第37話 行き過ぎた使命感が生んだピンチ
「エリー様、令嬢としてはあまり褒められた事ではありませんよ」
「何言っているの、ロン。これは組織の仕事の一つよ」
「ミッションは言い渡されていないのでは?」
彼の正論にグッと言葉を詰まらせる。
たしかに彼の懸念する事は分かる。
件の男性を、表通りで追っているところまではまだよかったのだ。
しかし人目のない薄暗い路地に入ってしまうと、何だかとてもよくない気がする。
「あのゴロツキ風の男、おそらく見た目通りの荒くれ者ですよ。荒事にもおそらく慣れています」
「見ただけで分かるものなの?」
「えぇ概ね。立ち姿からしてまず違います」
「すごいのねロンって」
「主人の身辺に気を配るために観察眼を磨く事もまた、執事の大切な仕事です」
本当に執事とは、それ程までに己を磨く必要があるのだろうか。
もし本当にそうなのだとしたら、執事とはかなりの素質と根気と向上心が必要になる職業なのだろう。
「街中だという事もあるのかもしれませんが、あの男、傍目に見ると武器を持っていません。暗記使いなのか素手が得意なのかは分かりかねますが、そういう人間は総じて自身の実力に自信があるものです。気をつけなければなりません」
そういうものか、と思いながら口では「分かってる」と言っておく。
「でも、それなら猶更きな臭いでしょ? そんな場所に出入りする人間が、侯爵と同じにおいをさせているのよ?」
「それはたしかにそうですが」
追いかけると言って聞かなかった私に、ロンが仕方がなく「私が言った距離をきちんと保ってください」という条件付きで追跡の続行を許してくれている。
「相手と距離が離れてるからこっちがバレないのはいいんだけど、聞こえない……」
路地のはずれにあるあばら家の前で、男と彼が何か話しているのだが、何を話しているのだろう。
少し焦れた気持ちになっていると、ロンに「ダメですよ」と釘を刺された。
分かっている。
流石に見張りが立っているのにのこのこと出て行ったりするほど、私も考えなしではない。
ここは大人しくここを動かず――。
「あ、二人とも中に入ったわ!」
「ちょっとエリー様」
「大丈夫よ、今なら誰も見てないし」
ロンの静止を振り切って、私はスススーッと音を立てずにあばら家の側まで寄っていった。
壁に耳を付け、中の音を聞く。
流石にここで騒いでしまうと中の人にバレると思ったのか、慌てたロンは「ハァーッ」とため息をついてから、私と背中合わせになる。
見張りを買って出てくれたのだろう。
本当に有能な執事である……なんて言うと「執事の仕事ではないのですがね、こんな事」と言われてしまいそうだけど、とても助かる。
あばら家の中には、どうやら三……いや、四人いるようだった。
「首尾は?」
「上々。っていうか、楽勝すぎて笑っちゃったぜ」
そんな会話が聞こえてくる。
「王都は栄えているからな。光が眩しければその分だけ、闇も深くなるってやつさ。ばら撒いたのは、スラム街だけじゃないんだろ?」
「もちろん。それが『投資者』の条件だったからな。大手の商店の息子に、王城勤めの平民たち、中には貴族の客もいる」
「はっ、ぼろ儲けだな。金があるやつを鎮めれば、それだけ支払われる総額も増える。搾り取るには最適だぜ」
そう言って下卑た笑いする声の主たちは、やはりかなりきな臭い話をしている。
中でも一番気になるのは、『貴族の客』という言葉だ。
彼らは貴族に何かを売っているという事だろうか。
しかし、もしそうだとして一体何を――。
「伯爵と侯爵ともあろう人間が国を腐らせる違法物で金稼ぎをしてるってぇんだから、この国も存外腐ってるよな」
「俺たちみたいなはみ出し者が言ってもまったく説得力ねぇ」
伯爵と侯爵。
そう聞いて、パッと頭に思い浮かんだ人物がいる。
先日二人に会ったばかりの人であり、中の彼らと、いや、このあばら家の中からするのとおなじにおいをさせた人。
――キダノ伯爵と、グレンディース侯爵。
前者は最近特に羽振りがいい事をお茶会で自慢し、後者は金欠だと組織の前情報にあった。
彼らが語った『金稼ぎ』の動機はたしかに持っているかもしれないけど。
まさか、流石に国を腐らせるような事までやっているなんて。
信じられない。
信じたくない。
侯爵は未だしも伯爵は、ロロカ様の父親なのだ。
そんな事をして、もし国家反逆罪にでも問われてしまったら。
メリナ様はどうにかしたとしても、おそらくミッションに関係のない彼女まで組織は面倒を見ないだろう。
連座になってしまうかもしれない。
そんな心の動揺がピンチを生む。
半歩後ずさると、近くに積み上がっていた木箱に肩をぶつけてしまった。
その上に置いてあった空の瓶が、グラリと揺れて落下していく。
手を伸ばすが、間に合わない。
――パリン。
「あ? 何の音だ?」
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