第2話 自慢の妹

「……大丈夫?」

「あれ、ここは?」


 目を開けると眼前には美しい顔があった。


「ごめんなさい、私のせいで……でも、なんともなくてよかった」


 悲しそうな顔をした後で、ほんのり笑う九条さん。

 そして、今の体勢をようやく自覚すると、俺は九条さんに膝枕をされていた。


 え、膝枕!?


「あ、ごめん!」


 思わず飛び起きる。

 すると、俺を覗き込むその顔と急接近する。


「あ……」


 少し目が合った後、互いに目を逸らして、慌てて彼女から距離をとる。


「あの、ごめん……介抱してくれたんだ」

「う、うん。勝手に運んできたの、ごめんね」

「運んだって、ここ隣の公園だよね? どうやって」

「お姫様だっこ、して……」

「……」


 俺はどうやら、意識を失っている間に彼女にお姫様抱っこで隣の公園まで連れてこられたようだ。

 え、すんげえ男前だな、彼女……。

 ていうか人に見られてないよね……。


「と、とにかくありがとう。助かったよ」

「こっちこそ、ありがとね。シロ、とってくれて」


 彼女の横には、さっきとったシロクマのぬいぐるみが座っていた。

 それを優しくなでる彼女は、噂に訊く最恐の女とは程遠い、むしろ聖女のように見える。


「喜んでもらえたならよかった。よく、ゲーセンには来るの?」

「うん。でも、あの店は初めて。宮永君は?」

「俺は常連だけど。そっか、九条さんもゲーセン好きなんだ」


 ぬいぐるみに名前を付けるような女子なんて、やっぱりどうかとも思うけど。

 大事そうにそれを脇に置く彼女を見ていると、その心の純粋さが垣間見えるような気がして、バカにもできない。

 ほんとはやっぱり、優しい子なのかな。


「ねえ、明日もあのお店行くの?」

「うん、そのつもりだけど。九条さんも?」

「宮永君が来るなら、行こうかな……」

「え?」

「じゃあ、これ。大事にするね」


 スッと立ち上がると、彼女は大きなぬいぐるみを抱きかかえたまま歩き出す。

 その後ろ姿に思わず見蕩れてしまう。

 彼女の明るい髪の毛が夕陽に照らされて真っ赤に映える光景が、とても印象的だった。



「ただいまー」


 俺の声が静かな家に響くと、奥から足音が。


「おにい、おかえりー」


 出迎えてくれたのは妹のすずね。

 俺の一つ下の中学三年生である彼女は、しかし反抗期なんてものも一切見せない、できた妹だ。


 この歳で、男女の兄妹が普通に仲良しというのも案外珍しいと思うが、それもこれも彼女の優しい人柄のおかげである。

 それにすずねは、俺なんかよりとても優秀だ。


「ねえおにい。私今日も表彰されたんだよ。成績優秀者で」

「すげえなすずねは。県外受験でもした方がいいんじゃないか?」

「やだよー。おにいと一緒の高校行きたいもん」


 彼女は、中学始まって以来の秀才として、勉強面で様々な表彰を受け続けている。

 去年までは同じ学校に通う者同士、よく比べられて苦労した。


 中学の先生たちの俺に対する認識は「すずねの兄」というもの。

 ひどい先生なんて俺のことを「おにいさん」とか呼んでたくらい。

 あれは名前を憶えてすらなかったと確信する。


 そんな彼女が俺と同じ高校に行きたいなんていってくれるのは嬉しい限りだが。

 しかし兄としては少し心配だ。


「うちは進学校でもなんでもないぞ。勉強できるとこにいけよ」

「勉強なんてどこでやっても同じよ。教科書さえくれたら自分でやるし」


 なんとも頼もしい言葉だ。

 まあ、確かに進学校に通ったからといって頭が良くなるというわけでもない。

 

「はいはい。で、今日の晩御飯は?」

「おにいの大好きなカレー。すずね特製だよ」

「お、いいね。じゃあ風呂入ってくるわ」


 すずねは、この辺でも評判の美人だ。

 彼氏こそまだいないみたいだけど、いつも大量のラブレターをもらってくる妹はぱっちり二重の愛くるしい姿とまるで声優のような萌え萌えした声で多くの男子を魅了する。

 俺だって、あいつが妹じゃなけりゃ惚れてたまである。

 ほんと、自慢の妹だよ。


 などと妹のことばかり考えながら風呂に入る。 

 先に帰って風呂を沸かしたり飯を作ったりしてくれる、できた妹のおかげで兄はすっかりダメ人間だ。

 何もしない亭主関白な旦那のように、身の回りの世話を妹に任せている俺だけど、しかし、だからこそ妹の幸せは常に願っている。


 はやくいい相手が見つかったらいいのになと、いつも思っているがそれでもすずねは「おにいよりかっこいい人がいないもん」と、これまた随分ブラコンなことを言って俺を喜ばせてくれる。


 ほんと、兄妹じゃなかったら結婚してたかもなすずねと。


 また、バカなことを考えながら体を洗い、風呂を出る。

 着替えて彼女の待つキッチンへ行くとカレーの良い匂いが。


「お、できたみたいだな」

「うん、食べよ食べよ」


 ちなみにうちは、父も母も転勤族。

 全国を飛び回る営業職として、現在夫婦そろって北の大地へ赴任している。

 

 なので我が家は二人っきり。

 でも、すずねといると寂しさはない。


「いただきまーす。うん、うまいよ」

「わーい。いっぱい食べてねおにい」


 いつもの、平和な食卓で二人っきり。

 妹とイチャイチャしながら仲良く夕食を食べていると、玄関のチャイムが鳴る。


「はーい」


 口を拭いて、玄関に向かうとすりガラス越しに白い影が見える。


 ……なんだあれは?


「お待たせしまし……九条さん?」


 玄関に立っていたのは、さっき別れたばかりの九条さん。

 さっきのシロクマも一緒だ。


「どうしたんですか?」

「……タグ」

「たぐ?」

「タグが、外れないの。どうやったらいいか、教えて」


 なぜか、既に泣きそうになっている彼女はシロクマのお尻のところを俺に向けてくる。

 そこには、しっかり縫われたタグがひらひらと。


 ……。


「いや、ハサミ使ったらいいんじゃ」

「シロにハサミ向けるとか怖いもん! ねえ、とってよ」


 視線を向けられただけで失禁させるとすら恐れられている彼女が、ぬいぐるみにハサミを向けるのが怖いとか、よくわからないことを言ってくる。

 ていうか家、なんで知ってるんだ?


「あの、俺の家はどうして」

「そんなことは今はいいの! 早くお願い!」

「わ、わかりましたよ……そのタグを外せばいいんですね」


 そう聞くと、コクリと頷く彼女は俺にシロクマを渡してくる。

 俺はそれを黙って受け取って、ひとまずそれを置き、部屋からハサミをもって再び玄関へ。


 まあ、タグをちょきっと切って終わりなのだけど。


「はい、これでいいですか?」

「わあ! ありがとー宮永君!」

「ま、まった! 抱きつくの、な、し……」

「ぎゅー!」

「あ、あが、が……」


 今度は正面から。

 俺の胸部辺りにムニッと気持ちよい感触が残る中、またしても息ができずに意識が飛びそうになる。


 と、その時。


「おにい、その人だれ?」


 妹の声が。

 すると、俺を締め付ける力が弱まり、彼女が俺を解放する。


「あ、すみません。私、宮永君の同級生の、あの、くく、くじょ、九条です。い、妹さんですか?」


 随分緊張した様子で九条さんが挨拶するのを俺は、必死に酸素を体に集めようとひゅうひゅう息をしながら聞いていた。


 妹はそれに対して「ほーん」と。何かを悟ったような顔をしてこっちに来ると。

 息が荒れている俺に後ろから抱きつく。

 また、柔らかいものが当たる。


「私はー、おにいの彼女でーす。えへへー」


 こういうふざけたノリは、すずねの得意技だ。

 彼女の同級生が家にやってきた時によく、「私の旦那さまー」とか言って俺を紹介する無邪気な妹のこういう洒落は、実は嫌いではない。


 しかし、目の前にいる金髪美人の同級生は。

 大きな目をさらに大きく見開きながら。

 

 さらにその目から涙をじわっと浮かばせて。


「さ、さようなら!」


 そういって、玄関を飛び出した。

 一人で。

 シロクマを置き去りにして。


「あ、ぬいぐるみ」

「おにい、あの人同級生?」

「え、うん、まあ。そうだけど」

「じゃあ明日渡せばいいじゃん。もう夜だから、休もうよ」

「そ、そう、だな」


 と言いながらも彼女が気になって。

 妹がキッチンに戻った後でこっそり玄関を出て彼女の姿を探してみたが、もちろんいるわけもなく。


 彼女の為にとってあげて、彼女にあげたはずのシロクマをなぜか部屋にもって帰って、ベッドの上にそっと置いてから、深いため息をついた。

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