第21話 鬼の居ぬ間に
「先生、私が黒板を壊してしまいました」
職員室に向かってすぐ。
九条さんは担任を見つけるとすぐに駆け寄ってそう言った。
一体何が起きたのか。
とりあえず破損状況を確認しに行こうと先生と一緒に教室に戻ると、そこでは鴨頭の失禁した場所を嫌そうにモップで掃除する連中と、さっきの光景がまだ現実のものとして受け入れられず、フリーズしたままのクラスメイト達が。
一斉にこちらを見る。
見て、再び目を逸らす。
そして、震える。青ざめる。
「な、なんだこれは……」
今にも砕け散りそうな黒板を見て、先生も青ざめる。
多分至近距離でプロ野球選手が硬球を全力でぶつけたところでこうはならない。
それこそサイの群れが一斉に突っ込むくらいのことでもないとこうはならないだろうと。
先生も、全く状況が理解できておらず、立ち眩みがするといってそのまま職員室に戻っていってしまった。
午後の授業については、黒板が崩れ落ちる危険性と、そもそもそれが使えないので何もできないという理由から、自習どころか早退になった。
ただ、黒板をぶっ壊したと自首した九条さんだけは、事情を訊きたいということで職員室に呼ばれてしまう。
「私、退学になったらどうしよう……」
「だ、大丈夫だって、それに悪いのは鴨頭だから。俺もあとでちゃんと先生に説明する」
「うん。でも待たせたら悪いから、今日は先に帰ってて」
「え、でも」
「ううん、いいの。あとで連絡するから」
「……わかった」
寂しそうに職員室に入っていく彼女を見送った後、俺は言われた通り一旦外に出て彼女を待つことに決めた。
正門辺りで、やっぱり大丈夫かなと振り返ろうとしたところでカズヤが追いかけてくるのが見えた。
「おーい、今日は早く帰れるから寄り道しようぜ」
「あ、そういえばお前と約束してたの忘れてた」
「ひどいなあおい。でも、すごかったな九条さん」
「……俺のせいだよ。ほんと、彼女には悪いことしたなって」
俺があの時、鴨頭をはねのけるくらいの気概があれば。
いや、それ以前に黙らせるだけの力があれば。
九条さんが俺を助けようとして、あんなことをせずに済んだんだ。
俺が、弱いせいだ。
彼女を守るどころか、余計に傷つけてしまった。
「でも、鴨頭のやつに立ち向かうなんてお前もやるなあ。俺だってあいつと揉めたくないから、適当にかわしてるのに」
「九条さんは純粋な子だ。それなのにあんな適当な嘘ばっか言ってたらそりゃ怒るよ」
「ふーん。やっぱりお前、九条さん好きなんだな」
「まあ……だって可愛いだろ」
「おーおー。相当惚れてんねえ」
「うっせえ」
カズヤは。
あんなことがあったというのに俺の話を真面目に訊いてくれた。
九条さんが実は可愛いものが好きなだけの女の子で。
なぜかわからないが力が異常なほど強く、その強さに本人も悩まされてて。
でも、勝手に勘違いした連中から祀り上げられて最恐なんて呼ばれて傷ついていると。
それをカズヤは理解してくれた。
やっぱりこいつはいいやつだ。
「なるほどねえ。でも、鍛えてるわけでもないのにどうしてそんなに力が強いんだ?」
「さあ。なんでもおじいさんが高名な格闘家だったって聞いたけど。関係あるのかな?」
「遺伝ってか。まさかな」
少し冗談話をしながら。
二人でコンビニの駐車場の隅でアイスを食べていると、携帯が鳴る。
「あ、九条さんからだ」
「へー、ほんとに仲いいんだな」
「ちょっとごめん」
慌てて電話をとる。
もしもし、とこっちから話しかけると、少し暗い声が電話の向こうから届く。
「宮永君……私」
「な、なにかあったの? もしかして」
「一日、謹慎だって……どうしよう、お母さんに怒られちゃう」
「謹慎……」
一日謹慎。
もちろんそれは本人にとってはショックだろうけど、俺は内心ホッとしていた。
それくらいで済んだのかと、胸を撫でおろしていると九条さんが、「今どこにいるの?」と。
「今は近くのコンビニにカズヤといるけど」
「じゃあ、邪魔したら悪いし今日は先に」
「あ、待って待って今から学校行くから正門で待っててよ」
慌てて引き留めてから、電話が切れるとすぐにカズヤに事情を説明する。
「カズヤ、今から九条さんを迎えに行くから今日はここで」
「へいへい。じゃあまた、どうなったか教えてくれよ」
「わかった、じゃあな」
走って、学校に向かう。
そして正門が見えてくると、そこに一人ポツンと立つ明るい髪の女の子の姿が見えてくる。
「九条さん!」
「あ、宮永君……来てくれたんだ」
「もちろんだって。一緒に帰ろう」
「うん」
やはり、来てみて良かった。
九条さんの落ち込み方は半端じゃない。
横でずっと「どうしよう、どうしよう」と。ブツブツ呟いている。
よほど親が厳しいのだろうか。
「ねえ九条さん、明日は学校、これないんだよね?」
「うん。家で大人しくしてる」
「そっか。でも、放課後は外出してもいいの?」
「それがね。明後日の登校までは自宅待機だって。だからおうち出れない……」
まあ、当然といえば当然だけど。
それだと、明日は九条さんと遊べないってわけか。
なんか寂しいな。
「……じゃあ、いっぱいラインしてもいい? なんかやることがあるんなら控えるけど」
「ううん、退屈だからラインして。私、明日はちゃんと携帯見てるから」
「おっけー」
というわけで、明日は彼女とは会えないことが決定した。
でも、ラインとか、なんならちょっとやってみたかった夜の電話とか、そういうのを楽しむいい機会になればいいなとか、そんな風に思っていた。
落ち込む彼女も家に着く頃にはすっかり元気になってて、「お母さんに怒られてくるから、また愚痴聞いてね」なんて言いながら大きな門の向こう側に消えていく。
そして、彼女の家から自宅に向かう間に、カズヤに電話をかける。
「あ、もしもし。今九条さんと別れたよ」
「おお、どうだった?」
「まあ、元気になってくれたけど。でも明日は謹慎だから外出できないんだって」
「そうか。なら、明日こそうちに来いよ。ゲーム新しいの買ったんだって」
「まじで? じゃあそうするよ。明日また」
「ああ、おつかれ」
☆
真壁ミクは恋をしている。
ひそかに想うその人の名は、宮永隼人。
私の友人である宮永すずねの兄。
友人の兄に恋をするなんてベタな展開は自分自身予想してなかったけど、でもあの人の優しさに触れたら最後、絶対にだれでも恋しちゃうに違いない。
私が中学一年生の時。
初めてすずねの家に遊びに行った日の帰り道で財布を落としてしまった。
家に忘れたのかと思ってすずねのところに戻ったけどやっぱりなくて。
どうしようかと青ざめていたところで初めておにいさんが話しかけてくれて。
一緒に探しに行こうと。
私が帰り道で寄った店を片っ端から当たってくれて。
何時間もかけてようやく、駄菓子屋の棚の下に転がっているのを見つけてくれた。
それなのにあの人は「見つかってよかったね」とだけ。
そのまま帰ってしまったのである。
いやあ惚れた。
惚れちゃいましたよあの笑顔に。
しかもすずねからは奥手で彼女もいないって訊いてたし。
絶対私がゲットしてやるんだって、意気込んで虎視眈々とチャンスを狙ってたのに。
最近邪魔な虫が出現してミクたんはオコなのである。
「にいちゃん、今の電話ってもしかしてすずねのおにいちゃんから?」
「ん、ミクか。ああそうだけど、何か?」
「別に。九条がどうのって聞こえたから。あの不良がまた何かやらかしたのかなって」
「ああ、そういやこの辺じゃ有名だもんなあの子。まあ別に、今日ちょっと色々あって、明日は一日外に出れないんだって。ってこんな話お前にしても関係ないか」
「九条龍華が外に出られない……」
九条龍華。
純粋なおにいさんを弄ぶ不良娘だ。
しかし彼女、この一帯では敵なしと言われる最恐の称号を持つ女。
うかつに歯向かって返り討ちにされた日にゃ、五体満足で帰れるかわからない。
だから慎重に、機会をねらって。
おにいさんを先に襲っちゃえとか考えていたところに。
思いがけずいい情報を入手を入手しちゃった。
「ふーん。じゃあ明日は九条龍華はいないんだ」
「なんだよ、怖いのか? あ、そういや明日宮永がうちに来るからなんかお菓子とかあったっけ?」
「え、明日おにいさんが家にくるの!?」
「ああ、そうだけど。そいやお前、宮永のことが」
「うるさいいらん事いわんでいいのよにいちゃんは。それより」
それよりだ。
明日おにいさんが家に来て、しかも九条龍華が外出できないなんて僥倖を逃すわけにはいかない。
恥を忍んででも、ここはにいちゃんに協力してもらおう。
「にいちゃん、どうか明日は家から出ていってくださいませ!」
「な、なんだよそのわけのわからんお願いは? え、あいつは俺と遊ぶために」
「いいから、その辺うまくやるから、なんなら私の体を好きにしてくれてもいいからお願い!」
「誰が妹の体を好きにしたいってんだよバカが」
「お願いー、そこをなんとかー!」
もう必死のパッチの土下座だった。
このチャンスを逃したらもう次はないと。
実の兄に初めて頭を下げた。下げまくった。
「わ、わかったって。でも、あいつになんて説明したらいいんだよ」
「そこはうまくやるから、にいちゃんはそのまま、宮永おにいさんがうちに来るようにだけ、ちゃんとして」
「あーもう、マジで俺は知らんからな」
「えへへ、サンキューにいちゃん」
やはり持つべきものはチョロい兄、ね。
明日は九条龍華がいない。
私はここで、おにいさんと二人っきり。
ふふっ、ふふふっ、ふっふっふ。
すずねごめんね。
私があなたのおにいちゃんを、いただいちゃうからね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます