第20話 彼女の為に

 楽しい一日だった。


 九条さんとゲーセンではしゃいで、帰り道に二人で肉まんを買って、家ですずねの料理教室が始まって。


 そんな楽しいひと時はあっという間に過ぎて。

 でも、俺の心には確かに刻まれて。


 爽快な気分で朝を迎えた俺は、足取り軽くいつもより少し早めに学校へ向かった。


「おい、九条龍華が昨日隣町に遠征してたらしいな」

「ああ、なんでも向こうからの挑戦を受けて、見事勝利したとか」


 正門をくぐったところで早速、九条さんのことを話題にしているやつらを見かけた。


 確かに昨日、九条さんは隣町にいた。

 でも、遠征とはいっても俺とゲーセンにいただけだ。

 ゲーセンからの挑戦を受けて、俺が見事勝利しただけで。

 決して喧嘩なんてしてないし、やはり噂ってのは信憑性に欠けるものだと、ここ最近は特にそう思う。


 きっと昨日俺と彼女が自転車で走ってるところを見た連中が、あることないこと言いふらしてるのだろう。


 ……でも、そうなると俺は九条さんの何に見えてるんだろう。

 もしかして、彼氏?

 いや、それだとさすがに評判になっちゃうだろうし。

 でも、友達くらいには見えてるのかな?

 うーん、どうなんだろう。

 カズヤに聞いてみるか。



「お前、九条さんのアッシーやってるんだってな」


 正解はアッシーでした。

 俺は彼女の専属運転手という栄えある称号を勝手に獲得したらしい。


「アッシーじゃねえよ」


 教室に行ってすぐ。

 まだ九条さんが来る前なので生き生きとしたカズヤが、向こうから話しかけてきて、すかさず反論する。


「ていうかあの子はそういうんじゃないっていっただろ。昨日は決闘もしてない。今日はその辺、じっくり聞いてもらうからな」

「はいはいわかったよ。でも、喧嘩じゃなかったんだったらお前ら、隣町まで何しに行ってたんだ?」

「え、いやそれは、別に大した用事はなかったけど」

「ふーん。まあその辺もじっくり聞かせてもらおうかな」


 と。

 カズヤがにやりとしたところで教室の空気が一変する。


「おはよう」


 九条さんが教室に。

 するといつものように皆の口が一斉に閉じる。

 静寂が、緊張が教室を包む。


 今日は髪型も普段通りおろしているし、特別機嫌が悪そうにも見えない。

 だから皆の警戒レベルもここ最近よりはいくらか低く見える。

 

 何人かが九条さんを見てる。

 普段まじまじと見れないものを見たいという好奇心からか、それとも彼女の可愛さに見蕩れたのか。

 男女数人のグループが九条さんに目線を向けていると、彼女がそれに気づいた。


 そしてそのグループの方へ向かう。


「あ、く、九条さんごめんなさい私たちそういうつもりじゃ」

「おはよう」

「……え?」

「おはよう」

「……お、おはようございます!」


 まるで因縁つけられて挨拶を強要されている感じだった。

 もちろん九条さん的には目が合ったから改めておはようといっただけのつもりなんだろうけど。


 でも、そんな様子を見た他の連中はやっぱりビビっていた。

 もう、誰も彼女と目を合わせようとしない。


 それでも挨拶をすることの気持ちよさを経験した九条さんは、一限目の英語の先生が来るや否や、スタスタと先生のところに向かい、「おはようございます」と。


 突然の出来事に先生は目を泳がせながら。

 苦し紛れに「グ、グッモーニーン」とか言って。

 少し貧血だとかで退場。


 自習となった。



「九条龍華、まじ調子乗ってんな」


 自習になってしばらくして。

 九条さんが教室から出て行った際にそんなことをいうやつがいた。


 鴨頭卓かもがしらすぐる。ちょっとやんちゃそうな、いつもシャツを出しただらしない恰好をしてるやつだ。


 同じクラスでも絡みはない。俺はああいうタイプが苦手だから近づかない。

 カズヤたちとはそれなりに話してるようだけど、聞けばけっこう質の悪い先輩とつるんでたりする噂もあるそうで、あまり関わらない方がいいって聞いたっけな。


 そんな奴が、急に九条さんのことについて不満を漏らし始める。

 結構な声で話しているので、俺以外の連中も不安そうに鴨頭の愚痴を訊く。


「だいたい、手すり曲げたなんて噂が本当なわけねえだろ。ぜってーバックにえぐい彼氏がいるんだって。あの女、結構尻軽って噂訊くしよ。無双の噂だって本当は男に尻尾振って抱き込んでるだけなんじゃねえのって。なあみんな」


 鴨頭の問いかけに、皆、反応に困っていた。

 悪口に加担して自分まで九条さんに目をつけられたらどうしようと、そんな雰囲気を感じる。

 大体の連中が、「そ、そうかもな」と、無難な反応を示す中。

 俺だけは違っていた。


 苛立っていた。

 九条さんを尻軽だとかなんとか言ったことに対して。

 心底腹が立っていた。


「まあ戻ってきたら勝負挑んでやんよ。どうせあれこれ言い訳して逃げ出すのがオチだろうけど。どうせだったら俺もヤラせてくれないかって頼もっかな。案外、喜んだりして。ぎゃはは」


 下品な笑いが教室に響く。

 その声で、俺は完全に切れた。


「おい、いい加減にしろよ!」


 思わず立ち上がって。鴨頭に怒鳴る。


「あ? なんだよお前」

「九条さんの悪口を、い、言うな! でたらめばっかだ」

「なんだよお前って聞いてんだろが。そういやお前、九条龍華と最近よく一緒にいるよな。パシリか何かか?」


 パシリ。

 アッシーやらパシリやら、ひどい言われようだ。

 誰か一人くらい彼氏なのかと誤解してくれないものかと心の中でうなだれる。 

 それに、冷静にこの状況はまずいとすぐに理解する。


 喧嘩になる雰囲気だ。

 ただ、ここでは退けない。


「俺は九条さんの……友達だ。彼女の変な噂はやめてくれ」

「うるせえよお前。ぶっ殺すぞ」


 鴨頭が。

 苛立った様子で俺の胸倉を掴む。


 教室の皆は委縮する。

 俺も、殴られることを覚悟した。


 その時。


「なに、してるの?」


 ガラガラと。

 教室のドアを開けて九条さんが戻ってきた。


「……九条か。ちょうどいいや、お前の子分を今から痛めつけてやるんだよ」


 今度は子分になった。 

 アッシー、パシリ、子分。全くどれもこれもって感じだ。


「子分……宮永君は子分なんかじゃない」

「お、その気になったか? なんなら決闘するか。俺、男女平等主義だから女でも容赦しねえぞ」

「宮永君を離して……」

「あ? 声がちっちゃくて聞こえねえな」

「宮永君を……離せ!」


 九条さんの。

 龍の顎と呼ばれるその拳の一撃が。

 黒板にさく裂した。


 すると。


 ドーンと、まるで大砲でも打ち込まれたような音と共に教室が揺れた。

 黒板が拳から蜘蛛の巣状にひびが入り、割れる。

 ビシビシと、全体にひびが入り、ぱらぱらとその破片が飛び散る。


「え?」

 

 その光景に、鴨頭は思わず俺から手を離す。

 他の皆は、まるで時が止まったかのように動かない。

 いや、動けないのだ。

 怖すぎて。


「宮永君を傷つけたら、私許さないから」

「ま、待て九条……これはただの冗談で」

「謝って」

「あ、謝るから! 頼むから殺さないで!」


 迫る九条さんに、腰を抜かす鴨頭。

 絶句するクラスメイト。

 それを見ながら、なんかヤバいことになったなあと、呆れる俺。

 でも、このまま放置はできないし。


「九条さん、俺は大丈夫だから」

「宮永君、大丈夫?」

「う、うん。それより手、痛くないの?」

「あ……黒板、壊しちゃったどうしよう」

「せ、先生に謝りに行こう。俺も一緒にいくからさ」

「うん……ごめんなさい」


 怒りに身を任せて黒板を粉砕した事実に胸を痛める九条さんは、拳なんかは一切痛くなさそうな様子で、うつむきながら俺についてくる。


 教室の時は止まったままだった。


 彼女に睨まれた鴨頭は、あとからカズヤに訊いたのだけど、その場で失禁して、早退したらしい。


 どうやら、彼女に睨まれただけで漏らすやつは実在したようで。

 でも、そんなことはどうでもよくて。


 彼女の最恐伝説がまた一つ増えてしまったことに頭を悩ませる俺だった。

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