第41話 お勉強しなさい

「九条さん、ここ間違ってるよ」

「えー、どこ? あれ、ほんとだ」


 ミクちゃんが道場に入門して即日退会した翌日の放課後。

 九条さんの部屋で、一緒に勉強をしている。


「九条さんって数学苦手だよね。俺は国語とかの方が嫌いだけど」

「おじいちゃんが代々伝わる巻物とかを読ませてくるから、古文とかはすっごく読めるの。でも、計算がほんと苦手で……」

「じゃあ、お互い苦手なところは助け合いだね」

「うん」


 いつもなら苦痛でしかない勉強も、九条さんとやってると天国みたいだ。

 時々彼女と肩が当たるたびに照れてしまうのだけど。

 でも、前よりちょっと積極的になった彼女は問題に詰まるたびに俺を見て。


「宮永君……んっ」

「……うん」


 キスをせがんでくる。

 

 これがまた死ぬほど可愛いのだ。

 顔を赤くして、目を閉じて少し震えながら。

 でも、しっかり唇をこっちに向けてそっと近づいてくる彼女とキスをすると、さっきまで詰め込んだ知識が全部吹っ飛んでいく。


 だからほどほどにと思うのだけど。


「……もっかい」


 こんなことを言われて甘えられたら無理だ。

 結局九条さんが満足するまでキスをして。

 気が付いたら日が暮れかかってて。

 実際、ろくに勉強ができていないのだ。


「……もうこんな時間だ」

「どうしよう、今日も全然はかどってない……」

「あ、明日は……図書館とかで勉強する?」

「そ、そだね。うん、そうしよっか」


 別にキスが嫌ってわけじゃなくて。

 むしろずっとしていたいくらいなんだけど。

 まあ、そうなると勉強がおろそかになってしまうので、敢えて明日は外で勉強することを選んだ。


 そして帰る時に九条さんが見送りに来てくれると、後ろから小さな老人がひょこっと顔を出す。


「あ、おじいさん」

「誰がお父さんじゃ!」

「……おじいさん、お邪魔しました」

「なんのなんの、邪魔どころか。しかし龍華よ、おぬしもなかなか好きよの」

「おじいちゃん、なんのこと?」

「いやいや、乳繰り合うのが好きなようじゃから、孫の顔もすぐじゃの。ほっほっほ」

「お、おじいちゃん! 覗いてたな! こらー、待て!」


 なんちゅうじじいだと呆れながら。

 九条さんがおじいさんを追ってどこかに行ってしまったのでさっさと家に戻る。


 すると、玄関ですずねが腕を組んで待っていた。


「お、おかえりすずね。遅くなった」

「おにい。これ、どういうこと?」

「え……それは?」


 すずねが俺に紙を見せてくる。


 それは、俺の学校の小テスト。

 赤点ギリギリの、隠していたはずのものだった。


「ど、どうしてそれを」

「おにいの机の引き出し、勝手に見させてもらったの。最近、お姉ちゃんと勉強してる割に勉強の話とか一切しないから変だなって。もしかして、勉強ちゃんとしてないんじゃない?」

「そ、それは……」


 まあ、正解だ。

 しかし、実の妹にまさか彼女とキスに夢中で勉強してませんでしたなんて言えるはずもない。


「ち、違うんだよ、それはテスト範囲じゃなくて」

「んーん、これは期末テスト向けのものだよ。こんなんじゃ進級も危ういよ? 彼女できてダメになる男なんて、お姉ちゃんが悲しむよ?」

「め、面目ない……」


 この後、すずねに久しぶりのお説教を喰らう。

 ただ、すずねも俺を心配してのことだったし、何より九条さんも俺につられて成績を落としていないかと心配だったそうで。


「そういえば九条さんと勉強の話、してなかったな」

「ほら。明日お姉ちゃんにもテストの結果聞いてみなさい。ちゃんとできないなら、私が二人の家庭教師するからね」

「は、はい……」



「龍華、このテストの点数はなんですか?」

「あ……」


 隠していたテストが、お母さんに見つかった。

 そして、勉強と称して毎日宮永君とイチャイチャしていたこともおじいちゃんのカミングアウトによってバレてしまい。


「もし期末テストで赤点とったら夏休みは外出禁止にするからね」

 

 と。


 それはまずい。

 まずいから上である。


 せっかく宮永君と付き合って最初の夏休みに、何も思い出を残せないなんてそんなのあんまりだ。


 いや、それどころか外出できない私に愛想をつかして他の女の子に乗り換えられるまで……。


 やだーっ!

 絶対ヤダーっ!


「や、やだよーお母さんっ!」

「泣いてもダメです、嫌ならちゃんと勉強なさい」

「えーんっ!」


 結局、お母さんは意見を曲げず。

 私は涙で枕を濡らしながら真剣に考える。


 ……まずは、キスを我慢するところからだ。

 我慢我慢……。


 ……。


 あー、したいよう。

 宮永君とキスしたいーっ!



「おはよう」


 今朝は寝坊したのか、少し遅くに学校に来た九条さん。

 しかし、その変わり果てた様子にクラスは歴代最高レベルの凍り付き方を見せる。


 目の周りが真っ黒で、さっき人を殺してきたような人相の彼女がフラフラっと教室に入ってくる様子は皆をビビらすには十分で。


 そのまま席について突っ伏した彼女を恐る恐る見ながら、皆が声を潜めて息をのむ。


 すごいプレッシャーだ。

 多分、夜更かしして寝てるだけなのに、びくともしない彼女のその姿に皆の背筋がピンと伸びて。


 やがて、チャイムと同時にガバッと顔を起こすと、皆がガタッと席を立って。


 脱走した。


 その様子を見た先生も、


「お、お腹いたい」


 とか、小学生みたいなことを言って脱走した。


 自習になった。


「……九条さん、大丈夫? 寝てないんじゃ」


 唯一残された俺は彼女に声をかける。


 すると、少し涙目の彼女が拗ねた様子で俺を見る。


「……お母さんに怒られた」

「え、なんで?」

「この前の小テスト、見られた」

「あー、俺もすずねに怒られたんだ。最近、サボりすぎてたもんね」

「うん……だからキスはお預けなの……」

「九条さん……」


 とても辛そうだ。

 そんなに俺とキス、したいのかな?

 いや、俺もしたい。

 お預けって言われると辛い。


「……放課後はなし、だよ?」

「え?」


 少しがっかりしていると、九条さんにキスされた。

 そして、すぐに俺から離れると、照れながら彼女が「えへっ、教室でしちゃった」と。


 それが可愛いすぎて俺は思わず顔を逸らす。


「ふ、不意打ちはダメだよ九条さん……」

「だ、だって……」


 この後、九条さんの目は覚めたようで。 

 そして自分がやったことの恥ずかしさにようやく気がついたようで、「にゃーっ!」と声をあげて机を吹っ飛ばしてどこかに消えていった。


 顔を隠しながら脱走する彼女を目撃した連中は、俺が教室で九条さんとの格闘の末についに勝利したとなぜか確信。

 その後、噂は拡散。


 九条さんと対等な宮永隼人は。


 ついに九条さんに一矢報いたはじめての男として。


 なぜかヤンキーたちに目をつけられることとなった……。

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