第17話 ピンチ! 近づいてくる足音の恐怖



 手に取っていたのは、紙だった。

 ある絵が書かれていたのだが、その内容が問題だ。


 そのすべてに、あられもない女性の姿が描かれていた。

 ゆっくりと元の場所に戻す。


 こういうのを隠したい気持ちは分かるけど、できれば書斎のこんな紛らわしい場所に隠したりしないでほしかった。



 本を戻し、お腹から「はぁ」と息を吐く。

 よし、忘れよう。


 次が、指示書に書いてあった最後の候補場所だ。


「『壺を退ける』って書かれていたけど……」


 そう呟きつつ、執務室の中を横断する。


 正直言って、指示書の候補場所の中で一番よく分からない記載がこれだった。

 壺はこの部屋に一つだけ、チェストの上に置いてある。

 それをヨイショと両手で持ち上げた。


 それなりの大きさの陶器の壺なので、重量もそれなりにある。

 ズシッとした重みに思わず「意外と重……」と呟いて、気がついた。


「あれ、なんか壺が置いてあった場所の天板がちょっとだけ浮いてる」


 その天板に触れたのは、ほぼ反射に近かった。

 触ってみると飛び出た部分が、ばね状のスイッチのように押し込めそうな雰囲気だった。

 あまり深い事は考えずに、その部分を押し込んだ。


 次の瞬間。


「いたぁっ!!」


 脛を何かに強かぶつけた。

 突然与えられた衝撃と痛みに、思わず声が出る。

 一緒にブワッと涙が出た。

 それでも壺を取り落さなかった私を、どうか誰か、褒めてほしい。


 壺を隣に置いてから、しゃがみ込んで脛を押さえる。

 一体何が脛に攻撃を。

 そう思って足元を見ると、チェストの底板の部分が不自然に飛び出ていた。


 これのせいか。

 そう思いキッと睨みつけて、それが隠し引き出しだと気がついた。

 そういえば、最初はこんな所なんて出っ張っていなかった。

 きっとさっき天板を押した事で、現れたものなのだろう。


 中には何枚かの紙束。

 先程の女性の姿絵を思い出し、恐る恐る手を伸ばす。


 しかしそこにあったのは『会計資料』に『指示書』に『密約書』……これだ、私が探していたもの!


 密約書には、二つのサインが書かれている。

 一つはキダノ伯爵の名前。

 もう一つは――グレンディース侯爵の名前だ。


 

 会計資料は、その密約によって発生した収入や支出を書き留めたもの……だろうか。

 指示書は誰かに対するもの?


 ……いや、私が知る必要はない。

 私が今すべきは、指示書に書かれていたものと特徴が一致する、この三枚を、偽物とすり替えて持って帰る事だ。



 やっと出番がきた偽物を、腕の袖の中から取り出す。

 紐を解いて開き、それらを本物と入れ替える。


 手に入れた証拠はまた筒状に丸めて紐で縛り、腕の裾へ。

 よし、これで無事――。



 ハッとした。

 私の嗅覚が告げている。


 ロンではない、誰かのにおいが近づいてきている。



 もしかしたら、別の場所に用事があるのかもしれない。

 そんな希望的観測をしたいところだけど、逆にここに用事がある可能性もある。


 どどどどどうしよう。

 どうしよう?!


 アワアワと慌てて、室内をウロウロ。

 とりあえず執務机の下に隠れる。



 今の私にできる事なんて、後は膝を抱えて小さくなり天に祈る事くらいだ。


 来ないで。

 来ないで。


 あぁ来てる。


 来ないで。

 お願い。


 近づいている。


 心臓が、ドッドッドッドッと音を立てている。

 もしかして、この音で人がいるってバレたりしてしまわないだろうか。

 それは困る。

 とっても困る。


 心臓よ、止まれ。

 心臓よ、止まれ。

 

 ドッドッドッドッ。


 扉の前で、においが止まった。

 カチャリと軽く音がしたのは、ドアノブに手を掛けた音だろうか。

 呼吸の音さえノイズな気がして、両手で口元を押さえる。

 目をギュッとつぶりながら「も、もうダメだ」――と考えた。


 その時だ。


 パリィィィィン!!


 外で何かの割れる音がした。

 部屋の前で「何事です」という男性の声がし、においが遠ざかっていく。


 

 何が起きたのか、頭が回らずよく分からない。

 しかし助かった事だけは分かった。


 お腹の底から、思わず「はぁぁぁぁぁぁぁーっ」と息を吐き出した。


 のそのそと、執務机の下から出てくる。

 見知った石鹸のにおいが近づいてきている。

 ロンだ。


 きっと彼が、外で何かしら「来訪者の気を引く事」をしてくれたのだろう。


 流石はできる執事である。

 頭の中でそう思いながら、立ち上がってギョッとする。


 先程中身を差し替えたばかりのあの引き出しが、開いたままになっていた。


 あぁぁぁあ危なかった。

 もしこの部屋に入って来られてしまっていたら、私が見つからなくっても誰かがここに忍び込んだ事がバレてしまうところだった。



 本当にロン様様である。

 深い感謝の心を抱きながら、隠し引き出しを元の状態に戻す。

 普通のチェストに戻ったのをきちんと確認して、深く「よし」と頷いてから壺を元の場所に戻しておいた。


 改めて鼻をスンとさせたが、近くにある動くにおいは一つだけ。

 

 よし、大丈夫。

 そう思った後で、ゆっくりと扉を開いて外を覗く。


 誰もいない。

 しかし遠くから見られては敵わない。

 急いで部屋から出て扉を閉めて、速足で歩き、通路を曲がった。

 ホッと息を吐いた私に石鹸のにおいが近付いてくる。


「成果のほどは?」

「見つけたわ」


 誇らしげに私がそう言うと、彼は淡い笑みを浮かべて「お疲れ様でした」と労ってくれた。


「ロンも、ありがとう」

「何がです?」

「部屋にきそうだった使用人の気を引いてくれたのは、ロンでしょう?」

「あ、いいえあれは」


 ロンが少し顔を曇られた。


「それが、ちょうど別のメイドに捕まってしまっていて。どうしたものかと思っていたら、遠くの方で何かが割れる大きな音がしてその方はそちらに」


 なんと、彼ではなかったようだ。

 という事は、もしかしてただ運がよかった……?

 

 だとしたらものすごい幸運だ。

 日頃の行いがいいお陰なのかもしれない。


「さぁ戻りましょう!」


 そう言って、お茶会会場に戻る道のりを一歩踏み出して――意気揚々と降った腕の裾から、隠していた大切な証拠物がスポンと前に発射された。


「……」

「……」

「……私が持っておきましょう」

「ヨロシクオネガイシマス」


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