第8話 夜会、待望のレンリーア様
馬車を乗り付けて現地に降り立ったのは、予定よりも少し早い時間だった。
端的に言えば、待ちきれなかったのだ。
朝から早々と準備して、そのまま待つ事数時間。あと三十分が待てなくて、呆れるロンと共に馬車に乗った。
ロンの介助を受けながら馬車を下り、目の前の建物を見上げる。
――王都・ノスタリオ公爵邸。
女だてらに若くして家を継いだ、レンリーア様の屋敷。この屋敷に訪問するのは、今回が五度目になる。
彼女と親しくなったのは、ほんの一年前の事だ。
そう考えればこれでもそれなりに屋敷に誘っていただいている方なのだけど、もっとたくさん会ってお話したい私からしてみれば、とても久しぶりのような気にもなる。
ともあれ。
「やっと会えるのだもの。早く入って探しましょう」
「エリー様。分かっているとは思いますが、本日のノスタリオ公爵は夜会主催者の身、エリー様ばかりに構ってはいられません」
「分かっているわよ。だからこそ、早く見つけて一文字でも多くお喋りしたいっていう話じゃない」
「一文字……会話を文字単位で語る方になど、流石に初めて出会いましたよ」
そんなロンの呆れ声を、置き去りにして会場に足を向ける。
後ろから足音はそつなくついてきているので、問題はない。
「エリー様は、本当にあの方を好いていらっしゃいますよね。そんなに彼女が好きなのですか?」
「もちろん! ああいう女性ってカッコいいわよね。私もあんな人になりたい」
「……それは、少々理想が高すぎるのでは?」
「失礼ねっ!」
やんわりと私を止めてくる声から、彼が本気で「実現不可能な夢を見てもいい事ないと思います」と思っているのだろう分かって、私は思わずムッとした。
「なれるかもしれないじゃない! 目指していれば、いつかきっと。……お祖母ちゃんになるくらいまでには?」
「ご自分でも自信、ないのではないですか」
本当に口うるさい執事である。
「レンリーア様!」
会場に入って早々に彼女の後姿を見つけ、つい気持ちが舞い上がっしまった。
後ろからロンに「格上の相手に自分から話しかけてはなりません」と注意され、やっと自分の失態に気がつく。
思わず「あっ」と口を噤んだのだが、どうやら彼女は人も多く騒がしい会場の中で、私の声に気がついてくれたらしい。
辺りを見回し私を見つけた彼女は、フッと笑みを浮かべててこちらに歩いてきた。
彼女はもちろん心が美しく、洗練された気高さを備えた方だ。
立ち居振る舞いも堂々とした佇まいも、眩しい程に美しい。
でも、もちろんそれだけではない。
こんな――自分で言うのも少しばかり癪ではあるけど――ちんちくりんな私とは違い、出るところの出たいいスタイルに滑らかな金髪、宝石のような瞳に余裕ありげに湛えられた笑み。
同性の私が飽きもせず毎回見惚れてしまうほどに、外見もとても美しい。
「久しぶりね、エリー。体調を崩したりはしていないかしら」
「はい! レンリーア様のお陰で毎日楽しいです!」
「私のお陰というのは少し買い被りな気もするけれど……元気だというならよかったわ。どの女の子も笑顔は可愛いものだけど、貴女は尚の事そうだもの」
言いながら、彼女が私の紙に触れる。
思わず「ヒョッ」と声が出てしまいそうだったのところ、ギリギリのところで押し止めた。
そんな貴族令嬢にあるまじき声を出しては、後ろで目を光らせているお目付け執事に後でものすごく怒られる。
なによりレンリーア様に笑われるだろう。
我慢できた自分を褒めてあげたい。
「レンリーア様もお元気そうで何よりです。招待客もかなりの人数ですし」
「きっとみんなちょうど暇だったのね」
「レンリーア様の影響力のなせる業ですよ」
「そうかしら」
心からの言葉だったけど、レンリーア様は様々なおだてに慣れている。
私の言葉に「ありがとう」とお礼を言いながらも、彼女の表情には余裕が見えた。
そういうところもカッコいい。
彼女は二十五歳の女公爵だ。
美貌も権力も持っていて、その上彼女にはまだ伴侶がいない。
本来なら殿方が放っておく筈などないような存在にも拘らず彼女が未だに独身なのは、彼女の隣に立って見劣りしない男性がいないからである。
そもそも彼女自身、あまり伴侶を必要としていない節があるから、彼女のファンである私としては、レンリーア様が誰かのものになる心配をしなくていいので実にありがたい。
そう思いながら、何となく会場を見回した。
本当に何となく。
だからここで気がついたのは、私に都合のいい偶然だった。
眺めた目の端に、長いストレートの赤髪を靡かせながら歩く少し釣り目の赤目の女性と、青髪黒目の紳士が、腕を組んで歩く姿が目に入った。
思わず驚いた。
いや別に、腕を組む事それ自体はそれほど珍しい事ではない。
エスコートの時は大抵そういう形になるし、彼らのように結婚していればむしろ普通だと言えるだろう。
だから驚いたのは彼らのシチュエーションにではなく、あまりにも自分の中でタイムリーな人間が、ここにいるという事実に対してだ。
「グレンディース侯爵とディアナ様……?」
「え? あぁあの家も呼んだのよ。元々は最近社交界に顔を出されないメリナさんにお会いしたかったのだけどね。あの方々は付き添いらしいわ」
「えっ、という事はもしかして、メリナ様も今日ここに来ているのですか?!」
驚きに思わず声を上げる。
そんな私の姿は、見方によっては失礼なものだっただろう。
しかし彼女はニコリと微笑み、快く受け止めてくれた。
「そもそも招待状はメリナさん宛に出したのよ? 一応あちらからメリナさん不在での参加を打診されたけど、突っぱねたわ。たしかに今回は、普段は社交場に顔を出さない方々もお呼びしているし、なんとしても参加して顔繋ぎをしたかったのでしょうけど、そんな事はこちらの知った事ではないし、そもそも最近の侯爵家は少しきな臭いところもあるしね」
レンリーア様には大変申し訳ないのだけど、彼女の言葉の後半部分は頭に入ってこなかった。
そんな事よりも、メリナ様不在での参加を突っぱねたにも拘わらずあの二人が今会場内にいるという事は、メリナ様がこの場に来ているという事だ。
まさか、絶対に社交場には出てこれないと思っていた彼女が、社交場に出向いてくれるなんて。
嬉しい誤算に、思わず口角が上がる。
目当ての方を見つけたのだろうか。
私の視線の先にいる侯爵とディアナ様は、仲良く他の貴族との談笑に夢中だ。
今ならば、メリナ様にコッソリ話しかけに行ってもおそらく気がつかないだろう。
指示書はないし、もしかしたら今回も監視がついているかもしれないけど、この天啓のようなチャンスは逃してはならない気がする。
「どうしたの? エリー。何だかとても嬉しそうだけど」
「あ、実は……いえ」
彼女に事の次第を伝えようとして、慌てて両手で自分の口をふさいだ。
組織には守秘義務が存在する。
私たち末端は、特例がない限り誰がいつ何に関与しているのかを知らされない。
それが組織を秘密の存在たらしめており、周りから無用な勘繰りを受けないための措置なのだと、入る時に説明された。
だから同じ組織内にいても、彼女が話しても問題ない人間なのか否かは分からない。
きっとレンリーア様なら、この状況で試しに口にしてみるという危ない橋は当たらないだろう。
だから。
「何でもありませんでした」
誤魔化しの笑みは、おそらくあまり上手ではなかった。
しかしおそらく、何かしらを察してくれたのだろう。
彼女は「そう?」と言って以降、深く話を掘り下げる事はなかった。
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