第8話 すずねクッキング 上

「ただいま」


 九条さんとのハグハグタイムを終えてから、二人で我が家に。

 

 もちろんこれは九条さんがすずねに料理を教えてもらうという目的があるからだけど。

 散々ハグされたせいで照れ臭くて下校中はずっと無言だった。


 あんなことをされて正常である方が無理である。

 隣にいる彼女に、今にも飛びついてしまいそうな衝動を抑えるのがやっとだ。


 まあ、する勇気なんて元からないのだけど。


「あれ、すずねーいないのかー」


 いつもなら「おかえりおにい」と、元気な声で出迎えてくれる妹の姿がない。


 まだ帰ってないのかなと、そう思った矢先。

 電話が鳴る。

 すずねだ。


「もしもしすずね? まだ学校か?」

「そういうおにいはもう帰った頃かな? 九条さんと一緒?」

「まあ、そうだけど」

「じゃあちょっと電話かわって」


 何をしてるかも言う前に妹がそう話すので、俺は携帯を彼女に渡す。


「もしもし九条です」

「あ、九条さん。今日ちょっと急用ができて戻りが遅くなるんですー。どうします?」

「え、それなら、また後日でも」

「ふーん。せっかくのチャンスなのにいいんだー。ちなみに私は夜はずっとおにいと一緒だから、いいんですけどねー」

「ず、ずっと!?」


 すずねの声は聞こえないが、何やら九条さんが動揺している。

 まだ、すずねと話すのが慣れないのか。

 それとも電話が苦手なのかな。


「そんなんで私に勝てるのかなー。もう、今日あたりおにい襲っちゃうかもしれないですよー」

「え、え、え?」

「おにいって押しに弱いからなあ。案外コロッといっちゃうかも? きゃー、楽しみー」

「……あの、台所ってお借りしてもいい、かな」

「あら、やる気だ。いいですよ、食材も好きに使ってください。じゃあ、一時間後には戻りますので」


 どうやら電話が切れたようだ。

 そっと、俺に携帯を渡すと彼女はさっさと靴を脱ぎ始める。


「あの、すずねはなんて」

「ちょっと遅くなるから、私が代わりに宮永君の晩御飯を作ります」

「え、九条さんが? いや、でも」

「作ります!」


 声を張り上げて、言い聞かせるようにしてから彼女は勝手に家の中に入っていった。


 気合の入った発声に、少し戸惑った後で俺も我に帰ってリビングに。


 すると隣のキッチンには、ご丁寧にエプロンが置いてある。

 妹が九条さんのために用意したもののようだ。


 さすが我が妹、仕事が早い。


「これ、多分新品だから使っていいやつだと思うよ」

「じゃあ、お借りします」


 彼女は、長い髪をポニーテールにするように後ろでくくり、エプロンをつける。


 制服にエプロン。

 そして髪をあげたことで見える綺麗なうなじに、俺はドキッとする。


「あ……」

「え、変かな?」

「いや、その、エプロン姿って、いいなって……」

「……えっち」

「ご、ごめん」

「……料理するね」


 彼女は黙って冷蔵庫を開ける。

 俺はその一挙手一投足を見逃さないように、彼女に見惚れていた。


 なんか、奥さんみたい。

 そんなことを考えてしまい、ハグのことも思い出して変な気分になったので慌ててリビングのソファに腰掛ける。


 まだ、胸がドキドキする。

 今、家の中で九条さんと二人っきり。

 それに、彼女が我が家の台所に立ってるなんて、まるで夢のようだ。


 だからといって後ろから抱きしめたりしたらダメなんだろなあ。

 積極的な男子ならそれくらいするのかなあ。


 そんなことを考えながら、頭を抱えて悶えていると、何やら台所から。


 焦げ臭い匂いが。


「九条さん、何か焦げてない!?」

「え? あ! わーっ!」


 なぜか、鍋がフランベしたように火柱をあげていた。


 慌ててガスを止めて、布巾を濡らして被せる。

 すると煙がそこらじゅうに充満。


 急いで換気扇を回してから、なんとかことなきを得たが、鍋は真っ暗焦げだった。


「ゴホッ。だ、大丈夫?」

「あ、あの、私……」

「鍋はいいんだけど、火傷してない?」

「え、う、うん。でも」

「人の家の台所って勝手が違うからね。ごめん、任せっきりで」

「み、宮永君……」


 腰を抜かした彼女は、目を潤ませる。

 もしかして彼女って涙脆いのかなとか、そんなことを考えながら手を差し伸べると、震える手で俺の手を掴む。


「……ごめんなさい。私、料理できなくて」

「そ、そうなんだ。でも、お弁当とか作ったって」

「……全部惣菜」

「あはは、そっか。じゃあ、やっぱりすずねに教えてもらわないとだね。早く帰ってこないかな、あいつ」


 多分すずねは台所がめちゃくちゃになったくらいでは怒らない。

 ていうかあいつは怒らない。

 だから大丈夫だよと、九条さんにフォローをいれるのだけど彼女はやっぱり気に病んだまま。


 しょんぼりして、その場でフリーズしてしまう。


「ええと、ほんとに大丈夫だから。それより、冷凍でよかったら何か食べる?」

「いい、いらない。私、やっぱり帰る」


 九条さんは、さっさと玄関に向いて歩いていく。

 止めようとしたが、なんと声をかけたらよいかわからず。

 

 そのまま彼女が出ていくのを見送るしかないと、立ちすくんでいたところで、


「ただいまー」


 すずねが帰宅した。


「あれ、なんか焦げ臭い。あ、九条さんこんばんは。お料理できました?」

「え、あの、私……」

「その感じだと失敗ですね。なるほどなるほど、それで落ち込んでるんだ」

「……ごめんなさい。私、今日は」

「パスタなら、教えてあげてもいいですよー」

「え?」


 靴を脱ぎながら、すずねは淡々とそう喋る。

 すると九条さんは、もじもじする。


「え、でも、私はお鍋をダメにして」

「鍋は安物だからいいですよ。それより、教えてほしいほしくないどっちですか?」

「お、教えて、ほしい……」

「よく言えましたー。じゃあ来てください。おにいはテレビ見ながらまっててね」

「あ、ああ」


 一度家を出ようとした九条さんだったが、すずねに連れ戻されて再びキッチンに。


 俺は言われた通りリビングでテレビを見ながらキッチンの様子を遠目で見る。


 しかしすずねが「女子会してるからこっちこないでねー」というので、またテレビに視線を戻す。


 一体どんな会話をしているのだろう。


 気になる……。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る