第40話 内側から?

「おはよう」


 九条さんの声が、いつものように教室に響く。

 彼女の声を聞くと、クラスメイトの誰もが怯えながらそそくさと道をあける。


 九条龍華。

 最恐の名をほしいままにするこの一帯では知らない人はいないヤンキー。


 そして。


「み、宮永君。今日はおうちで勉強だね」


 俺の彼女である。


 美しいプラチナブロンドの髪の毛を長くのばした、切れ長の大きな目の女の子。

 彼女の伝説は数えきれないほどあるが、そのどれもが彼女の持つ『剛力』による誤解であって。


 実際は、


「おうちで勉強する前に、ゲーセンでぬいぐるみとってほしいなあ」


 可愛いものに目がない、ただの可愛い女の子である。


「うん、いいよ。最近行ってなかったもんね」

「やた。最近お友達が増えなくて寂しかったんだあ」

「あはは、そのうち置くところがなくなっちゃうよ」

「そーなの……それにこの時期は湿気が多くてみんながカビ生えないか心配なの」


 雨が鬱陶しい梅雨時期になった。

 あと二週間に迫った学期末テストは、他の学校より少し早めに行われる。


 というのも、うちの学校は夏休み前に文化祭があるのだ。

 学校の方針で、テストが終わってからの方がメリハリがついていいだろうということで。

 だから最近は九条さんと毎日テスト勉強の日々。

 もちろんその後の文化祭のこともあれこれ計画してるところだ。


「ちょっと、トイレに行ってくる」


 そう言って九条さんが教室から出て行くと、張り詰めていた空気が解ける。


 そして、これまたいつものように彼女がいなくなるとやってくるやつがいる。


「よう、相変わらずラブラブしてんな」


 真壁カズヤ。ま、友人だ。


「なあ、最近ミクちゃんの姿を全然見ないけど元気にしてんのか?」

「ああ、毎日部屋に籠ってせっせとなんかしてるぜ。どうしたんだ、うちのミクに乗り換えるのか?」

「バカ言うな。一応、妹の友人だから心配しただけだ」


 ミクちゃん。

 カズヤの妹。

 可愛らしい女の子で、実は俺のことが好きだったとかなんとか。


 でも、あの子ちょっと性格が怖いんだよなあ。

 ま、最近はすずねからも話を聞かなくなったし、受験勉強とかで忙しいのかな。


「で、毎日九条さんと家で何してるんだ?」

「何って、勉強だよ。それ以外ないだろ」

「部屋で二人っきりなのに?」

「……そうだよ」


 まあ、実際ちょっとだけ嘘をついた。

 勉強はもちろんやってるんだけど。


 あの日以来、九条さんはちょっとばかし積極的になったというか。


「あ、戻ってきた。じゃあまたな」


 九条さんが帰ってきて、カズヤが去る。

 しかし戻ってきた九条さんは、ちょっとばかし不機嫌そうだ。


 その様子に、クラスが凍る。


「……何かあったの?」


 尋ねると、九条さんは少し残念そうな声を出す。


「さっき、猫がいたんだけど逃げられちゃった」

「……またペットショップもいこっか」

「うん、行く。じゃあ今度の休みに行こっ」

「だね」


 九条さんは可愛いものに目がない。

 ほんと、こんなかわいい人なのにどうしてみんなの誤解は解けないのか。

 せめて夏休みまでには、なんとかしないと。


 そんなこんなで放課後。

 いつものように九条さんと二人で帰っていると、前から一人の女の子が歩いてくる。


 ミクちゃんだ。


「あら、おにいさんじゃないですか」

「げ、元気そうだねミクちゃん久しぶり」

「それに九条さんも。仲良さそうですね」

「う、うん」


 ミクちゃんはにやりと笑いながら俺を見ると。

 大きなおっぱいを強調するようにグッと前につきだす。


「その様子だと、すずねからまだ何も訊いてないんですね」

「すずねから? 何も訊いてないけど」

「そうですか。ま、帰ってのお楽しみですね。ではまた、そのうち」


 何かとても意味深なことを言い残して、ミクちゃんはどこかに消えていった。


「……ミクちゃん、また変なことしなかったらいいけど」

「宮永君、今ミクちゃんの胸、見てた」

「え? そ、そんなことないよ」

「見てた! ふんっ、エッチな宮永君なんて……」

「……?」

「……好き」

「え?」

「嫌いなんて言えないもん! 好きっ!」

「う、うん」

「ハグ、して」

「う、うん」

「やなの?」

「そ、そんなわけないじゃん。じゃあ、失礼します」

「ぎゅーっ!」

「ぎゃーっ!」


 ちょっと久しぶりのハグだったので、加減を忘れていたようだった。

 見事に締め落とされた俺は、次に目が覚めた時にはもう帰宅していた。


 そして目の前で、九条さんがお約束のように泣きそうになっていて。

 ああ、平和だなあと思っていたところですずねがやってくる。


「おにい、龍華お姉ちゃんに迷惑かけたらダメよ。しっかりしないと」

「あ、ああ。いや、帰りにミクちゃんに会ってだな」

「ミクから何か聞いた?」

「そ、そういえばなんか意味深なこと言ってたっけ?」

「ああ」


 それはねえ、っと。

 少し呆れた様子ですずねはテーブルに肘をついて。

 ため息交じりに言う。


「あの子、龍華お姉ちゃんのおじいさんに弟子入りするんだって」

「え、なんで?」

「なんでも、内部から崩していくとかなんとか。自分で自分のことをウィルスだって言ってたよ」

「……」


 ということはつまり、ミクちゃんは何らかの誤情報を九条家にバラまいて、俺と九条さんの関係を壊そうと……。


「九条さん、それやばいんじゃ」

「んー、それに関しては大丈夫かなあ」

「え、なんで?」

「おじいちゃん、弟子に対しての厳しさは異常だもん」


 そんなことをいって九条さんが笑う。


 まあ、確かにあのおじいさんは空気読めなさそうだなと、俺も笑って。


 そんな時にミクちゃんがどうなっているかも知らず、俺たちは三人で夕食の支度を始めた。



「こるぁぁぁぁっ!! もっと腰を落とさんか!」

「ひーっ! お、おじいさん、私の話を」

「私語を慎め小童めがっ! ええいっ、罰としてあと正拳づき二百回!」

「えーんっ!」


 九条さんのおじいさん。

 九条龍座衛門は、ただの格闘マニアだった。


 中学ナンバーワンセクシーボディのミクを見て「なんじゃそのまるっころは」と言われ、中学トップスリーに入るチャーミングな私の笑顔に対し「ヘラヘラするな下っ端が!」と恫喝され、終いには私のプリティな声に対して「喉がつぶれるまで声出さんかい!」とか。


 全然私の話なんか聞いてくれなくて。


 その日、真っ暗になるまで道場でしごきを受け続けた私は。


 翌日の朝に震える声で九条家に電話をかけて。


 退会した。


 もう、こりごりです、すみませんでした……。

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