第33話 こんな所で鉢合わせ危機一髪



 もし妙な噂になってしまったら、一番困るのは外に状況が漏れた腹いせに扱いが激化するかもしれないメリナ様だ。

 迂闊に口にする事はできない。


「どうやら手違いがあったらしく、ご本人は手元に取り戻したいとお考えなのです」

「まぁ! そうなのですか? ……でもそうですよね、私だっておばあさまの形見が手元からなくなってしまったら、必死に探し回りますもの」


 彼女は驚きながらも、「うんうん」と頷き理解を示してくれた。

 

「彼女自身、予期せぬ事故にとても困惑しているらしく。『旦那様や周りの方の手を煩わせたくない』『できれば大切なものをなくした事を気づかれずに、ひっそりと手元に取り戻したい』と仰っているのです。ですから、もしロロカ様が承知してくださるのであれば、メリナ様の手元にその品を戻してあげたいと思っているのですが……」


 秘密裏に返してくれはしないだろうか。

 そんな気持ちを込めて彼女を見る。


 すると彼女はすぐに「そうですね」と頷いてくれた。


「あの髪飾りも、きっと彼女の手元にある方が嬉しいでしょうし」

「ありがとうございます!」


 高らかにお礼を述べながら、内心で「よかった、彼女に正直に話して」と独り言ちる。

 勝手に持って帰るより、こうして誰かの善意で譲ってもらう方がいい。

 あとで「なくなった」と大捜索される心配もない。

 髪飾りが渡った先が、彼女の手元で本当によかった。


 そんな事を考えていると、彼女から一つ提案があった。


「せっかくですから自らの手でお返したいのですが、生憎とメリナ様との関わりがあまりなく。エリー様はあるのですよね?」

「はい。しかし近頃メリナ様は少し体調が悪いらしいのです。体調が戻り次第個人的にお茶会をする約束をしているので、その際にお呼びしてもよろしいでしょうか」


 おそらく繋ぎを頼みたいという事だろう。

 そう思い、私がそう提案をする。


 メリナ様とはお手紙で「ミモザの咲くころにお茶会をしたい」という話をしている。

 そこに彼女も呼べばいい。

 あまり人付き合いが得意ではなさそうな彼女だけど、私とは問題なく話せているのだ。

 ロロカ様も穏やかな性格だし、私がいる状態での少人数のお茶会、それもおばあ様の形見を返してくれる方という事ならば、おそらく問題ないだろう。


「分かりました。呼んでいただけるのを楽しみにお待ちしていますわ」


 彼女は私のこの言葉にも、快く応じてくれた。

 加えて「それまでの間、メリナ様のおばあさまの形見は大切に保管しておきますね」とも言ってくれるあたり、本当にいい子だと思った。





 それからまた少し別のお喋りをして、屋敷からお暇をする時間になった。


「もっとお話ししたかったです……」


 一緒に廊下を歩きながら別れを惜しんでくれる彼女は、上目遣いで私を見てくるがあざといとは微塵も思わない可愛らしさだった。

 まだ十五歳の、開花してもいない筈の母性本能が擽られる。


「ロロカ様さえよろしければ、また機会を作ってお話ししましょう」

「本当ですかっ?! 嬉しいです!」


 嬉しそうな笑顔を向けてくる彼女を見て、我ながら好かれたものだなと思う。

 それもこれも、すべては『極度の本好き』『本の交えた話し相手に飢えている』という情報と、森の妖精物語を勧めてくれたのお陰だ。

 後半は特に指示書には従わない形になってしまったけど、それでもとても助かった。


 帰ったらすぐに事の顛末と、感謝の気持ちを手紙に綴ろう。

 そう思いながら隣同士のロロカ様と談笑しつつ廊下を曲がり――。


「うぷっ」

「おや、大丈夫かい?」


 話と考え事に夢中で、周りに気を配っていなかった。

 服越しに触れた他者の体温とにおいで「どうやら鉢合わせた人に、正面からぶつかってしまったらしい」と悟り、謝りながら体を離す。


 そして思わずギョッとした。


「あぁそういえば、今日は友人を招待したと言っていたな」

「お父様!」

 

 目の前には二人の男性がいた。


 一人は恰幅のよい男性で、もう一人はシュッとした引き締まった体躯の男性。

 前者は彼女の言葉通り、ロロカ様のお父様・キダノ伯爵である。

 そしてもう一人が。


「私も今日は少し友人と話があってね」


 言いながらキダノ伯爵が向けた視線の先に、ロロカ様は「こんにちは、グレンディース侯爵」と綺麗なお辞儀をする。



 グレンディース侯爵、メリナ様を苦しめている元凶。

 その相手とこんな所で綺麗に鉢合わせしてしまったという事実に、心臓が大きく飛び跳ねた。


「たしか君は、クレメント辺境伯家の……」

「は、はい。エリー・クレメントと申します」


 侯爵の言葉に自己紹介をしつつ頭を下げれば、彼が「ロロカ嬢と仲がよかったとは聞いた事がなかったな」と聞いてくる。


「実は、先日王城図書館で仲良くなりまして。今まで本談義に花を咲かせていました」

「あぁ本か。ロロカ嬢は母親に似て、この家の家系を色濃く継ぐ読書家だからな」


 ロロカ様の言葉に納得して頷いた彼は、私に目を戻すと「ロロカ嬢とぜひ仲良くしてやってくれ」と言い、となりの伯爵に「私の娘なんだがな」と苦笑されていた。


 そんな二人を「仲がいいのだな」と和やかな気持ちで見守――れはしない。


「では、失礼いたします」


 何食わぬ顔で早々に挨拶をし、私は彼らの元から離れた。


 ロロカ様は、玄関まで付き添ってくれた。

 馬車は既に玄関につけてあり、その前でロンが待っている。

 私は彼女に再会を約束して別れを告げ、貴族然として馬車に乗り、窓から彼女に手を振ってキダノ伯爵邸を後にした。




 そして。




「はぁぁぁぁぁぁーっ! びっくりした!!」


 彼女が見えなくなったのをしっかり確認してから、背もたれに体を預けて脱力する。


 心臓が、厭に大きな音で鳴っている。

 ロンが「どうかされたのですか」と聞いてきた。


 彼に先程の鉢合わせの話を聞かせれば、彼は「また嫌な偶然を引き当てましたね」と苦笑した。

 苦笑している場合ではない。

 心臓止まるかと思ったわ。


「何か勘繰られたりはしていないかしら」

「しかしロロカ様が『友人だ』と紹介してくださったのでしょう? 妙な勘繰りをされるような事はないのでは?」

「まぁそれはそうかもしれないけど」


 実際に、鉢合わせた事自体以外には、何かをしでかした自覚はない。

 彼の言葉を信じたい。




 ロンに不安を吐き出したお陰で、少し気持ちが落ち着いてきた。

 深く息を吐きながら、私は一つ「そういえば」と思い出す。


「グレンディース侯爵、妙なにおいをさせていたわ」

「妙なにおい、ですか?」

「えぇ」


 彼にぶつかった時、本当に仄かに、全く嗅ぎ慣れない不思議なにおいがした。


 人のにおいはそれぞれ固有だが、それは服や髪・肌などについた何かのにおいに体臭が作用して生まれるものだ。

 素になるにおいは必ずどこかで嗅いだことのあるにおいだから、人のにおいに個人差はあれど、何かに近いにおいになる。


 しかし彼の体からは一つ、形容しがたい匂いがした。


「甘い匂いに隠されたような、仄かな刺激臭と土のにおい」


 それが何のにおいなのか、これ以上の言語化は難しい。

 でもだからこそ、記憶の端っこに引っかかったのだった。


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