第36話 独特な刺激臭



 王都の中心街には何度も行った事がある。

 買い物に行った事は数える程だけだけど、組織への手紙が手渡しの場合は、私が自身で出向くのだ。

 だから平民の服を着て出歩く事自体は慣れている。


 しかしそれらは、用事があっての事だ。

 今日みたいに散歩のように王都に出る事は少ない。


「よろしかったのですか? 遠くで馬車を下り歩くだなんて」


 後ろからついてくるロンに聞かれた。


 今日はいつもの執事服とは違って私服姿ではあるのだが、先程「少なくとも見た目上は仕事ではないのだから、隣を歩けばいいのに」という私の言葉に苦笑していた。

 職業病なので今更どうにもならないと言うが、実際にどうなのかはよく分からない。


「せっかく何にも縛られずに純粋に街を歩く機会なのだから、むしろこの方がいいのよ」


 それにこうして歩いていると、街を行き来する人や客寄せをする商店の人、美味しいものを食べたり品物を見たりして笑顔の人々。

 普段は見えない人たちの姿がよく見えて、何だかとても新鮮な気分を味わえる。

 気分転換だというのなら、こういう状況こそ相応しいのだろう。


「それで、目的の場所は特にないと先程仰っていましたが、どのように過ごされるのですか?」

「うーん、とりあえずお店を冷やかしに?」

「どのようなお店をご所望か、などは?」

「そうね……あ、どうせだしメリナ様に何か似合うものを買ってみるのはどうかしら」


 そう言えば以前、鳥の文通で彼女の好きな色について聞いたのだ。

 もしかしたら今、それを参考にすべき時なのかもしれない。


「せっかくロロカ様からお祖母様の形見を返していただけることになったのだし、あの髪飾りと合わせるのにちょうどいい小物なんかがあればいいのだけど」

「小物、ですか」

「えぇ。メリナ様の性格だとあまり高価なものは恐縮するような気もするし、比較的安価で普段使いができるようなものを……って、ロン」

「何でしょう」

「こんな事を聞いて、どうするの?」


 振り返りながら小首を傾げれば、顎に手を当てていた彼がサラリと答える。


「適当な店を見繕い、ご案内でもしようかと」

「貴方、そんな事までできちゃうの……?」


 思わずそう聞き返したのは、彼が辺境伯家の執事だからである。


 彼の仕事は私の身辺の世話。

 仕事場は、主に屋敷の中と社交場への同行だ。

 私が知る限り彼はほぼ休みもなしで私の側に居るから、私が街に出る時以外は彼も滅多に街にはいかない。


 街中を一緒に歩いている今の状況は、むしろイレギュラーだと言えるのだ。

 にも拘らず、彼はさも簡単な事のように、王都の街中の店の種類や配置などを把握していないと到底できない『適当な店を見繕う』行為をすると言った。

 彼が執事として有能な事は知っていたけど、流石にこれは度が過ぎる。


「実は元々幼少期には、王都に住んでいたのです」

「え?」

「両親が旦那様の使用人だったため縁があって私も執事になったのですが、それまではこちらに」

「そうだったの」


 知らなかった。

 そう思ったけど、まだ半年ほどの仲な訳だし、執事としての仕事の中でわざわざ私に言うような事でもないのかもしれない。


 そもそも彼は、有能すぎて少々掴みどころがないところもある。

 いつも世話を焼いたり苦言を呈したり、聞き役に徹する事が多い。

 彼について知らない事は、おそらく多い。


「ねぇロン」

「何でしょう」

「ロンは元々辺境伯様付きの執事の一人だったところを、私のお目付け役に任命されたのよね」

「えぇ」

「お仕事内容も変わったの?」

「そうですね、たしかに辺境伯様付きの時とは少し変わりましたが……何故そのような事を聞くので――」


 突然グイッと彼に腕を引っ張られた。

 たたらを踏みながら彼の胸元に引き寄せられ、石鹸のにおいが限りなく近づいた。


 驚きながら彼を見上げると、若干の安堵が見て取れた。

 私のすぐ横を、通行人がすり抜けていく。

 どうやらその人にぶつかりそうになっていたところを、助けてもらっていたらしい。


「あまり後ろばかり向いて歩いていると、危ないですよ」

「ロンが隣を歩いてくれば、その辺の心配はおおむね解消されると思うんだけど」

「そうしたとしても、エリー様ならつい話に夢中になって前方不注意になりそうですけどね」

「そんな事は……あるかもしれないけど」


 彼の懸念を反射的に否定しようと思ったけど、彼の言葉は一理あった。

 素直にそれを認めると、彼は楽しげに小さく笑う。


「気を付けてください」

「そうしておく」


 そう言いながら前を向いて、歩こうと思った時だった。


「……ん?」


 待ちゆく人たちとごった返すにおいの中に、ほんの一筋、既視感のある独特なにおいがした。


 振り返る。

 においをさせている人は、動きやすそうな軽装の男性。

 少し人相の悪い、腕に古い傷跡のあるゴロツキ風の人だった。


 しかしこのにおい、一体どこで――。

 そう考えて、思い出す。


「たしか伯爵邸で、侯爵に会った時の……」

「エリー様?」


 様子がおかしい私に気がついて、彼が暗に「どうしたのか」と尋ねてくる。

 しかし悠長に彼に答えていたら、あの男性を見失ってしまう。



 先程までとは違う方に向かって歩き出せば、彼が慌ててついてきた。

 流石に隣に並んだ彼が、小声で「どうしたのです」と聞いてくる。


「あの人を追うわ」

「え?」

「あの人から、先日たまたまキダノ伯爵邸でグレンディース侯爵と鉢合わせた時にした、あの独特な刺激臭がする。おかしいでしょ、侯爵みたいな上級貴族と同じにおいをさせているなんて」


 組織から何も音沙汰がなく動けない今、メリナ様を解放するための交渉材料を仕入れる事ができそうな状況は放置できない。

 グレンディース侯爵が関わっていそうな事の手がかりは、掴んでおいてきっと損はない。


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