第32話 良心と正義感と義務感



 談義中はかなりはしゃいでいたから疲れたのだろう。

 昼下がりのちょうどいい気温、ちょうどいいお腹具合もおそらく手伝って、彼女は眠りへといざなわれていた。


 使用人は今、部屋にはいない。

 二人で話したいからと途中で彼女が追い出したのだ。

 その際に一緒に追い出されたロンも、別室で休憩をさせてもらっている筈である。



 ――今、私を見ている者は一人もいない。

 ならばチャンスは今である。


 音を立てないように立ち上がり、改めて辺りを見回した。

 近くに見つけた毛布をかけて、テーブルの上に筆記用具があるのを見つけた。


「もし彼女が起きた時に私がどこにもいなかったら、きっと心配するだろうし」


 そう呟いて、ペンを取る。


 彼女と話して分かった事は、彼女がいい子である事だ。


 年下とあって幼さがまだ残っている。

 同じ趣味を持つ相手にははしゃいでつい早口になる事もあるけど、基本的に常識的で、きちんと相手に配慮もできる。


 根っこの部分からいい子なのだ。

 だからこそ、自分の屋敷で客人が居なくなったとなれば、きっと心配し、慌てて大捜索をかけるだろう。

 だから。


 ”お手洗いに、行ってきます”

 

 そう書いて見えやすいテーブルの上に置いてから、私はコッソリと部屋を出た。



 

 使用人に鉢合わせしない様に、鼻を研ぎ澄ませて歩く。

 誰かの気配があるたびに身を隠し、向かった先は彼女の部屋だ。


 音を立てないように扉を閉め、辺りを見回した。

 彼女と同じ甘いお菓子のようなにおいがする室内は、綺麗に整頓されている。

 だから目的のものも、とても探しやすかった。


 チェストの上の宝石箱。

 その蓋を開けると、すぐに見つけた。


 少しくすんだ銀色の、鳥がモチーフの髪留め。

 目にはめ込まれた深緑の石は、メリナ様の深緑の瞳ととても良く似た色をしている。


 古いがいい品である事は、見れば一目瞭然だった。

 メリナ様は侯爵に「『そのような古ぼけたもの、侯爵夫人には相応しくない』と言われた」と言っていたけど、そんな事はまったくない。


 もちろん場所は選ぶだろうが、煌びやかな社交の場ではなく落ち着いた場で使うなら、むしろ格を上げるもののように私には見える。


 ……って、元男爵令嬢の私がそんな事を思っても、あんまり説得力はないか。

 それに、思い出の品なのだからそもそも持っているだけでも十分なのである。

 わざわざ取り上げる必要はなかった筈だ。


 そんな事を考えながら、その髪飾りに手を伸ばしかけて、気がついた。



 あれ、この髪飾り、宝石箱の一番いいところに置いてある。

 よく見ればわざわざ上等なシルクに包み込むように置いてあるし、もちろんほこりなどまるで被ってはいない。


 他にも宝石や飾りの類はあるものの、そのどれよりも厳重に、大切にされているように見える。


 ――こんなに大切にされているものを、彼女の断りもなく勝手に奪取してしまっていいのだろうか。

 そう思えば、伸ばした手は髪飾りに届く前に止まる。


 指示書に書かれていたのは奪取。

 それはつまり、がそれを最も成功率の高い方法だと思っているという事だ。


 私は組織の人間で、メリナ様を助ける事もその組織に絡む事。

 だから私は、指示書に従うべき立場だ。


 だけど。



 ロロカ様はいい子である。

 常識的で他者を思いやる事ができる心根の持ち主だと思う。


 ならば交渉の余地があるのでは?

 こんな風にコソコソと奪うのではなく、彼女にこれがメリナ様の大切なものであると話して返してもらう事ができるのではないだろうか。



 もし交渉に失敗すれば、彼女の警戒心はきっと高まってしまうだろう。

 もしかしたらこの髪飾りもどこかに隠すかもしれない。


 そうなれば、入手するのも困難になる。

 再度に指示を願い出たところで、一度指示書に背いた人間、そもそもミッション遂行のために必須ではないメリナ様の髪飾りの奪取に、再度手を貸してくれるかは分からない。


 でも。



 良心と正義感と義務感がせめぎ合う。

 

 それでも一つに決めなければならない。

 そして私は――パタン、と宝石箱の蓋を閉めた。



 ◆ ◆ ◆



「あっ、エリー様!」

「すみませんロロカ様、席を外して」


 書斎に戻ると、彼女は既に起きていた。


「こちらこそ申し訳ありません、気がついたら眠ってしまっていたようで」

「いえ、構いません。今日はとてもいい陽気ですし、お昼寝もたまには優雅な過ごし方で私は好きですよ」


 そう言って、私は彼女の隣に座る。

 そして。


「ロロカ様、少しお話があるのです」


 私は賭けに出た。

 もしかしたら失敗するかもしれない可能性を握り締めながら、それでも彼女には誠実でありたいと心に決めて。



 私の真面目な表情を見て、彼女もまた向かい合ってくれた。

 紅茶を淹れてもらい、私と彼女、二人っきりの部屋の中で向かい合う。


「実は一つ、ロロカ様にお願いがあるのです」

「お願いですか?」


 心当たりがなさそうな彼女が、首を傾げつつ聞いてくる。

 

「実は私、ロロカ様が銀細工の鳥の髪飾りを持っていると聞きまして。目に緑色の石がはめ込まれたものなのですが」

「あぁそれなら、たしかに以前父から頂きました。古い物のようでしたけど、とても手入れが行き届いた品のようだったので、大切に保管しています」

「実はそれ、元々はメリナ様――グレンディース侯爵夫人のおばあさまの形見らしく」


 私がそう答えると、彼女は「えっ?!」と驚いた後、「大切なものでしょうに、何故手放してしまったのでしょうか……」と呟いた。

 

 できれば「侯爵から無理やりに取り上げられて」と言いたかったけど、流石にそれを言ってしまうとメリナ様の現状が外に漏れかねない。


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