第9話 夜の庭園でメリナ様と二人
レンリーア様も主催者として忙しいだろうし、私にも用事ができた。
私が「一度失礼いたします」と挨拶すれば、彼女は微笑み「そうね」と告げる。
「では、また後で。時間ができたらお話ししましょう。――その間、気を付けてね。貴女は少しそそっかしいし、色々と無自覚なところがあるから、悪い虫の誘いにホイホイと乗らないように」
「? はい、分かりました」
いまいちよく分からなかったけど、一応返事だけしておいた。
レンリーア様と別れた後、会場内をゆっくりと見渡した。
私がもし彼女なら、一体どこにいるだろうと考える。
周りのと日々の身だしなみの積み重ねを自覚せざるを得ないこの場で、きっと人目を避けたい筈。
しかしおそらく侯爵から、目の届く場所にいるように言われているだろう。
なら多分――いた。
「メリナ様」
「あっ、クレメント辺境伯令嬢」
会場の端っこで一人壁の花になっていたメリナ様に声をかけると、どこか遠くをボーッと見ていた彼女がハッと我に返ったようだった。
しかし少々顔色が悪い。
「メリナ様、もしかしてお加減が悪いのでは……?」
思わずそう尋ねると、彼女は弱気に笑いながら「久しぶりの人ごみで、少し酔ってしまったようで」と言う。
たとえ会場の端にいるとしても、ここにいては人酔いが収まるのにも時間がかかるだろう。
むしろ悪化するかもしれない。
これは話をする云々以前の問題だ。
やはり最善は、外に出る事だろうけど。
「メリナ様、私、これから少し外の風にあたってこようと思っているのですけど、お付き合いいただけませんか?」
「……申し訳ありません。ここから離れるな、と言われておりまして」
やっぱりそうか、と思った。
主語がなくても、誰から言われたのかは容易に察するに余りある。
……もしかして既に人酔いしているメリナ様に対して言ったのだろうか。
いや、もしそうでなかったとしても。
もしレンリーア様ならどう言うだろう、と考えてみる。
彼女なら、きっと堂々と彼女の手を引き「私のワガママに付き合って」と言って、華麗に連れ出してくれるに違いない。
拾ってくださった辺境伯様の事を考えれば、私にはそこまで吹っ切れた行動をとる事は流石にできはしない。
しかし私にも説得はできる。
「今にも倒れそうな顔色ですよ。もしこれで本当に倒れたら、それこそグレンディース侯爵家に迷惑をかける事になるでしょうし、私のワガママに付き合っていただくのです。きっと侯爵様も『否』とは言わないと思います」
言いながら、彼女の手を取りギュッと握った。
ひんやりと冷えてしまっている手が、驚きにかビクッと震える。
足元に落ちていた彼女の目が、ゆるゆると上がり私を見た。
そこには不安と懇願が、ない交ぜになった色がある。
「行きましょう? メリナ様」
「……ご配慮、感謝いたします。クレメント辺境伯令嬢」
迷いの末に、彼女は私に頼る事を選んでくれた。
自身を労わってくれてよかったと内心でホッとする。
しかしそんなやり取りに、不満げな目が一つあった。
次にメリナ様の後ろで物言いたげに彼女を睨んだ
「貴女。そんなに侯爵様からの言いつけが気になるのなら、侯爵様にお伺いを立てに行ってきても構わないですよ。私たちは先に外に出ていますから」
「いえ、それは」
「こちらの心配は不要です。うちの執事は優秀ですから、貴女が席を外しても何の不自由もないでしょう。ねぇロン?」
「お任せください」
彼女が心配しているのはそこではないだろう。
分かっていて、わざとこう言った。
今彼女についているメイドは、先日侯爵邸で見た二人のどちらでもない。
あの二人は、おそらく侯爵様から解雇でもされたのだろう。
彼女の顔に浮かんでいる恐れは、もしかすると「彼からの『この場を動くな』という言いつけが守れなければ、自分も同じように解雇されるかも」と思っているからなのかもしれない。
しかし彼女に同情はしない。
結局彼女はこんなにも真っ青な顔をしていたメリナ様を、今まで見て見ぬふりしていたのだ。
飲み物の一つさえ持ってこず、ただ後ろで監視だけしていたのである。
彼女もまた『貴人の身の回りの世話をする』というメイドの職分を忘れてしまっているらしい。
私の言葉にいくらか逡巡したらしいメイドは、結局「私も一緒に参ります」と答えた。
どうやら場所を移動する件に関する忌避より、監視を優先するらしい。
彼女がいると若干話し方に気を付けなければならないから、できれば彼女には少しでも侯爵様の所に行っていてもらえると嬉しかったのだけど、それならそれで仕方がない。
私は小さくため息をついてから、メリナ様を連れて会場を出た。
肩を、ひんやりとした夜風が撫でていく。
ポツリポツリと明かりのついた会場外の庭園に、人の姿はない。
隣のメリナ様が、フゥと息を吐き出した。
やはり中よりはずっと外の方が楽なのだろう。
小さな安堵が見て取れる。
少しはリラックスしてくれているようで良かった。
そう思いつつ、せっかくだ。
後ろにはメリナ様の監視がまだついているけど、二人で落ち着いて話す土壌はある。
メリナ様の体調が少し落ち着きの兆候を見せている今、今を有効活動しない手はないと考えた。
「メリナ様、私が辺境伯家の養子である事はご存じでしょうか」
「……えぇ。たしか半年ほど前に、子爵家から引き取られたと。その頃はまだ社交界にギリギリ出ていた時期でしたから、話には聞いておりました。当時は『クレメント辺境伯家には既に、子息が二人、令嬢も一人いるのに、その上何故子爵家から養子を』という話でもちきりになっていて」
彼女の言葉に私は頷く。
「辺境伯家に迎えていただけたのは、ひとえにかの家の方々のお優しさがあったからこそです。とても幸運な事でした」
当時を思い返せば返すほど、私は運がよかったのだと実感する。
「私の生家は、元々男爵家でした。しかし子爵家から私を養子にという強い打診がありまして、立場の弱い我が家はその話を受けざるを得なかったのです。両親も『あれだけ求めるのだから、きっとよく扱ってくれるに違いない。むしろ今より裕福な暮らしができるだろう』と思って送り出してくれたのです。しかし現実はそう甘いものではありませんでした」
到着した日に案内されたのは、屋敷の屋根裏の物置部屋。
蜘蛛の巣がいくつも掛かったその場所を指さして「ここが今日からお前の小屋だ」と言われた時の絶望といったら。
案の定、食事もその他の待遇も、生家にいた時よりひどかった。
彼らがただの思い付きの嫌がらせだけのために私を引き取ったのだと知ったのは、それから少し経ってからだった。
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