第13話 致命的な忘れもの、有能な執事
手紙を最後まで読んでみると、今回のミッションの意図も理解できてきた。
端的に言うと、『グレンディース侯爵家はガードが固いから、かの家と裏の繋がりがあるキダノ伯爵家を狙え』という事らしい。
メリナ様を軟禁されている現状から解放するためには、グレンディース侯爵家の弱みを握るのが先決だ。
そのためには証拠を手に入れるのが最も手っ取り早く確実で、その証拠はキダノ伯爵邸にも同時に存在している。
両者は共犯関係なのだ。
そして証拠を厳重に管理している侯爵家とは違い、伯爵家は少し詰めが甘い。
そういう前情報が私の手元にあり、今回の指示書はそれを元に練られている。
多くの貴族を呼ぶお茶会は、通常庭園で行われる。
キダノ伯爵邸で催されるお茶会も例外ではなく、招待状に『参加』で出した私が屋敷に着いた時には、もう既に庭園にそれなりの数の紳士淑女や子どもの姿があった。
淑女だけのお茶会ではないという事もあって、パーティーは立食形式だ。
好きなものを取り、好きな場所に行き、思い思いに談笑をする。
そんな会になっている。
温かな気温と柔らかな日の下でのお茶会は、比較的和やかな空気だった。
全面的にそうとは言えない原因は、主催者が挨拶をして回る度に他にも聞こえる大きな声で自慢話をしているからだ。
最近この指輪はこの前見つけたばかりだだの、市場には滅多に出回らない本を手に入れただのと、景気のいい話がたくさん聞こえてくる。
他の人たちからすると羨ましい事だと思うだろうが、かの家の裏事情をあらかじめ知っている私からすると、画策のお陰で得たものを見せびらかしているようにしか見えない。
よくこんなにも大っぴらに言えるものだと、呆れを通り越して安心してしまいそうになる。
が、そんな風に悠長に構えてもいられない。
今日は、普通の社交への参加とは違うのだ。
――与えられたミッションを果たさなければ。
状況による義務感が、令嬢の輪の中で他愛のない会話をしながらも、一体いつ動くべきなのかと私の心をソワソワさせる。
指示書には、例に漏れずこの後の私の取るべき動きが細かく記載されている。
要点だけを抜粋すれば、『お茶会からうまく抜け出して、邸内のある部屋へと忍び込み証拠物を偽物と置き換え――って。
「あっ!!」
思わず声を上げてしまい、慌てて自分の口を手でふさぐ。
話し相手が「どうかしましたか?」と心配してくれた。
私は「いえ、何も」と笑顔を作ったが、きっと引きつっていたと思う。
ダラダラと迸る冷や汗を感じながら彼女たちに断ってその場を脱し、つかつかと会場を横断して端っこの端っこまでやってきた。
目の前には壁。
そこまでやってくると、口から「はぁぁぁぁぁぁぁー……」という深い深いため息が零れ落ちた。
今回私は、証拠物をすり替えるために偽物を用意してもらっていた。
もちろんミッションには必要不可欠だ。
それなのに。
「持ってきてない……」
いつからなかったのだろう。
たしか屋敷から出る直前まで、ちゃんと持っていた筈だ。
でも、よくよく思い出せば馬車に乗っていた時には既に、手元にはなかったような気がする。
という事は、忘れてきたのは屋敷だろう。
馬車の中ならば未だしも、屋敷じゃあもう、どうにもならな――。
「もしかして、コレの心配をなさっていますか?」
社交場では私の後ろで空気を演じる執事の鑑・ロンが、そう言いながら懐を漁った。
現れたのは、細い紐でリボン結びにされた筒状の紙。
見覚えがある。
これこそ偽物、偽造書類だ。
「エリー様、私室を出る直前まで大切そうに抱えていたのに、部屋を出る時に流れるような所作でテーブルに置かれていましたよ? 少し不安になったので、一応持ってきたのですが」
「ロン……!」
なんという僥倖、なんて仕事のできる執事!
私の目の前に神がいる。
両手の指を胸の前で組み私の窮地を救ってくれた彼を見上げると、「仕事をしただけです」と言って眼鏡をクイと上げてみせた。
ちょっとした照れ隠しかもしれない。
彼が照れるなんて珍しい。
「お使いになる時には仰ってください。その時にまたお出ししますので」
言いながら、彼は再びそれを懐に戻そうとする。
しかしここで待ったをかけた。
「いえ、いいわ。いつチャンスが来るかは分からないもの。私が自分で持っておく」
「手に持ったまま、社交を続けるおつもりですか?」
「たしかにそれはちょっと邪魔ね。じゃあ、どこか……」
どこか入れる所はないだろうか。
そう思い、自身を少し見回す。
通常、社交ドレスにポケットはない。
そしてこれは通常の社交ドレスである。
だからこそ彼は今しがた、荷物持ちというその職分を果たそうとしていたのである。
こういう衣装で物を隠し持てるとすればスカートの下くらいだけど、隠すためには一度裾をたくし上げなければならない。
淑女として、今ここで行うのははしたなさ過ぎて不可能だ。
ならばどうするか。
そう考えて、思いつく。
今日のドレスには、袖がついている。
その裾は腕を通していても風が通るくらいには余力がある。
スッと裾から紙筒を入れ、手を上げた。
肩より上に上げればストンと、脇の方に紙筒が滑る。
腕を曲げ、そのまま腕を下ろす。
そうすれば紙筒は、肘より下には落ちてこない。
シルエット的にも不自然ではなさそうだ。
今日、腕の幅に余裕のあるデザインの服を着てきてよかった……!
私はドレスのめぐり合わせに、神の存在を感じた。
この天啓でも下りてきたかのような思い付きも、流石と言わざるを得ないだろう。
そう内心で褒めながら、うんうんと満足して一人頷く。
対するロンは、苦笑いだ。
「エリー様、もしかして紙筒を持っている間は、ずっとそうやって肘を曲げ続けているつもりで?」
「えぇ。でも別に不自然ではないでしょう?」
「そうでしょうか……」
せっかくの名案だというのに、彼の反応がどうにも薄い。
目が明らかに「無理せずやめておいた方がいいのでは?」と言外に言ってきている。
「何よ、絶対に大丈夫よ! それよりも!!」
偽物の書類も手元にある今、あとはここからうまく抜け出す事が先決だ。
珍しくその手順は指示書に記されていなかったため、ここは自力でやらなければならない。
でもどうしよう。
このまま勝手に抜け出してもいいけど、できれば何か仕方がない理由があった方が嬉しい。
そんな風に考え事をしていたからか、すれ違った人と肩がぶつかってしまった。
「あ、申し訳ありませ……」
あれ、このミントのようなにおいは。
「ゼフ」
「エリー、お前は相変わらず不注意なやつだな」
「ゼフっていつもそれ言うよね」
「仕方がないだろ、こんなどうしようもなく危なっかしいやつが幼馴染なんかにいればな」
ぶつかったのは、ゼフィード・ゴートン。
幼少期、私が男爵令嬢時代からの知った仲である。
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