第22話 会場から抜け出すための方策
そもそもクレメント辺境伯家が社交の場を提供する事は滅多にない。
表向きには「辺境伯家は他国との国境を守る大切な仕事を担っている。他国からの侵略に休みという概念は存在しない」という、傍から聞くと納得せざるを得ない理由があるのだが、辺境伯様に聞くと「単に面倒くさいだけ」らしい。
子息令嬢も皆、社交よりも武芸に秀でている。
社交場は退屈なんだそうだ。
だから「もしエリーがパーティーを主催したいのなら、しても構わないからな」と言われてはいる……けど。
「あー……はい、考えておきます」
私にだって一応は、関わる人を選ぶ権利くらいはある。
そうでなくともこれまで社交場を主催する事なんてなかった私だ。
もしそんな場を開く事によって、特に仲良くしたいと思っている訳ではない人とも仲良くしなければならくなるのだとしたら、そんな面倒臭そうな場所、絶対に開きたくはない。
しかし私が引きつる笑顔で告げた遠回しの拒絶にも、ディアナ様は「えぇ、招待状、ぜひお待ちしていますから」と言ってくる。
こちらの気持ちを分かっていてのゴリ押しなのか、それともどうしようもなく鈍感なのか。
判断のしようがないからこそ、苦笑せざるを得なかった。
ディアナ様の長話を一方的に聞かされた私は、解放された時にはドッと疲れていた。
何だか一仕事終えた後のような疲労感だけど、私の元々の目的は、何もディアナ様の話を聞く事ではない。
目的であるメリナ様との邂逅は、未だに叶っていない。
ディアナ様によると、今日は『本人の強い固辞』による社交場への欠席らしいけど、おそらく事実とは違うだろう。
ここに来ていない・来ないという事にしているからには、おそらく自室にいるように申し付けているに違いない……というのは指示書に書かれていた事だけど、私も同感である。
あそこまで彼女がここにいない事を周りに呆れと共に吹聴して回っているのだから、来られては逆に困るだろう。
となれば、ここはやはり屋敷内を探して彼女に会わねばなるまい。
直接会って話をしなければいけない用事があるのだから。
頭の中に必死で記憶した指示書の内容を思い出しながら、乾いた喉を潤すための飲み物を取りに歩き出す。
えぇとたしかこの後はディアナ様が『特別な催し』と称して、旦那様からの頂き物のお披露目をする事になっているから、周りがそれに夢中になっている間に休憩を装ってコッソリとこの会場を――。
そう思った時だった。
ずっとヒールで立ちっぱなしだったせいで足に溜まっていた疲労が、弛み一つないカーペットにつま先を引っ掻ける愚行を侵された。
踏ん張ろうとして、脛がズキッと痛む。
お陰で抵抗も構わず、浮遊感のようなものを感じる。
まるでスローモーションのようだった。
光り輝くシャンデリア、驚いた顔の人々、そして最後は深紅のカーペットが目前に迫り――。
カーペットのお陰でベチンという音はしなかった。
代わりにビタンという音と共に、全身に衝撃を受ける。
「ふべっ!」
「エリー様っ?!」
この突然の転倒には、流石のロンも対応しかねたらしかった。
驚きと悲鳴が混じったような彼の声が、衝撃に突き飛ばされた意識の向こう側でしたような気がした。
ぶつけた鼻とおでこに痛みを感じながら、私はここで一度意識を手放した。
別に線上にいる訳でもないというのに、最近何かと痛い事ばかりだ。
おでこの痛みを感じながら目覚めた私は、まずそんな風に思った。
「う……ん」
「目が覚めましたか、エリー様」
「ロン」
彼の名を呼ぶと、私の顔を覗き込んでいた顔が少し安堵に緩んだ。
「驚きました。ものすごい音を立てて顔面から転んだと思ったら、動かなくなってしまったので」
「ごめん」
「次からは、転ぶときはせめて手を前についてください」
「はい……」
ぐうの音も出ない。
反省である。
辺りを見回してみると、どうやらここはゲストルームのようだった。
室内に置かれているのは、私が今寝ているベッドの他に、机と椅子、ソファーにローテーブル。壁際にはチェストが置かれており、壁には絵画が掛けられている。
今室内にいるのはロンだけ。
しかしよく見るとドレスを脱がされ寝間着を着ているし、痛むおでこには治療の跡がある。
後者はロンがやってくれたのかもしれないけど、前者はおそらくこの家のメイドが着せ替えてくれたのだろう。
「キダノ伯爵邸に続き、今度はグレンディース侯爵邸で部屋とメイドと服をお借りして……『華麗に他家のゲストルームを借りる令嬢』だと噂される日も、もしかしたら近いかもしれませんね」
「ちょっとやめてよ、不名誉すぎる……」
両方とも、残念な事の果ての拝借だ。
流石にそれは恥ずかし過ぎる。
ともあれど、今部屋に二人だけという事は、これはある意味チャンスである。
「予定とはちょっと違っちゃったけど、こうしてうまく会場から抜けられたんだもの。メリナ様に会いに行きましょう。窓から出て」
「窓から出て? エリー様、淑女として、流石にそれは……」
窘めるような彼の声は、ひどく呆れたようでもあった。
どうやら好きで窓から出入りするような物好きだと思われているのだと分かって、私は慌てて「違う違う!」と否定する。
「この部屋の外に誰かのにおいがするの。何が理由かは分からないけど、出ようと思ったら鉢合わせちゃうわ」
言いながら思わず声を潜めれば、一度出入り口を振り向いたロンも、同じように声を潜める。
「それでは仕方がないですね。どうせ止めても行くのでしょうし」
「流石はロン、分かってる」
私はニコッと笑みを浮かべながら、ベッドを出て窓へと歩きだす。
しかし窓を開け放ち、私は思わず上がった口角をヒクつかせる事になってしまった。
「エリー様、本当に下りるつもりですか……?」
ロンが言う通り、下りなければ部屋から脱出できない。
なんとここは二階だった。
秘密組織の一員であるけど特に運動能力に優れている訳でもない私には、もちろん飛び降りて華麗に着地できる自信はない。
チラリと見たのは、先程まで寝ていたベッドである。
あのシーツと、掛布団と、お菓子が乗ったワゴンの下には目隠し用の布がかかっているけど、流石にアレは使えない。
あとはカーテンもレールから外して……。
それでどうにかなるだろうか。
そこまで考えて自分が淑女生命的にも結構命がけな方法を模索している事に気がつき、自分の脳みその残念さに思わず絶望した。
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