第10話

 これできっと大丈夫。通話を切って、社は早い鼓動をたしなめる。

 あとは華と、亀井社長らに任せるしかないだろう。だってどうやっても、人の力でどうにかできるものじゃない。


 あるいは、反対側の土砂崩れ。やけに仕事の早い亀井と市とが、あっという間に通れるようにしてくれているかもしれない。別に閉じ込められたわけじゃない。通れる道が塞がってるだけで、里に出る方法なんていくらでも。


 隙あれば萎縮しようとする気持ちを鼓舞して、社は顔を上げた。だが生憎とその視界の隅、廃村へと向かう坂道の途中に不自然に揺れる草を見つけてしまった。

 まだ何かあるのか?

 そうだ、怖いのは何も幽霊だけじゃない、こんな真昼間なら尚更。

 ヒトの手が入らなくなった山。まさかとは思うが、熊とか出て来やしないよな?


 同じく気づいたのか、アズサが静かにポケットに手を伸ばす。

 あんなおもちゃでも、野生動物相手なら脅しくらいにはなるだろう。そう思いながら、脱力するテツヤを背に庇った時だった。

「今のは?」


 聞こえたのはヒトの声だった。社は緊張で見開いていた目を軽く瞑る。

 それは若い女のもののようだった。こんなところに女性が?まさかまた幽霊の類じゃないだろうな。あの女の霊が――。


 けれどその声は少し訛っていて、あの儚げな声と比べてずいぶんと勇ましかった。

 声とともにそいつが姿を現した。くりくりと、大きな瞳が良く動いている。化粧気はなかったが、目鼻立ちのクッキリしたきれいな人だった。これで瀟洒な格好でもしていたらさぞ多くの人の目を惹いていただろうに、着ているのは味気ないグレーのつなぎ。

 その身体はすらりと高く、中性的にすら見える。それはやけに明るい色をした、ショートヘアーのせいもあったかもしれない。


 その人物はこれから吸うつもりだったのだろう、指先に挟んでいたタバコをポロリと落とすと、

「なんだ、こりゃ」

 あっけにとられた様子でポカンと口を開けた。

「トンネルが――。まさか、アンタたちが?」


「そんなわけないじゃない」

 相手が人間だったことに安心したのか、アズサがポケットから手を出した。同じく社も緊張をほどく。そうだ、ここにいるのは何も僕たちだけじゃないんだった。社は思い出す。

 確か、先に市が手配した業者の人たちが来てるって。


「おい、何があった」

 さらに別の声が響いた。野太い声。こちらも東京ではあまり耳にしないイントネーション。その声を耳に留めたのか、彼女は身を縮こませた。

「げ、見つかっちゃった」


「誰?」

 怪訝そうにアズサが問う。

「それはこっちのセリフだよ。アンタたちこそ……って」

 いや、それよりショーコインメツしないと、と慌てた様子で落としたタバコを踏みにじりながらぼやいた。

「森のおっさんが……あーあ」


 奥の方から現れた人影が、見る見るうちに大きくなる。目の前の人物と同じ、グレーのつなぎを着た体格のいい男だった。

 これが、森のおっさん?名前から想像するに、木こりの妖精みたいなのを想像していた社は狼狽える。白髪交じりの頭に、険しい顔。背だってやたら高くて、百九十はあるんじゃなかろうか。


 その引き締まった身体の肩を怒らせて、こちらに突き進んでくる様は〈森のおっさん〉というより〈組のおやっさん〉だ。

 そのおやっさん、じゃなくておっさんとやらが、彼女が慌てて証拠隠滅とやらをしたあたりに鋭い目を向けた。


「お嬢!またサボってタバコ吸おうとしてただろ」

「してないって」

 お嬢と呼ばれた彼女は、逃げるように坂を下ると社の後ろに回り込んだ。いやいやいや。お嬢って。

 社は内心冷や汗をかく。やっぱり、ヤクザか何かなんじゃないのか、この人たち。でも、なんでこんなところに。


「こんな山の中で火なんかダメに決まってんだろ!」

 ひび割れた銅鑼みたいな大声を上げ、ずんずんと大男が坂を下りてくる。

「お前のせいか?爆発音みたいなのが聞こえたぞ」

「あたしのわけねぇだろ!てかそもそも火なんか着かなかったし」

「吸おうとはしてたんじゃねえか。年頃の女なんだ、タバコなんて吸わんでしとやかにしてろっ!」


 あっと言う間に彼女の傍までやってくると、彼はそう怒鳴って拳を握った。関係ないのに、思わず社も身をすくめる。さもその拳骨をお嬢とやらに振り上げるのかと思いきや、深く息を吐き、思い直したように男がこちらに怪訝そうに目をやった。そして、さらにその背景に目をやって。


「なんじゃ、こりゃあ」

 彼は絶句してしまった。

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