第38話 お祭りに舞い降りた天使

「ああ、まだかなまだかな」

「おにい、落ち着いて。夕方までまだ時間あるから」


 九条さんとのお出かけは夕方から。

 彼女が迎えに来てくれることになってるんだけど、朝から待ち遠しくて落ち着かない。

 昼飯を食べてからずっとリビングをうろうろしたり座ってテレビを見たりを繰り返しながら。


 しかしまだ時間はこない。

 いい加減待ちきれず、こっちから彼女の家に迎えに行こうかと思っていたところで玄関のチャイムが鳴る。


「あ、九条さんかな」

「待っておにい。ミクの可能性もあるから私が行ってくる」

「え、でも」

「いいから待ってて」


 すずねには、「おにいは隠れててね」と言われて渋々リビングに引っ込む。

 そして、この来客が九条さんであることを切に願う。


 ……ミクちゃんだったらどうしよう。

 すずね、助けて……。



「はーい。お姉ちゃん、わざわざありがと」

「すずねちゃんこんにちは。あれ、宮永君は?」

「おにいには昨日言ったとおりのサプライズ作戦よ。ささっ、私の部屋で着替えてきて」

「う、うん」


 お姉ちゃんを部屋で着替えさせて。

 浴衣姿の九条龍華を見ておにいが興奮して。

 そのまま二人でお出かけしてドキドキしたままお祭りを終えて。

 やがて暗くなってムードが出てきてそのまま……


 なあんて展開が理想だけどこの二人だと絶対うまくいかないだろうけど。

 あわよくばおにいから仕掛けてほしいけどヘタレだし。

 こういう時は女の方が強いってもんだから、今日はお姉ちゃんがんばっ!


「き、着替えできたよ」

「ほわあ……」


 この前も見たんだけど、改めて見てもめっちゃ可愛い。

 いやあ女でも惚れるわあ。

 すずねが男だったら絶対お姉ちゃん口説きにいくなあ。

 おにいはやっぱり見る目あるんだなあ。


「じゃあおにいはリビングにいるから、行ってあげて」

「う、うん」

「あと、もし雰囲気よかったらここでチューしてもいいですからね」

「そ、そんなの無理だよー!」

「あはは、でも今日中にってとこは頑張ってくださいね。じゃあ、気を利かせた妹は出かけますので」


 私は龍華お姉ちゃんを置いてさっさと家を出ていく。

 

 後はおにいと二人でがんばってねー。

 



「おそいなあすずねのやつ」


 玄関に来客を出迎えに行ってからしばらく経つが、すずねが戻ってこない。

 もしかして九条さんじゃなくて友達が来て、立ち話でもしてるのだろうか。

 ……ミクちゃんだったら怖いし、様子を見に行くのはやめておこう。


 落ち着かないまま、でも落ち着かせようとリビングの椅子に座ると、廊下から足音が聞こえる。


 ようやくすずねが戻ってきたと、扉の方を見ると人影が現れる。


「宮永君」

「え……」


 九条さんが、いつぞやのように髪の毛を団子にして、そしてなんとも爽やかな薄ピンクの浴衣姿で立っていた。

 そのあまりに美しい恰好に、俺は言葉を失う。

 

「へ、へん、かな?」

「……」

「や、やっぱ変?」

「……え、いやいやそんなことないよ! め、めちゃくちゃ可愛い!」

「か、かわ、いいの?」

「う、うん! 嘘みたいにかわいい……」


 ついでに思考力も失ってしまった俺はひたすらかわいいとしか。

 もう、それ以上の言葉はなかった。


「よ、よかった……じゃあ、えと、ちょっと早いけど出かける?」

「う、うん。行こっか」


 訊けばすずねは先にどこかに出かけたそうで。

 九条さんと二人で家を出て、道路に出たところで彼女の方からそっと手を繋いでくる。


「あ」

「手、冷たい?」

「う、ううん大丈夫。ちょっとびっくりしたから」

「宮永君、手おおきいね」

「そうかな。九条さんは、指も細いね」

「……楽しみ」

「うん」


 照れながら、出店がある商店街を目指す。

 毎年すずねと行くイベントに、今年は九条さんと。

 人生で初めてできた彼女と、一緒だ。


 商店街に近づくと、俺たちと同じくちょっとしたお祭り気分で浴衣姿になった女性たちの姿や、家族連れ、カップルがぞろぞろと。


「なんか人多いね」

「今年はお店が増えたんだって。なんか色々食べたい」

「りんご飴とか、九条さんに似合いそうだね」

「そ、そうかな? でも、食べたことないから買ってみたい!」

「うん。行こう」


 二人で人混みに。

 まず最初に向かったのは、やっぱり可愛いぬいぐるみが置いてあるくじ屋さんだった。


「わー、あのぬいぐるみいいなあ。わんちゃんだよ」

「犬も好きなんだね」

「可愛いのはなんでも。ねえ、引いてみてもいいかな?」

「うん、一枚ずつやってみようよ」


 お店のおじさんの前にバラバラと広げられた三角の紙を破いて、そこにかかれた数字で景品をもらえるという古風なくじだけど、こういうのがお祭りっぽくて好きだなあなんて思いながらお金を払うと、隣から男の子が一人、小さな妹を連れて同じくお金を払って「一枚ください」と。


 先にどうぞと言って、彼を見ていると、「いぬ、いぬ、いぬ」と念じている。

 どうやら、彼もあの犬のぬいぐるみが目当てのようだ。

 というより隣にいる妹さんにそれをあげたいみたいで。

「絶対当ててやるからな」と、鼻息を荒くしていた。


 しかし、そうそう当たらないのもお祭りくじならでは。

 ハズレと書かれた紙を見て、「あー」と肩を落としながら、景品のティッシュをもらって、二人ともしょんぼりしていた。


 そして俺たちの順番になって。

 九条さんと、どれにしようかって少し盛り上がりながらやがてくじを手に取って。


 ピリッと紙を破る。


 俺は……はずれた。

 まあ、当たったところなんて見たことないよな実際。


「九条さん、どうだった? やっぱり」

「……った」

「え?」

「あたった! 当たってる!」


 嬉しそうに『大当たり』と書かれたくじを見せてくる彼女は、その場で俺にハグ。

 

「ぐえーっ!」

「あたったー! やったー!」

「ぐ、ぐじょう、ざ、ん……」


 俺は意識を失う寸前で彼女の背中をタップ。

 すると、慌てて彼女が俺を解放してくれた。


「ご、ごめん! こうふんしちゃって」

「げほっ……う、うんぎりぎりセーフ。でも、よかったね」

「うん、嬉しい……」


 でも、九条さんの顔はどこか浮かない。

 いつもならもっとはしゃいでてもいいはずなのに、何か気になることでもあるのだろうか。


「はい。おめでとうお嬢ちゃん」


 少しいかついおじさんが九条さんに大きな犬のぬいぐるみを手渡して。

 しかし九条さんは、それをもらってもはしゃぐ様子はなく、きょろきょろとあたりを見渡す。


「どうしたの? あんまり可愛くなかった?」

「そ、そうじゃなくてね……あっ、いた!」


 九条さんは、そう言ってすごいスピードで人混みをかき分けていく。

 ぬいぐるみをもった金髪美女の疾走に、多くの人が何事かと視線を向けて、やがてそのうちに誰かが「九条龍華だ」と。


 その言葉を訊いて、皆が目を逸らす。

 そして集団疎開でも始まったのかというように、ぞろぞろと人の群れは彼女から離れていく。


 そして人が散っていって彼女の姿がよく見えるようになると、そこにはさっきくじをひいていた兄妹が。


 九条さんがその子たちに近づくと、ぬいぐるみを渡す。


「はい、これ」

「え? なんで?」

「ほしかったんだよね。だからあげる」

「で、でもおねえちゃんも欲しかったんじゃないの?」

「そ、そうだけど。でも、妹さんの為にほしかったんだよね」

「う、うん」

「じゃあ、あげて。大切な人からもらったぬいぐるみってね、一生の思い出になるんだよ」


 おねえちゃんもそうだから。

 そう言って九条さんはぬいぐるみを彼に渡す。


 まるで天使のようだった。

 髪をあげて綺麗なうなじが色っぽい彼女の浴衣姿は言うまでもないが、それ以上に、すべてを許して包み込んでくれそうな優しい笑顔に、俺は見蕩れていた。


 俺だけじゃない。

 九条龍華を警戒して、距離をとりながら心配そうに彼女を見ていたギャラリーも、その美しさに魅了されているようで。


「綺麗」

「天使だ」

「やばっ」


 と、声が漏れていた。


 そして、九条さんがぬいぐるみを渡すと、女の子が「おねーたん、ありがと!」と言って。


 その言い方も含め、あまりに愛くるしい姿に九条さんは萌える。

 かわいいものが大好きな彼女は、思わずその子をロックオンして、両手を広げて。


「まずい! ちょ、ちょっと退いてください!」


 俺はとっさに人を押しのけて彼女の元へ。


 しかし間に合わない。

 あんな小さな子がスコーピオンハングを喰らったら、それこそ死んでしまう。

 あー、やばい!


「九条さん……ん?」


 しかし、彼女はそっと女の子を抱きしめていた。

 優しく、ふわっと包み込むようにして。


「おねーたん?」

「このお犬さん、大切にしてあげてね。あと、抱きしめる時は優しく、きゅっってするんだよ? こうやって、ね」

「うん! きゅっ、する!」

「えへへっ、かわいい」


 まるで天使の抱擁だ。

 女の子を優しく抱いた後、そっと離れて頭を撫でてから、九条さんは立ち上がる。


 そんな微笑ましい姿に、ここにいる誰もが癒されていた。

 そして、


「あ、宮永君」


 彼女が戻ってきた。


「ごめんなさい、勝手に飛び出して」

「ううん、大丈夫。九条さん、やっぱり九条さんは素敵だね」

「ど、どうしたの急にそんな……は、恥ずかしいよ……」

「あはは、可愛い。うん、九条さん、大好きだよ」

「……うん。私も、宮永君のこと大好き」


 そっと。

 彼女は大勢の人がいるのなんてお構いなく、ハグをしてくる。

 さっき女の子に教えてあげたようにきゅっと。

 大切なものを壊さないように、優しく包むように。


「……人、見てるよ?」

「いいの。今はこうしたいから」

「うん。でも、優しいね九条さんは」

「宮永君のおかげだよ。いっぱい、優しくしてくれたから私も人に優しくできるの」

「九条さんは元から優しいよ。だから好きになったんだから」

「……うん」


 今日は、この後力を込められて俺が気絶するなんてオチはなかった。


 優しいハグを堪能して、その後でさっきの女の子が「おねーたん、らぶらぶしてりゅ」と言って。

 その言葉で我に返った九条さんが、「きゃーっ、はずかしい!」と照れて、傍にあった柱を小突いて。

 商店街がまるで地震のように揺れて大パニックになって皆が大脱走を繰り広げたのちに逃げ遅れたりんご飴屋さんのおじさんが怯えながら、「これあげるから許して」と言って、ただでりんご飴をもらえて。


 そんなデートの結末も俺たちらしいと思いながら。

 俺が笑うと彼女もりんご飴をぺろりと舐めて。


「これ、甘いね」と言って笑った。


 その笑顔は、やっぱり天使のように美しかった。



 

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