第29話 この指示書、最大の難関



 そんな中、彼女は一拍置いた後にゆっくりと顔を上げた。

 大きな目をパチクリとさせながら、こちらを見上げて口を開いてくる。


「これ、貴女の本ですか?」

「はい、すみません……」


 組織がくれた情報では、彼女は私よりも二つ年下。

 十三歳の令嬢だ。

 社交界歴も少ないだろうに、私よりも余程落ち着いた風体に思わず素で謝罪をしてしまった。


 彼女は「いえ」と言いながら私の本を掬い上げて、「『妖精の森物語』……」と本のタイトルを呟いた。


「えっと、もしかしてお好きなのですか?」

「は、はい! とても好きです! 特に妖精がカワイクテ!!」


 さっそく本のタイトルに食いついてくれた彼女に「今日のために買って読んだ甲斐があった」と思った。

 うまくやらなければという気持ちも相まって、思いの外また答えに力が入ってしまう。


 私の勢いに一瞬目を丸くした彼女は、しかしすぐに頬を綻ばせ「私も好きなのです、その本」と答えた。


「しかし大衆向けの本ですから、この本棚にはなかった筈。もしかしてお屋敷から持って……?」

「えぇ。たまには気分転換に場所を変えて読みたいと思いまして」

「なるほど、分かります。ここ、静かだし集中できますものね」

「そうなんです」


 努めて平静を装いながら、一生懸命に相槌を打つ。


 彼女の好きな本をあらかじめ読んでおき、その本をちらつかせる事で会話の糸口にする。

 ここまではどうにか、指示書通り。

 が、ここからは私の力量次第だ。

 

「キダノ伯爵令嬢は、どのキャラクターがお好きですか? 私は先程言った妖精や主人公のミアはもちろんですが、友人のリリノエも結構好きで」


 『妖精の森物語』は、ミアが迷い込んだ森の中で妖精たちに出逢い友情をはぐくんでいく話だ。

 人と精霊のやり取りが主軸になるため基本的に人間同士のシーンは少なく、中でもリリノエの登場シーンはそれ程大切な役割を担っている訳でもない。


 が、彼女の登場シーンはミアが唯一対人で気を抜いて話す事ができる場面である。

 性格や社交界でのエピソードなどの、本編では描かれないミアの日常が垣間見えるやり取りがとても多く、箸休めとしても優秀なほっこりエピソードばかりという点も嬉しい……と、私は思っている。


 指示書のワンポイントアドバイスとして「かなりの作品ファンなので、コアな感想で相手の気を引く事」と書かれていたから、思いつく限りのコアな感想を言ってみたつもりなのだけど、どうだろう。

 少し不安に思いながら彼女の表情をチラリと窺う。


 彼女は俯いて、ワナワナと震え出した。


 やばい。

 何か怒らせる事を言ってしまっただろうか。

 もしかしてリリノエが大嫌いとか?


 だとしたら、相手はかなりのファンである。

 とんでもない地雷を踏みぬいてしまった可能性がある。


 サァーッと血の気が引いた。


 失敗した。

 そう思い俯いてこぶしを握る。


 ごめんなさい、メリナ様。

 おばあ様の大切な髪飾り、取り戻す事ができませんでし――。


「わっっっかります!!」

「へ?」


 思わずつむじから空気でも抜けたかのような声が出た。

 

 私の両手を彼女の両手が、救い上げてガシッと包み込む。

 意外と強いその力に流石に戸惑いが隠せないけど、彼女は気がついていないようでその手をブンブンと上下に振ってきた。


「リリノエはミアと読者の心のオアシスなのです! それに、実はそのシーンから他のシーンの様々な考察が……ハッ! す、すみません」


 勢いづいていた物言いが、尻すぼみに収束する。


 しきりに周りを気にしているのは、図書館内が私語厳禁の空間だからだ。

 口を噤んで辺りを見回し、他の人の迷惑になっていないと分かって彼女はホッとする。

 彼女の父はグレンディース侯爵と共に悪事を働くあのキダノ伯爵だけど、彼女自身は前情報の通り、どうやら常識的で善良な令嬢であるらしい。


「私ったらつい。『妖精の森物語』のような大衆作品は貴族はあまり読まないらしく、こういう話ができるお友達もいなくて」

「わかります。私もそうです。屋敷のメイドとは話しますが、こうして貴族の方とこの作品についてお話したのは今日が初めてで」

「まぁそうなのですね? 同じです!」


 口元で両手の指の腹を合わせて、彼女は嬉しそうに笑う。


「ならば猶更、できればもう少しお話したいですわ。よろしければ外で少し」

「申し訳ありません、ロロカ様。私、今日はこの後用事がありまして」

「そうなのですか……」


 シュンとした彼女に少し罪悪感を感じたのは、これが指示書に基づいた嘘だからである。

 しかしすべてはメリナ様のため。

 心を鬼にしてこちらも寂しそうな顔を作る。


 すると彼女は明暗を思いついたように、パッと顔を明るくした。


「では後日、我が家にお越し頂けませんか? 本の感想も言い合えますし、この作品がお好きなのでしたら、他にも紹介したい作品があるのです」


 やった、と思った。


「本当ですか?! 喜んで!」

「よかった。では、日時についてはまたお屋敷に手紙を送ります。楽しみにしています、クレメント辺境伯令嬢」

「よろしければ、エリーとお呼びください」

「分かりました、エリーさん」


 私たちはそう言って笑い合う。


 

 私は心の中で、大きくガッツポーズをした。


 ロロカ様と繋がりを作り、家に招待してもらう事。

 それが指示書の第一段階であり、私の能力が大いに試される、この指示書最大の難関だった。



 あとは招かれた屋敷で、目標の品を見つけ奪取するのみ。

 それに関しては詳細な指示書が組んである。

 いつも完璧な指示書なので、その通りやれば問題ない。


 この時私は、そう思っていた。

 

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