第10話 危なげあるやり取り、一通の手紙


 子爵家で、私はお腹がすきすぎて泣く思いや、固いベッドで寝たり手足が冷えてかじかむ思い、髪や肌の手入れもろくにしてもらえず、お風呂の代わりに冷水を頭から掛けられて楽しそうに笑われたりもした。


 しかしこれらの詳細は、外には漏れていないごく一部だけが知る事実だ。

 私を引き渡し、その後も手出しをしない条件としてこの件を明るみに出さないと子爵家という取り決めの下、私は今辺境伯家で何の不自由もない生活を送らせてもらっている。


 メリナ様だけに話すのなら未だしも、監視の目があるこの場所で、そこまで詳細に話すわけにはいかない。 



 が、話したいのはなにも私の過去の苦労などではない。

 詳細は伏せて話しても、伝えたい事は伝わるはずだ。


「私が今ここにいられるのは、大きな転機に巡り合ったからなのです。一人ではどうにもならない苦難の中に埋もれた私を、どこからともなく見つけてくださり、手を差し伸べてくださった方がいたからこそです」


 しかしそれだけでは、きっと足りなかった。


 組織が「当事者の気持ちを優先して動く」性質上、やはり助けられる側のアクションがどうしても必要だ。


「私はその手を握り返しました。苦境から抜け出すチャンスを逃しませんでした。自らその手を握ると決める事はとても怖かったけど、なけなしの勇気を振り絞りました」


 どうか彼女にも気付いてほしい。

 今メリナ様の下にもたらされているのは、転機である事を。


「メリナ様」


 彼女の手を、両手で包み込むようにギュッと握った。


「誰も自分など見ていないようで、実は意外と見てくれているものです。しかしチャンスはずっと隣に在る訳ではありません。ですから――」


 今、私を頼ってください。

 どうか勇気を出してください。

 そう言いかけて、後ろからのコホンという咳払いでハッとする。



 危なかった。

 語りに熱が入り過ぎたせいで、もう少しで核心を口にしてしまうところだった。


 冷や汗がダラダラと迸る中、内心で止めてくれたロンに感謝する。

 しかし不自然に途切れてしまった言葉を続きを探さねばならない。

 

 何かないだろうか。

 何か、何か……。


「わ、私が先程メリナ様の不調に気がつけたのも、こうして外で涼むための一つの転機でしたよね! ほら、貴女は迷いながらも、私についてきてくれたじゃないですか。その勇気のお陰で、ほら。もう気分は大分いいんじゃあ?」


 咄嗟に出た言葉は、辺境伯家にやってきて強制された言葉遣いを、すべて吹っ飛ばしたものだった。


 話の転換も、スムーズにできたとは到底思えない。

 動揺を悟られたかもしれない。

 後ろでロンのため息が聞こえたような気もする。

 

 それでも私の最大限だ。

 指示書がない私にできる取り繕いは、最早この辺で頭打ちである。

 ロンの呆れも、聞こえないふりをしておこう。



 幸いだったのは、監視役の立ち位置からでは私の表情は見えない事だろう。

 お陰で泳ぎまくった目も動揺した顔もバレていない。……多分。

 もし見られていたら、間違いなく何かを勘繰られていた。


 しかしすべて、目の前のメリナ様には見えている。

 彼女は私の必死の取り繕いを前に、一瞬キョトン顔になった。

 しかしすぐに「えぇ」と言いながら目を伏せる。


「そうですね。今日クレメント辺境伯令嬢に見つけていただけた私は、幸運でした」


 流石は年上と言うべきか、真綿で包み込むかのような包容力が、今の私には若干居た堪れない。

 顔から火が出そうな気持ちだ。

 しかしそれでも、彼女が初めて心からの笑みを向けてくれた事には安心した。


「……もしかしたら人に頼ることは、恥ずかしい事などではないのかもしれません」


 そう言いながら、湛えられる口元の微笑。

 ゆっくりと開かれた目の中に、静かな決意が揺蕩っているのを見つけた。





 その後二人で会場に戻り、メイドから漏らされれる前に侯爵様の下へと足を向けた。


 私が無理やり誘ったのだから彼女は責めるな。

 そう釘を刺すつもりだったのだけど、「私に上手くできるだろうか」という不安を抱えながら向かう道中で目敏く私たちを見つけたレンリーア様にそれとなく経緯を話したところ、なんと彼女がその役を引き受けてくれる事になった。


 結果はもちろん大成功。

 それどころか侯爵家にとって嬉しいだろう話を「メリナ様のお陰」という形で持ち掛けて、彼女を間違っても責められないような状況に持って行った。




 数日後。

 グレンディース侯爵家から、一通の手紙が届けられた。


 内容は、先日屋敷に行った時にしたお誘いへの返事。

 手紙には、嫋やかな字でしっかりと、こう書かれていた。


『大変ありがたいお話ではあるのですが、体調があまり芳しくなく。申し訳ありませんが、今回はお断りさせていただきます』


 その文面をゆっくり三度読み直してから、私は「よし……!!」とガッツポーズをする。


 彼女の、現状に抗うという意思表示がやっと来た。

 ならば私がすることは。



 すぐにペンを取り、手紙をしたためる。


 メリナ様宛の返信ではない。

 書いたのは、彼女が頼ってくれた事を知らせるための、組織宛ての手紙だった。


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