第3話 指示書はすべてを予測している



 彼女が何を――いや、気にしているのか、例え前情報がなかったとしても、多分私は気付けただろう。


 おそらく今日、今だけではない。

 彼女はきっとずっとこうして、周りからの監視の目に怯えながら暮らしてきたのだろう。


 彼女の一挙手一投足から透けて見える日常に、私は少し目を落とした。



“屋敷への来訪時、取次には必ず『用事がある』と言う事。”


 そんな指示書の内容を思い出す。


 私は今まで何故指示書にそのような事が書かれているのか、全く分からなかったけど、今なら理解できる。


 敵を欺くには味方から。

 厳密にはメリナ様は味方ではなく張本人な訳だけど、つまりは似たような話だろう。


「私が今日用事があるのは貴方ですよ、メリナ様」

「え……?」


 彼女が思わずといった感じで目を見張った。

 同時に、カチャンという小さな音が鳴る。


 私の執事ロンなら絶対にこういう時、動揺で茶器を鳴らしたりはしない。

 仕事への集中力が散漫だと思いながらメリナ様の後ろのメイドに目をやれば、ティーポットを手に取った彼女が、苦虫でもかみつぶしたかのようなような表情で私の事を見てきていた。


 まるで「騙された」とでも言いたげだけど、そんな顔をされる筋合いはない。


 指示書のメモ書きにはこう書かれていた。


“きっと当主も第二夫人も不在の屋敷で、使用人たちは「面会の約束なんてディアナ様から聞いていなかったけど、私が侯爵家と実質的に並ぶ権力持ち・辺境伯家に貰われた令嬢だから、そのまま追い返せば彼らに怒られる。ならばメリナに頭でも下げさせて対応させればいい」と考える”


 おそらくは最初から、使用人たちが「私がメリナ様の客人だ」とは最初から思わないと分かっていたのだろう。


 彼女に客人が来るはずないと高をくくっていたのか、それとも私と彼女の間に交友関係がないと知っていたからなのか。

 どちらが理由かは分からないけど、結局この屋敷の人たちは、メリナ様を下に見ているのだ。


 私も過去に実際に、自身のメイドから似たような扱いを受けた事がある。

 少々鈍感な私にも分かるように、わざわざ一から十まで説明付きで教えてくれたメイドがいた。

 だから、残念ながらそういう人たちが存在する事を、私はちゃんと知っている。



 世界は思ったほど、万人に対して優しくはない。


 でも、そのための私だ。

 そのための組織だ。

 そのための今だ。

 だから。


 私は攻勢に出るべく、なるべくにこやかさを取り繕って口を開いた。


「今日は、ちょっとしたご相談があってきたのですが……」


 言葉を途中で止めたのは、メイドに「意図を察して二人にしろ」と暗に指示するためだった。

 

 しかし彼女は動こうとしない。

 おそらく無能なメイドだから、ではない。


 彼女は有能なのだろう。

 だからこそ、ここから動かないのだ。


 居座って私たちの話を聞いて、後で外出中の二人に報告をする。

 それがメリナ様の監視者として、彼女が今最優先ですべきことなのだろうから。



 でも、そんな彼女の感情も、指示書はすべて先回り済みだ。


 門のところで、面会者の名前をぼやかすように。

 屋敷の中で、監視者の目に私も常に気を配り、不信を気取られないように。


 そんな指示をした手紙の主は、もちろん今の状況を打開する術も用意している。




「……? 何でしょうか」


 外が騒がしくなったタイミングで、私はそう口を開いた。


 頑張って『話を邪魔された不快感』を演出すれば、メリナ様も――こちらは本当に不安げに――「どうしたのでしょう」と眉をハの字にする。


 これで準備は整った。


「そこの貴女、ちょっと様子を見てきてください」

「私……でしょうか」

「貴女以外に誰がいると?」


 辺境伯令嬢の傲慢さを一生懸命取り繕って、真っ向から彼女に言い返す。


 あからさまに嫌そうな顔をしたのは、主人より任されている裏の仕事ができなくなる事への抵抗感か、それともメリナ様自分が下に見ている人間の客人に従う事を本能的に嫌ったからか。

 どちらにしても、好感を持つ事はできない。


 普通メイドの職分に則れば、すぐにでも「他の者にすぐに見に行かせます」と言って動いて然るべきだろう。

 にも拘らず未だどうするか決めあぐねて動こうとしない目の前のメイドに、私はひるまず更に一歩前に踏み出す。


「だって今、侯爵様はいらっしゃらないのでしょう? もし何か物騒な事でもあったら大変な事ではないかしら、ヴィヴィ」

「な、何故私の名前を……?」

「先程からずっと外の方が、その名を呼んでいます。しきりに『第一夫人のメイドだからと上から目線で』『金返せ』と言っているので、貴女の事なのではないかと」


 サァーッと顔を青ざめた彼女に、私はニコリと微笑みながら「私、結構耳がいいのです」と言う。


 は言外に、彼女が『他者から「自分は侯爵家のメイドだ」と言ったうえでお金を借りている事実』を、現在進行形で振り撒いている。


 本来お金を借りて返していないという事実は、間違いなく醜聞だ。

 普通は誰にも言わないし、知られたくもない事でもある筈である。


 その上侯爵家の家の前で騒がれれば、醜聞はこのメイド自身だけには止まらない。

 おそらく彼女は今の自身の危うさを、正しく理解したのだろう。


「す、すぐに代わりの者をこちらに手配いたしますので!」


 隠しきれない焦りと動揺が、早口に告げて監視対象を置いたまま部屋から出ていったメイドから、容易に察っする事ができた。




 二人だけになった室内で、私は「ハァーッ」と深くため息を吐く。


 第一関門を突破できた。

 人前だという事も一瞬忘れ、ソファーの背もたれに体重をドサッと預ける。


「だ、大丈夫ですか?」


 脱力してしまった私に、オロオロとした声が掛けられる。


「えぇ、ありがとうございます。大丈夫です。ちょっと大きくのしかかっていた『あまりにも完璧な計画に対するプレッシャー』から急に解放されたもので……」


 ロンの言葉ではないけど、私自身、ずっと「周りをうまく欺けているだろうか」とハラハラしっぱなしだったのだ。

 どうにかなれば、こうもなる。



 とりあえず、うまく追い払えてよかった。

 が、いつまでも悠長にしてはいられない。


“二人きりになれる時間的猶予は少ない”


 指示書のそんな言葉を思い出し、私はグイッと体を起こす。


「メリナ様、時間がありませんので単刀直入に聞きます」


 すぐにあのメイドの代わりが来るだろう。

 その前に、彼女に言うべき事がある。

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