第26話 メリナ様の大切なもの



「もしかして何か思い残しが?」

「いえ、この件とは少しズレるのですが」


 声のトーンを落とした彼女が気になって目で続きを促せば、僅かな躊躇の後にチラリとこちらを窺いながら口を開いてくる。


「実はその、以前旦那様からあるものを取り上げられてしまって」

「あるものとは?」

「古い髪飾りです。祖母の形見で、嫁ぐ時に母から譲り受けたものでした。とても大切にしていたのですが、『そのような古ぼけたもの、侯爵夫人には相応しくない』といわれてしまい……」


 寂しげに笑いながら「外に付けて言っていた訳でもありませんし、そもそもその後すぐに今の状態になってしまいましたから、誰かに見せる機会などまるでなかったのですけどね」と彼女は言う。


 おそらく彼女も自覚しているとは思うけど、間違いなくそれは侯爵からの嫌がらせだろう。

 メリナ様の一体何が気にくわなかったのか。


 もしかして、金銭的にメリナ様の家が必要不可欠だという事が、まるで彼女に立場的優位を取られているようで嫌だったのかもしれない。

 少しそんな風に思ったけど、あまり憶測を口にするのはよくない。


 そうでなくても、彼女はまだもう少し侯爵の支配下にいなければならないのだ。

 そんな相手に今以上の負の感情を抱かせたところで、しんどくなる事はあってもおそらく状況が好転する事はないだろうし。

 


 しかし、大切な祖母の形見。

 寂しそうな彼女を見てしまうと、なんとか取り戻せないものかと思ってしまうのが人情だ。


「どんな髪飾りなのですか?」

「え? えぇと、銀の鳥の髪飾りで、目にはサファイアの石が――」


 ハッとした。


 なにも彼女の髪飾りに心当たりがあったからではない。

 嗅覚が部屋への人の接近を感知したからだ。


「メリナ様」


 彼女の言葉を遮って、真面目な顔で振り向いた。


「そろそろお暇せねばなりません。ここにいる事がバレてはまずいので」

「エリー様」

「えぇ、誰か来た」


 今まで空気だったロンが、その一言でスピーディーに行動に出る。


 ワゴンを引きながら一直線に窓まで行き、開け放つ。

 幸いにもここは一階だ。

 外は屋敷の裏側で、人通りはまったく無い。


「グレンディース侯爵夫人、ご無礼をお許しください」


 彼は早口にそう言うと、窓を飛び越えて外に出た。

 私に手を差し伸べる彼の下に、私も小走りで寄る。


「毎回慌ただしくて申し訳ありません。今度はもっとゆっくりとお話したいところです」


 私がそう言いながら窓をピョンッと飛び越え、振り返る。

 少し驚いた顔をした彼女が、ちょっと可笑しそうに笑った。


「そうですね。次はゆっくりと腰を据えて」


 私も二ッと笑い返して、窓を閉め下にしゃがみ込んだ。



 ノックもなく、扉が開く。

 聞こえてきたのは素っ気ないメイドの「食事です」という言葉と、ガチャガチャという品のない食器の音だ。


「使用人にあるまじき振る舞いです」


 静かにロンが呟いた。

 珍しく怒っている様子の彼に私は目を閉じ「そうね」と言って、彼とコッソリとこの場を後にした。


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