第6話 ハグしてほしいの

 この日の九条龍華が不機嫌であることは俺のみならず誰もが理解していた。


 だから、触らぬ神になんたらというのか、皆、いつも以上に彼女を避ける。


 ただ、俺は彼女に弁明がしたい。

 もし彼女の胸に触ったことが原因なら改めて謝りたいし、そうでないなら理由を知りたい。


 だから何度も話しかけようと機会を伺っているのだけど、休み時間の度にどこかへ行ってしまう彼女に、うまく話しかけることができないまま。


 昼休みになってしまった。


「おい、お前九条さんに何したんだよ」


 真壁が。

 小さな声で俺にそう聞いてくる。


 ちなみに九条さんは昼休みも、さっさとどこかへ行ってしまって教室にはいない。


「いや、心当たりがあるようなないような……やっぱり怒ってるよな?」

「ああ。しかも相当な。今のうちに早退した方がいいんじゃねえか?」


 まさかの避難勧告だ。

 なぜそんなことで早退せにゃならん。


「バカいうな。第一九条さんはそんな悪い人じゃないぞ」

「ほー。さてはお前、惚れたな?」

「な、何バカなこと」

「あ、戻ってきたぞ」


 真壁の視線の先を見るとそこには九条龍華の姿が。

 何か手に持っている。

 そして、やはり表情は暗い。


「じゃ、じゃあ頑張れよ。骨は拾ってやるから」


 そんな物騒なことを言い残して友人は去る。

 入れ替わるように、九条さんが戻ってきた。


「あ、あの」

「……」


 席についた彼女に思い切って声をかけてみたが反応なし。


 なので諦めて、カバンから本を出す。

 お腹が減らない。食欲がわかない。


 教室も、まるで誰もいないかのような静かさだ。


 物音ひとつ立てないように、皆がこの張り詰めた空気を演出している。

 

 そんな緊張感たっぷりな教室でもちろん注目を集める九条さんは。


 さっき手に持っていたものをそっと机の上に。


 ……お弁当?


 しかし、その蓋は開けない。

 食べないのだろうかと、心配そうに彼女を見ると、すごい目つきで睨まれた。


 少し涙目だ。

 顔も赤く、怒っている様子。


 そんな彼女にまた何も言えず。

 気にはなるが、なるべく彼女の方を見ないようにしながら。


 そしてしばらく沈黙が続き。

 そのまま昼休みは終わってしまった。


 まるでこの教室だけ、言葉を発した奴から殺されていくデスゲームに巻き込まれたかのような、異様な空気は午後の授業のためにやってきた先生にもすぐに伝わったようで。


 先生も、チラチラと九条さんを見ながら授業を進めていたがやがてその空気に耐え切れず。


 またもや自習になってしまった。


 そして先生が去ると、九条さんもどこかへ行ってしまう。


 彼女の姿が見えなくなったところでようやく。

 皆が息を吐く。


「はあー」


 机にぐったりと突っ伏すやつらが。

 そのあとでしかし一斉に。

 今度は俺に視線を向ける。


「な、なんだよ」


 戸惑ってはみたが、その視線の意味は理解している。

 どうにかしろ、だと思う。

  

 多分、怒りの矛先は俺だと皆わかっている。

 そして一日中こんな空気ではやってられないから、生贄になれと。

 皆のために死んでこいと言いたいのだろう。


 そんな空気を察して、俺は重い腰をあげて教室を出る。

 

 その時に真壁がぽそりと「お前のことは忘れないからな」なんて。

 死ぬ前提のようだ。


 まあ、もちろん死ぬとは思ってなくても怒っている彼女は素直に怖い。


 まだ他のクラスは授業中のため、静かな校舎をゆっくり歩いて彼女を探す。

 すると、階段の踊り場のところで九条さんが。


 泣いていた。


「あうう、お弁当一緒に食べようって言おうと思ってただけなのに。なんであんなに教室の空気が重たいの……言いづらいよう。せっかく頑張って作ったのに」

「九条さん……?」

「へ? み、宮永、くん?」


 俺の呼びかけに気づいた彼女は、さっと顔を逸らす。


 そして、わざとらしくクルッと回って反対を向く。


「あ、あの……泣いてた?」

「泣いてない。お弁当一緒に食べれなくて残念だったからって理由でなんか泣いてない」

「……」


 どうやら、お弁当を一緒に食べたかったらしい。

 でも、それならどうして怒っているんだ?


「あの、怒ってるのって、やっぱり昨日俺が」

「怒ってない。私のおっぱい触ったくせに妹さんとイチャイチャしててこのすけべとか、そんなこと思ってない」


 そう、思っているそうだ……。

 やっぱり、まだ根に持ってたんだな。


「あの、ごめん。昨日のはほんとに不可抗力で」

「……すずねちゃんの、触ったことある?」

「あ、あるわけないじゃん。妹だよ? そんなことしたら変態だよ」

「……ほんと?」

「いやいや、すずねとは兄妹で仲良しなだけだよ。え、何かおかしかった?」

「……じゃあ、いい」


 またクルッと。

 今度はこっちを向いた彼女は、少し赤くなった目でジッと。

 こっちを見ながら、両手を広げる。


「……ハグ」

「は、ぐ?」

「仲直りのハグ。ぎゅってして」

「え、いや、でも」


 急にハグを求められた。

 まあ、外国とかならよくあるのだろうけどここは日本だ。

 それに仲直りって。

 そもそも仲違いした覚えもないんだけど……。


「ハグ、しないの?」

「え、いや。い、いいの?」

「うん。ぎゅーして」

「……失礼します」


 恐る恐る彼女に近づくと。

 フワッといい香りが鼻腔をくすぐった。

 なんか、この甘い香りに頭がどうにかなりそうだと思いながら、これまた恐る恐る彼女の背中に手を回す。


「こ、これでいい、のかな?」

「もっと。ぎゅっと」

「……」


 これ以上はまずい。

 もうギリギリのところで耐えてはいるが、ぎゅっとしたら彼女の胸が俺の体にむにゅっと当たるのがわかってる。


 だからどうしようと。

 迷っていたところで彼女から、


「ぎゅー」


 思いっきり抱きしめられた。


「あが、が……」

「私怒ってないもん! お弁当一緒に食べたくて、緊張してただけだもん。わかってよ、宮永君」

「……」


 心地よい香りとともに、息が苦しくなる。

 彼女が必死に何か言っていたがそれもろくに聞き取れず。


 そのまま、意識が遠くなっていく。


 そういえば、彼女の逸話にはこんなのもあった。

 

 たとえそれが熊であろうとも。

 彼女の絞技にかかれば五秒もかからず失神させることが可能だとか。


 その技の名は『スコーピオンハング』

 うむ、ハグじゃなくてハングだ、これ。


 そんなことをなぜか思い出しながら、俺は意識を失って。


 次に目が覚めた時には、俺は保健室のベッドの上にいた。


 

 

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