第二節:狩猟会は、包囲されている
第39話 狩猟会
ゆっくりと目を開けると、カーテンが開かれた窓から日の光が差し込んできていた。
切り取られた空は、快晴。
あの日から今日でちょうど十日。
王城主催の狩猟会日和であり、
「エリー様、今日ですね」
怪我をきちんと治療して一昨日からまた執事業に復帰しているロンが言う。
大事を取って昨日まではしていた包帯も、今日はすっかり取れていた。
私が「もう大丈夫なの?」と尋ねれば、「えぇ、精々がタンコブ程度の痛みです」と彼は言う。
相変わらずのすまし顔、いつもの彼だ。
彼が怪我をしたあの日、一度屋敷に戻り組織に慣れない暗号化手紙を書くとすぐに、私は治療院へと向かった。
彼に宛がわれた部屋に行くと既に彼は意識を取り戻しており、私の姿を見るとホッとしたような表情になった。
「ロン、あの、私……」
私のせいで彼を怪我させた。
危険にさらしてしまった。
その事実をどんな言葉で謝罪すればいいか分からなくて、思わず言葉に詰まってしまう。
そんな私の内心を察してか、彼は思わずと言った感じで苦笑した。
「怪我をしたのがエリー様でなくてよかったんですよ。でなければ、間違いなく旦那様から怒られていたでしょうしね。だからそんな泣きそうな顔しないでください」
「うぅう、でもぉー……」
安堵とこんな事になったのに茶化してくれようとする彼の優しさに、涙腺が崩壊する。
すると彼は珍しくも声に出しながら笑い「しまった、逆効果でしたか」なんて言った。
男爵家時代、私の側付きメイドは小さい頃からの年上の幼馴染だった。
有無を言わせずダメな事はダメだと言うような人だったから、私はおんぶにだっこだった。
子爵家時代は、言わずもがな。
レンリーア様曰く「使用人は仕事を放棄した」状態で、逆に害してくるような人だった。
しかし今、私のダメなところを窘めてくれるところは男爵家側付きと変わらないけど、ロンはより執事としての仕事に忠実な人である。
苦言は呈しながらも、最終判断はいつも私にゆだねてくれる。
それがおそらく貴族と使用人の正しい在り方なのだろう。
だからこそ私は、自分の決定で彼を振り回してしまう事を正しく認識しなければならない。
今までその手の自覚が芽生えなかったのならば、きっと今が変わる時なのだと思う。
「ねぇロン、私、ロンに恥ずかしくない主人になるわ」
「そうしてください」
こういう時、「今でも十分だ」なんていうお世辞を言わないところが、何とも彼らしいなと思う。
でも彼の優しげな目が、私に「信じています」と言ってくれているような気がした。
ならば私は彼の期待に応えるだけ。
そして私の我が儘を許してくれた彼のためにも、今日を絶対に無駄にはしない。
必ずメリナ様を助けるのだ。
私はそう、心に誓った。
「今日が正念場。私は私にできる事を、最大限やらなければね」
そう言いながらベッドを出て、机の引き出しを開ける。
中にあるのは、今日の指示書。
一週間前にきた組織からの手紙には、“今日がすべての帰結となる”という言葉があった。
私の手元にある指示書では、計画のすべてが分かる訳ではない。
でもこれまで一度も指示書通りにして、うまくいかない事なんてなかったのだ。
だからこそ、私は私に与えられた通りの仕事をせねばならない。
皆がそうできたならば、きっとすべてがうまくいく。
◆ ◆ ◆
狩猟会とは、主に男性貴族が狩りを行い、その大きさを競う場である。
勢い勇んで出発する男性陣を見送り、私たちは会場となる森のすぐ近くで帰りを待つのが通例だ。
会場にはレンリーア様の姿もあったが、何やらある男性と楽しげに談笑していた。
流石にそこに割って入るほど、私も常識がなしではない。
ここはグッと我慢して、私は大人しく――。
「エリー」
名を呼ばれて振り返り「ゼフ」と彼に言葉を返す。
「ゼフも今日、参加するの?」
「お前、俺が女に見えるか?」
「男性でも見学の人はいるじゃない」
おそらく張り切っているのだろう。
前のめり気味な彼の言葉に、私は思わずツッコミを入れる。
先日街で私たちを助けてくれた彼とは、あれ以来何も話していない。
あの時だって私を屋敷に送ってくれただけだった。
その道のりで何故彼があんな場所にいたのか、あの時言った言葉は一体どういう意味だったのか。
聞く時間はあったけど、敢えて聞きはしなかった。
私自身その辺を探られると答えに困るという理由もあったけど、あの時はやはりロンの安否と手に入れた情報をいち早く組織に伝える事しかほぼ頭になかった。
流石にこんな公衆の面前であの時の事を聞く事はできないけど、それは同時に相手も同じ状況だという事である。
その点は少し安心だ。
なんせ私は、隠し事があまり得意じゃない自覚があるのだから。
「今年はせっかくお前も参加してるんだし、記念にもし獲物を取ってきたらお前にやってもいいぞ」
「ゼフからならもらって嬉しい人なんて、沢山いるでしょ?」
暗に、「何故私?」と彼に聞く。
狩猟会の獲物を女性に捧げるという行為はすなわち、貢物と同義である。
男性が女性に貢ぐのは、愛情を示すための行為だ。
彼は比較的社交的で、顔だって悪くない。
控え目に言ってもモテるのだから、欲しいと思っているだろう人にあげた方がいいのでは?
そう思わずにはいられない。
私の言葉にゼフィードは、何故か口をへの字にした。
「お前ってつくづく……」
「何?」
「何でもねぇよ。どうせ言っても分かんないだろうし」
何かよく分からないけど、諦められた。
思わずムッとしたものの、私が言葉を返すよりも彼が踵を返す方が早い。
「じゃあまぁ適当に行ってくるわー」
そう言って去っていく彼の背中に、私は「あっ」と声をかける。
「張り切るのはいいけど、安全第一だよ!」
何事も、怪我がないのが一番いいのだ。
先日の件もあって、尚の事私はそう思った。
彼は振り返らなかったが、代わりに片手を軽く上げた。
昔から何かと私の事を年下扱いしてくるけど、それだけに彼は私に嘘をついたりしない。
聞こえているなら大丈夫だろう。
外に日陰を作っての優雅なお茶会をしながら待つ事の時は、人にもよるとは思うけど、あまり社交に興味ない私にとっては退屈になる時間の筈だった。
しかし今回はこの時間で私にもやるべき事がある。
「ディアナ様」
たくさんの令嬢・夫人の中から、探し当てて声をかけたのは、グレンディース侯爵家の第二夫人である。
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