第27話 感情移入が過ぎる主人 ~お目付け執事・ロン視点~



 エリー様と初めてお会いしたのは、彼女がクレメント辺境伯家へ養子にきた時だった。


「近く、一人娘が増える」


 彼女が屋敷に来る三日前、執務室に呼び出されてそう言われた俺は、一瞬「もしや旦那様には隠し子が?」と驚いた。


 が、違った。

 詳しく話を聞いてみれば、どうやら「家で貴族令嬢に与えられる筈もない不遇な扱いを受けていた令嬢を、養子として迎える事にした」という事らしい。


 子爵家から引き取るらしい彼女は、元々は男爵令嬢だったらしい。

 つまり養子のたらいまわしも同然だ。

 何とも複雑な話である。


「元の家に戻す事も考えたが、今回件の子爵家とは『エリーの身柄を文句を言わずに引き渡す代わりに、弱みを明るみにしない』という制約をした。内密に事を収めたが故に、家格が下のところに行けば個人的にも家としても、嫌がらせを受ける可能性がある」


 権力が蔓延る貴族の世界だ、中にはそういう方もいる。


 この話を受けたところで旦那様に利はなさそうに思えるが、きっと何かしらは引き取る理由があるのだろう。

 そもそも旦那様が決めた事、頷く他の答えを返す気も最初からない。


 そんな事をつらつらと頭の中で考えていると、旦那様が机の上に肘をつき、両手の指を顔の前で組む。


「先日一度その子・エリーに会ったが、性格は悪くない。少々最近の生活環境や元々の下級貴族としての暮らしぶりのせいで所作の粗さが目立ちはするが、その辺はどうとでもなるだろう。そもそも我が辺境伯家は、あまり社交場には出ないしな」


 じゃあ何故そんな真面目な顔をしているのか。

 旦那様の醸し出す空気に思わず身構えると、ハッキリとこう言われた。


「ちょっと素直で可愛すぎる」

「は?」


 思わず疑問の声が出てしまった。

 いかにも深刻そうな顔で一体何を言い出したのか、思わず呆れてしまったが彼はどうやら俺の戸惑いを別の方向に受け取ったらしい。


「いや別に恋情があるという話ではない。今でも私は妻にぞっこんだ。まぁ容姿も磨けば光るが、そもそもそういうのでもなくてだな。なんかこう、色々と目が離せない感じだ。見てると妙にソワソワとする」

「はぁ」


 いまいち意味がよく分からない。


「まぁお前もじきに分かる。お前にはエリー付きになってもらう。エリーは子爵令嬢だったが、子爵家では満足に教育を受けていない。男爵家相応の貴族の振る舞いしか身についていないだろう。お前にはその辺のフォローも含めて、お目付け役として付いてもらう。頼んだぞ、ロン」

「分かりました」


 旦那様の言う事の意味の意味は、その時は結局分からなかった。

 それでも旦那様の期待に応えるのが、俺のやるべき事である。


 そう思って彼に従い、三日後に彼女――エリー様と初めて会ったのだ。



 エリー様は、辺境伯家に相応しい服を着た、十代半ばの令嬢だった。

 しかし一目見れば分かる。


 血色が悪い。

 肌が荒れて髪もカサカサ、よく見れば指にも少しあかぎれがある。

 旦那様が言っていた『子爵家での生活環境が悪かった』というのは、きっと本当なのだろう。

 

 彼女は俺を紹介されると、顔色を窺うように見てきた。

 ニコリと笑みを向けるとビクッとして、半歩ほど下がってグッと止まる。


 両手でギュッとドレスを握りぎこちなく笑いかけてきた彼女は、どう考えても無理をしていた。

 怖がられている事はすぐに分かった。

 それだけで、彼女が使用人から世話をしない以上の何かをされていたのだろうと想像できた。



 彼女が使用人を怖いというのなら、ある程度距離を取ればいい。

 互いの関係が良好であるに越した事はないけど、別に仲良くしなければ仕事ができない訳ではない。

 彼女が一定の距離を望むのなら、こちらはそれに倣うのみ。

 そう思い、俺は一歩下がった場所で彼女を見守る事にした――のだが。



 いや、最初はちゃんと距離を取れていた。


 しかしエリー様は、ティーカップを片手にノスタリオ公爵の手紙を読み、夢中になり過ぎてカップを取り落す。

 よく聞き間違え、明後日の答えを返す。

 庭で花に水をやりたいというのでジョウロを渡せば、水やりの途中でヘッド部分がすっぽり抜けて、焦り、芝生に足を取られて後ろに転ぶ。


 他にも数えきれない程。

 旦那様が言っていた「目が離せない」の理由を、正しく知った。


 その姿を一番近くで見ていた俺は段々と、ハラハラドキドキする一方で「あぁそんな事をすると」という、苦言を呈したくもなってきた。

 結局放っておくことなどできず。


「危ないっ」


 エリー様の執事になった記念すべき五日目に、初めて彼女との距離を詰めるに至った。

 完全に反射だった。

 転びそうだった彼女を受け止めてから「やってしまった」と思った。


「あ、失礼し――」

「ありがとう」

「え」


 ずっと俺を避けている風だったのに、お礼が返ってきた。

 意外だった。


 思わず彼女の顔を見ると、そこには先程までより少しばかり硬さの取れた笑顔があった。

 少し驚き、ちょっとだけ心を開いてくれた事に嬉しくなって、俺は「いえ」と安堵に笑った。


 彼女の行いに「こうすれば危なくないですよ」と言い始めたのは、それから少し経ってから。


 そして今は。



「あっ」

「ペーパーナイフの扱いには再三言っているのに……」


 ため息と共に思わず口から洩れた言葉は、もちろん彼女の耳にも届く。


「煩いわよ、ロン」

「しかし中の手紙は枚数が増えてしまいましたよ?」

「ま、枚数が増えても並べれば読めるじゃない!」

「だからといって、わざわざ一枚を二枚にする必要はないでしょう。ペーパーナイフで手紙を開ける時には、中の手紙にも切り込みを入れないように少し気を付けるだけで、無残な手紙の量産を減らす事ができるというのに」


 関係性は変わっても、エリー様は相変わらず目が離せない。

 そんな彼女を注意するのも、いじけ顔を見るのにも慣れた。


 そして彼女の事も知った。


「あ、組織から返信がきてる!」

「そういえば今回、いつも以上に返信を待ち望んでいましたね。何かあったのですか?」

「いや、前回の報告と一緒に一つ、追加ミッションの進言をしてて」

「追加ミッションですか?」


 首を傾げながら彼女に聞き返すと、半分だけ色の濃い赤い封蝋の付いた手紙に目を落としながら、彼女は言った。


「えぇ。どうしても取り返してあげたくって」

「あぁ」


 先日のグレンディース侯爵夫人とエリー様のやり取りの場に居合わせていた俺には、何の事を言っているのかすぐに分かった。


 正直言って、彼女はあまり組織向きではないと思う。


 彼女は情を持ちすぎる。

 ノスタリオ公爵に対してもそうだし、の事も信用し過ぎている気がする。

 今回の事だってそうだ。


 クライアントに対する感情移入が過ぎている。

 これまで何度もそのせいで、危うく自身の正体がバレる場面があった。


 が、組織向きではないそれは、彼女という個人の長所でもある。


「仕方がない人ですね、エリー様は」

「聞こえなかった。何か言った?」

「いいえ何も」


 俺がそう答えれば彼女は「そう?」と言って、再び手元に目を落とす。

 そんな彼女を、俺は見守る。


 今までそうだったように、これからもおそらく見守るだろう。

 たとえば彼女が嫁ぐまで、短いのか長いのか分からない日々、俺は見守り続けるのだろう。


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