第23話 貴族令嬢にあるまじきゲストルーム脱出作戦
カラカラという音と共に、地面が僅かにカタカタと揺れる。
視界は白で遮られていて、どうなっているかは見えない。
それでも私の乗っているものを押すのが石鹸のにおいの彼である事と扉の開く音、先程までより近くなった外のメイドのにおいから、何となく状況は察せられた。
「おや、どうされましたか? クレメント辺境伯令嬢様はお目覚めに?」
「いいえまだ。しかしお目覚めになられたら、きっと温かいお飲み物をご所望でしょうから、こうして準備をしに行こうかと」
「あぁなるほど、それでワゴンを」
納得した様子のメイドの声。
もしかして今、ワゴンに目を向けているのだろうか。
ワゴンの下の段、布で目隠しされている部分に身を丸めて潜伏している私は、猶の事身を固くした。
バレてしまいはしないだろうか。
いや普通は令嬢が、こんな所に隠れているとは思わないか。
目では確認する事ができない外の状況に戦々恐々としながら、私は必至に息を殺す。
「しかしそれでしたら、私が行きましょう」
「いえ、大丈夫です。実は私も、こうして仕事に体を動かしている方が落ち着くのです」
「そうですか、分かりました」
ロンが心配に苦笑したような声を発すると、相手のメイドは納得したように頷いてくれたようだった。
「ではその間、代わりに辺境伯令嬢様のおそばについておりましょうか?」
「ありがたい申し出ではあるのですが、エリー様は自分が眠っている時に他の方が寝室にいる事を嫌われますから。しかし起きた時に不安に思って部屋から出てくるかもしれません。よろしければもう少し、こちらにいてくださると嬉しいのですが」
「畏まりました。ではそのように」
すんなりと応じてくれた彼女に、私はホッと息を吐く。
私も一応貴人である。
他家の貴人の反感を買いたいという奇特な人間でない限り、これで私が部屋にいないとバレるような事はないだろう。
しかし、そんな安堵がよくなかったのかもしれない。
カタンと近くで音が鳴る。
どうやら無意識のうちに身じろぎをしてしまったようだ。
マズい、停止したワゴンからは鳴るはずのない物音だ。
バレてしまう。
そう思ったところでロンがすかさず、何食わぬ声で「それでは」と告げる。
「そろそろ行ってまいります。仕事をしている方が心配も紛れるとはいえど、長時間エリー様から目を離すのもやはり不安ですから」
「そうですね。あぁ、お湯がある厨房はここを真っ直ぐいって突き当りを右。茶器などのある食堂は……ここから道を聞くよりも、厨房で聞いた方が幾分か分かりやすいと思います」
「分かりました。聞いてみます」
相手に何の不思議も抱かせず他家を歩く許可を得るなんて、流石はロン。
そんな風に思っていると、グッと体の下から揺れた。
心なしか先程の出発の時よりも扱いが雑な気がするのは、もしかして物音を立てたことへの抗議なのだろうか。
だとしたら、正直言ってとても効いた。
ぶつけたばかりのおでこをうっかり、近くの支柱に強かぶつけたのだから。
カートに隠れて揺られながら侯爵邸を進行中の私は、周りに誰のにおいもない事を頭の端で確認しながら、思わず「うっぷ」と口元を押さえた。
「どうしよう、ちょっと酔ってきた……」
「え」
そんな一言で迷惑そうだと分かるような返しをしないでほしい。
私だって別に好きで酔ったわけではないし、何ならカートが酔うものだなんて思った事さえなかった。
もしかしたら身を屈めるためにずっと下を向きっぱなしだったのが良くなかったのかもしれない。
「しかし普通に出歩いていたら、見つかった時に言い訳がつきません。せめてもう少し耐えられませんか?」
「が、頑張るけど、でも私、流石に道に迷われちゃったら我慢できる自信ない……」
組織の内密な作戦だ。
今回私が何をメリナ様に話すのかはおろか、彼女の部屋への道順さえ彼には情報共有していない。
必要に駆られて仕方がなく、先程口頭で一度教えただけである。
道に迷われる可能性は大いに存在するし、もしそれで私がリバース……なんて事になったらこんな場所に潜んでいた事も含めて、色々と貴族令嬢の沽券にかかわってくる。
「問題ありません。一度聞けば覚えられますよ、私も執事ですから」
私が図面をにらめっこして四日に渡って覚えた道順を、たったの一度、しかも口頭だけで……。
やっぱり私なんかより、彼の方が組織に向いているのでは。
そんなもう何度目になるか分からない事を考えながら、絶妙で不規則な振動に揺られ加速していく気持ちの悪さに耐える。
「そう、じゃあ信じるわ。極力ワゴンを揺らさずに、頑張って早く目的地に着いて」
「最善を尽くします」
「お願いよ」
そんなやり取りの下、カラカラカラカラと廊下を進む。
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