第4話 貴女が望めば、我々が
「今のこの生活から脱したいとは思いませんか?」
「えっ……?」
「家格が一つ上の家に嫁がされたのはいいものの、それはあくまでも侯爵家とのパイプが欲しかったご実家の意向に逆らえなかったから。侯爵も、簡単に言えば『商売がうまくいっている貴方の生家と繋がる事に金銭的なメリットを感じたから』でしかない。すぐに最愛の人を第二夫人に迎え、そちらばかりを優遇する一方で、大切な金づるを逃がさないために、貴女を実質軟禁している。第三者に現状を漏らされないためにと、監視の目もついている……」
「何故」
前情報をそのまま早口に羅列すると、彼女は驚きと畏怖の籠った声を上げた。
おそらく『何故そんな事を知っているのか』と言いたいのだろう。
あまりにも自分の現状を的確に言い当てる私が……いや、外部に現状がバレている事実が怖いのだろう。
もしこれが彼らにバレてしまったら、外に漏らしただろうと責められる。自分はそんな事、まったくしていないのに。
そう思っているかもしれない。
彼女がそう思うのは当たり前だ。
そもそも彼女にとって、私は『顔と名前は知っていても、事前の約束もなしに屋敷にまで訪れるような仲ではない』人間だ。
わざわざ自分を訪ねてきてこのような事まで言われ、怖くない訳がない。
分かるよ、その気持ち。
私も最初はそうだった。
でもこれは、おそらく今暗闇の中にいるだろう彼女への、光の道筋だ。
そう教えたい。
だからなるべく朗らかな笑みを心掛けながら言葉を続ける。
「大丈夫、私に貴女を害する意図はありません。直接はもちろん間接的にも、貴女の立場がこれ以上悪くなるような事をするつもりはないのです。私は今日が、二人が屋敷に不在だという事を分かっていてここに来ました。貴女の監視が一人だけだという事も、彼女があの騒ぎに慌てて門扉に向かう事も、すべて想定通り……と言えば、少しは分かってもらえるでしょうか」
“少ない時間で彼女の信頼を少しでも多く得るために、彼女に実績を示す”
これもまた指示書の通りの言葉だ。
こうしてわざわざ回りくどく二人きりになれる時間を作ったのは、彼女が後で妙な勘繰りや突き上げを受けないようにするための布石。
先程も、本当は外で騒いでいる人の声なんて、一言も判読できなかった。
私がいいのは耳ではない。
あのメイドの裏事情は、単に最初から知っていただけだ。
情報を、彼女をうまくあちらにおびき寄せるためのものだった。
「メリナ様、今日は貴女に一つだけ。これだけ伝えにきたのです」
そう言って、私はまだ困惑顔の彼女を真っ直ぐ見つめ、聞き間違いがないようにハッキリとこう告げる。
「――もし貴女が少しでも現状を打破したいとお考えならば、我々が貴女をここから救い出します。あるいは裏で、もしくは表で起きている物事を調べ、証拠を得るだけの伝手と能力を保有しています。それを貴女の解放を促すための道筋に使うことが可能です。必ず貴女を助けます。よりよい未来をご用意します」
それだけの地力が、組織には存在する。
彼女を平穏な生活にいざなう事ができる。
しかし組織は、本人の意に沿わない事はしない主義だ。
本人が「助け出してほしい」という意思表示をしない限り、それ以上の行動を起こさない決まりになっている。
今日の私は、伝言係。
彼女の許可さえ得られれば、必ず救い出せる算段が既に立っている。
そんな組織の内情を、彼女に知らせるための役だ。
今彼女の顔には、驚き半分、戸惑い半分の表情が浮かんでいる。
今きっと、色々な疑問や不安を抱いているだろう。
自分はどう思っているのか。
エリー・クレメントは信じていい相手なのか。
救ってもらって、その後どうなるのだろうか。
私もかつて通った道だ。
彼女の気持ちはよく分かる。
しかし時間の猶予はない。
これ以上の説明も説得もする暇はなく、彼女もきっとすぐに答えは出せないだろう。
扉の外の廊下の先からこちらに近づいてきているにおいは、ほんのりとした柑橘の香り。
先程までここにいたあの若いメイドのものとは違うけど、私はソレを知っている。
「メリナ様、そろそろ時間切れのようです」
そう言って、私は彼女を真剣に見つめる。
「私が何者で何が目的なのか、すべてを話すにはあまりに時間が足りません。しかし組織の決まり事で、貴女からの意思表示がなければ、私はこれ以上その機会を設ける事さえ許されない身なのです。ですから」
これ以上本人の意思に反して動くのは、彼女の現状に悪影響を与える可能性がある。
だからここからは、彼女の勇気が必要になる。
「もし少しでもこの話に興味を持っていただけたなら、いつでも構いません。私宛に、一言『先日のお話、お断りいたします』という旨を書いた手紙をお送りください。きっと周りの目を欺いて、貴女の意思が正しく私にまで届くでしょう」
ほんの少しの興味でいい。
とりあえず話を聞きたいだけでもいい。
ぜひ意思表示をしてほしい。
そう伝えきったところで、扉がコンコンとノックされた。
扉が開き、メイドが一人部屋へと入ってくる。
やっぱり、と思った。
見覚えがある。
そこにいたのは私をここまで案内してきた、あの初老のメイドだった。
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