第24話 早くしっかりしないと


「準備できましたー」


 奥からミクちゃんの声がした。

 俺は、ようやくさっきまでの動悸がおさまってきたころで。

 やれやれと声のする方を振り向く。


「ミクちゃん遅かった……ぶっ!」

「あれー、どうしましたやっぱり変ですか?」

「あ、いや、え?」


 水着だった。

 しかも、結構布面積の少ないビキニ。

 メロンみたいなおっぱいがあらわになっていたのを、目を逸らすまでの一瞬でも確認してしまった。


「そ、それはまずいよミクちゃん! ええと、何か羽織って」

「えー、それだとわかんないじゃないですか。というより見てくださいよ。ほらー」

「こ、こないで!」

 

 これはまずい状況だ。

 こんなところをカズヤに見られたら、誤解されるどころでは済まない。

 それに、誤解以前にこんな状況だと俺の理性が心配になってくる。


 もたない。

 もし次に彼女を直視したら、俺はどうにかなってしまいそうだ。


 妹の友人で。

 好きな人じゃない女の子を。

 襲ってしまう。


「……ミクちゃん、頼むから服を着てくれ」

「えー、まるで裸みたいな言い方やめてくださいよ。私、ちゃんと着てますよ?」

「そ、そうじゃなくてだね。ええと」

「もしかして、私の水着で興奮してます? ドキドキしてます? それってつまり」

「ご、ごめんミクちゃん!」


 近づいてくる彼女の気配に覚悟を決めて俺は。


 家を飛び出した。


「あっ!」


 と、ミクちゃんのびっくりする声が聞こえたが振り返ることはなく。

 玄関で靴も履かずに飛び出した俺は、靴下のまま家まで走って逃げかえる。


 途中、石を踏んずけて痛みが走ったところで靴を忘れてきたことに気が付いたけど。

 さすがにもう、あそこに戻る勇気はなくて。

 

 人とすれ違わないようにしながら、ゆっくりと自宅を目指して再び足を前に向けた。



「あーあ、つまんなーい」


 逃げられちゃった。

 ちょっとやりすぎたかなあ。

 でも、しっかり体の方は反応してたしー。


 それに、靴忘れていってますね、お兄さん。

 後でお届けに行こうかなー、なんちゃって。


 ……フラれちゃったな、私。



「ただいま……」

「おかえりおにい……ってどうしたの足?」

「え、ああ、靴わすれた」

「忘れたって……何かあったの?」

「いや、別に……足洗ったら寝る。おやすみ」


 家に着く頃には精魂尽き果てていた。

 自分の情けなさと、さっきまでのハラハラドキドキな状況と、足の痛みとでクタクタだ。


 なんかぐったりだ。

 ミクちゃんもさすがに悪戯がすぎるというか、あれは洒落にならない。


 ……はあ。俺、九条さんにあわす顔がないよ。

 彼女は謹慎中で家で一人寂しく我慢してるだろうに、俺は妹の友人の水着姿を見てムラムラしてたなんて。


 やっぱり、情けなくて。

 そういえば返信してなかったなって思ったけど。

 彼女にメッセージを送る気になれなかった。



「もしもしミク、あなたおにいに何したの?」

「えー、なんのこと? 私知らないよー」

「……」


 さっきおにいが行ってたのは真壁家。

 そして当然だけどミクの家だ。

 彼女が何か悪戯をしたに違いない。

 でも、どうして? 今日はミクのお兄さんと遊ぶって話だったから安心してたんだけど。


 ……まさか。


「まさかミク、お兄さんを追い出した?」

「あははー、さすがすずね目敏いね。でも、ふられちゃったー」

「何考えてんのよ! いい加減にしないと私、怒るわよ」

「ごめんごめん、でも結構本気だったんだけどね。なんかショックだな」

「……」


 そっか。おにい頑張ったんだ。

 でも、ミクもミクで、必死だったんだと思うとなぜか責められない。

 今は傷ついてるだろうし、これ以上ガミガミいうのはやめてあげよう。


「わかったわよミク。でも、これでおにいが誰を好きか理解したでしょ?」

「うん、とっても。お兄さんって、やっぱりあのヤンキー娘が好きなんだね」

「わかればよろしい。もうこれに懲りて」

「でも、まだハグしかしてないみたいだしチャンスあるよね。えへへ、私毎日放課後待ち伏せしてたらいけるんじゃ」

「やめなさい!」


 一喝して。

 電話を切る。


 ああ、恐れてたことが起こったなあ。

 ミクのメンヘラっぷりは知ってたけどまさかここまで積極的になるとは。


 おにい、早く告白しちゃいなよ。

 じゃないと、大事なもん色々失っちゃうよ?



 夜、電話の音で目が覚めた。

 

 目をこすりながら携帯の画面を見るとそこには九条龍華の文字が。


「……もしもし九条さん?」

「……」

「え、九条さん、だよね?」

「……」


 まるで無言電話だ。

 何も聞こえない。

 電波が悪いわけではなさそうだ。


「あのー、もしもし?」

「……で」

「え?」

「なんで?」

「なん、で?」

「なんで、返事くれないの? 私と学校行くの、嫌だった?」


 彼女のか細い声が段々と大きくなり、やがて聞こえるようになったところで言われたのがこの言葉。

 それを聞いてはっとする。


「あ、ごめん返事してなかった! いや、そういうわけじゃないんだけど」

「じゃあ、どういうわけ? もしかして誰かと遊んでた?」

「え、まあ、その……今日はカズヤの家に呼ばれてて」


 あまり嘘はつきたくない。

 だから嘘は言ってない。

 カズヤの家に呼ばれたのは事実だ。

 実際遊んでたのは、いや、俺が弄ばれてたのはミクちゃんだけど。


「そっか。じゃあ明日はお迎えに行っていい?」

「え、学校と反対方向になるし俺がいくよ。その方が」

「いいの、私がそっちにいくから」

「で、でも」

「迷惑?」

「そ、そんなことはないけど。なんか悪いなって」


 我が家から学校までは歩いて十五分ほど。

 その道を五分くらい歩いたところの交差点を、少し入ったところに九条さんの家がある。


 わざわざ朝から遠回りさせるのもなあと。

 気が引けてたところで彼女が。


 また、小さな声で。

 でも、今回はしっかり聞き取れた。


「ちょっとでも、長くいたいなって……」


 その言葉に返事をする間もなく、電話が切れた。

 さっきまで、彼女の優しい声を届けてくれていた俺の電話はうんともすんとも言わなくなる。


 そして俺も。

 言いっぱなしにされたその一言に。


 うんともすんともいわずに、その場に固まってしまった。

 

 

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