第26話 龍華裂蹴斬

 自習。


 教室に着いた時には既に黒板に大きく書かれたその文字と、席を立って談笑するクラスメイトたちが。


 そして九条さんの姿は既になく。

 俺が席に着くとカズヤがやってくる。


「昨日はすまん、なんか遅くなっちまって」

「ああ、いいよ別に。でも大変だったんだぞ。ミクちゃんは悪戯が洒落にならん」

「いやー悪い悪い。また埋め合わせはするから」

「いいけどお前ん家にはしばらくいかんからな」


 ミクちゃんがいるから、とは言いたくないが。

 実際あの子のせいで軽く女性不審になってんだよ。 

 今朝も、なんであんなことを言いにわざわざ高校までやってくるのか。

 怖いよ、まじで。


「で、九条さんはどこ行ったんだ?」

「ああ、それだけど。なんかブツブツいいながら教室に入ってきてさ、先生来てもずっとそのままで、ビビッて国語の先生帰っちゃったんだよ。謹慎させた学校に復讐するつもりじゃねえかって、もっぱらの噂だぜ」

「……」


 多分だけど、怒りの原因は俺。

 そしてお前の妹だ。


 ミクちゃんと何かあったと訊いて、彼女は態度を一変させた。

 怒ってるに違いない。


 ……いや、なんで怒るんだ?

 俺とミクちゃんが何かあったとして、彼女が起こる理由って……。


「おい、九条さんがもどってきたぞー!」


 クラスの一人が、慌てた様子で教室に駆け込んでくる。

 すぐに避難しろと言わんばかりに警告するそいつの声に皆が身構えると、やがて九条さんの姿が教室に。


「……」


 さすがにおはようとは言わない彼女は、どこかでセットしてきたのか髪の毛をこの前のように後ろに高く上げていた。

 さらに今日は三つ編みにした髪を団子状に束ねて、鮮やかな花を乗せたような髪型に。


 綺麗だなと。

 見蕩れていたのは俺だけで。


 彼女は俺を睨みつける。


「く、九条、さん?」

「……い?」

「え?」

「……れい?」


 何かをブツブツ呟いていた。

 しかしオーラがえげつない。

 なんか見えないけど風圧みたいなものまで感じる。


 圧倒されるクラスメイト達はガタガタと震えながら。

 誰も動けない。


 やがて席に着く彼女は、そのまま隣にいる俺をギロッと睨む。

 すごい目だ。これなら確かに失禁してもおかしくないくらい、怖い。


「あ、あの……」

「……きれい?」

「え?」

「私、きれい?」

「……?」

 

 まるで口裂け女みたいな質問をされた。

 涙目になる彼女。

 唇を悔しそうに噛む。


「え、うん綺麗だよ」

「嘘……」

「へ?」

「だって、昨日ミクちゃんと遊んでたくせに。ああいう子が、いいんでしょ」

「い、いやだからそれは」

「知らないもん。私がこんな髪型しても、お世辞でキレイっていってるだけなんでしょ」


 むすっとしながら。

 彼女はまるで花を摘むように無造作に、固そうな消しゴムをちぎる。

 どういう握力してるんだろうと、目を丸くしているとまた彼女が睨む。


「ほら、こんな怪力おばけなんか嫌なんでしょ。私みたいなのより、ああいう可愛い子の方がいいならそうやって言えばいいのに」


 なんかもう、付き合ってる彼女が拗ねたみたいな発言だった。

 

「え、ええと。俺はミクちゃんみたいな子は正直苦手だよ。妹はすずねで間に合ってるし、それに俺は」

「……食事」

「え?」

「お食事行きたいって言ったら、一緒に来てくれたりする?」


 全然脈絡のない展開に、俺は開いた口が塞がらない。

 一体何の話だろう。

 お腹がすいてるのかな?


「く、九条さんが行きたいなら、もちろん」

「じゃあ、わかった。うん、ならいいの」


 なんか勝手に納得した様子で、九条さんはまた教室を出て行った。


 なんだったのだろうか。

 あれで怒りがおさまったとも思いにくいが……。


 しかしやはりその通りで。

 彼女の怒りは完全におさまったというわけではなかった。


 今日の体育の授業のこと。

 いつもはなぜか欠席を決め込む彼女が体操服姿でグラウンドに登場し、クラスメイトは騒然となる。


 授業内容はサッカー。

 男女別で、適当に試合をしながら和気あいあいと行われるはずの授業が、彼女の参加により一変する。


 グラウンドの中央をのっそりと歩く彼女に怯える女子たちが、悲鳴にも似た声をあげながら彼女にボールを回す。


 そのボールを彼女は。

 思いきり足を振り上げてゴールめがけてけり上げる。

 既にキーパーの子はグラウンドの外に避難。

 しかし、ボールはゴールへ向かうことはなかった。


 粉砕。

 弾け飛んだ。


 まるで手品のように。

 蹴ったはずのボールが彼女の足元で消えた。

 散り散りになって。


 その瞬間、クラスの全員が「うわーっ!」と悲鳴をあげて逃げ出した。

 あんな蹴りを喰らったら、即死だ。

 

 後に彼女のこのエピソードもまた伝説となり。

 

 細く美しい足から放たれる真一文字のケリの名は『龍華裂蹴斬りゅうかれっしゅうざん』と名付けられることになるがそれは置いといて。


 彼女がまだ、イライラしていることを誰もが悟り。

 体育の授業は次々とはじけ飛ぶサッカーボールの残骸ばかりをグラウンドに残すこととなり。


 その日もまた、自習ばかりとなった。


「はあ」


 教室に戻った彼女は頬杖をついてため息。

 その様子に皆が廊下で噂話を始める。


「なあ訊いたか? 今日の放課後、謹慎を下した先生たちをぼっこぼこにするってよ」

「ああ、らしいな。あのサッカーボールの粉砕劇も、そいつらへの見せしめだって話だ」

「こええ。これから待つ復讐劇を思って憂いてるんだと思うと、教室に入れねえよ」


 なんのこっちゃだ。

 彼女はきっと、俺のことでイライラしてて。

 ストレス発散の為に気まぐれで体育に参加したけどやっぱり備品を壊してしまって。

 それを気にしてため息をついてるだけだ。


 どうしてこんな見当違いな噂が次々と流れてくるのか。

 不思議だけど、みんな暇なんだろうなと。

 自習続きで余計なことばかり考える時間ができてしまうクラスメイト達のことも、少しばかり不憫になっていた。



 放課後。

 先に九条さんは教室を出て行く。

 もちろん先生への報復なんてことではなく、家に帰るのだろうけど。

 クラスの連中が、不安そうに俺のところにやってくる。


「なあ宮永、九条さんの機嫌をどうにかしてくれ」

「殺されちゃうよ俺たち。頼むよ、死にたくねえよまだ」


 彼女の八つ当たりが自分のところにまで及ばないか、皆心配な様子だった。

 ちなみに彼女が謹慎させられる原因となった黒板破壊のきっかけになったのは、言うまでもなく鴨頭。

 それを自覚してか、鴨頭は一日中「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と、叔父に虐待を受けて怯える金髪の小学生よろしく、震えていた。


「大丈夫だって、九条さんはそんなことはしない。それに、あの子の怒りの原因は、まあなんとなくわかってるから」


 そう言って俺は、彼女を探すために教室を出る。

 これ以上彼女を怒らせて、変な噂が流れないようにしないと。


 ……でも、まだ怒ってたらどうしよう。


 ちょっとだけ俺も怖くなりながら。

 でも、怖がってちゃいけないと、自分の頬を両手でバチンと叩いて喝をいれて。


 今日は彼女の家に向かうことにした。

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