいのだろう。これもある種の超能力、なのか。
けれど僕は、風を呼ぶことなんてできないし。
「とにかくすごいじゃん。この子がいれば、きっと大丈夫だよ」
キラキラとした目で玲夏がアズサを見た。社は肩身の狭さを覚える。すみません、僕は一部の日本人の幽霊しか祓えなくって。そんなんだから、祓えなかった霊の言うことを聞く羽目になるのだ。やれ自分を殺した犯人を捜せだの、犬を見つけろだの。
けれど、彼女が今までになく頼もしく見えるのは確かだった。
超能力。漫画とかだとよく見るけど、まさか本当にあるなんて。そりゃあ、亀井社長が期待の新人と判を押すのもうなずける。
というか、これなら僕はもういらないんじゃ。別に僕が居なくても、お祓い課は彼女一人で十分なのでは。とはいえ、まだ彼女は高校生なんだし。あまり、無理をさせては。
「だからさ、きっと大丈夫だよ」
再び玲夏が言った。今度のは、自分に言い聞かせているように聞こえた。
「大丈夫、アタシたちは。きっと――」
その声が突然途切れた。
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