最恐と呼ばれるヤンキー九条龍華が、実はただの可愛い女の子だということを俺だけが知っている

明石龍之介

第1話 九条龍華

「おはよう」


 一人の女子が小さな声でそう呟いて教室に入ってくる。

 その一言で、さっきまで騒がしかった教室が一気に静まり返る。

 彼女に道を開けるように壁際に後退りするクラスメイト達は、黙って席に着くその姿を見届けると同時に、一斉に「ふう……」と、安堵の息を漏らす。


 あいさつの声の主は九条龍華くじょうりゅうか

 細身で、プラチナブロンドの明るい髪の色が特徴的な彼女は、この学校で『最恐』の名をほしいままにしている。

 

 誰も彼女に話しかけず。

 誰も彼女と目を合わせず。

 誰も彼女に立ち向かわない。


 それが彼女。九条龍華。

 

 今から一週間ほど前にこの学校に入学したばかりの彼女だが、既にこの学校で彼女のことを知らない者はいない。

 いや、それ以前から彼女は有名だったそうだが。

 とにかく、派手な見た目もあって目立つ彼女は、入学早々に上級生の素行の悪い連中に絡まれたそうで。


 ただ、彼女は、女子高生一人に対して集団で向かってくるような卑怯な連中を、一掃した。

 

 目撃者の証言によると、ある男は泣きながら腰を抜かして失禁。

 ある女はまるでこの世のものではない何かを見たような、恐怖に歪んだ顔で泣き叫びながら敗走。

 まるで地獄絵図だったという。

 また、彼女に絡んだうちの数人はその恐怖から学校に来ていないとかなんとかで。

 すぐに彼女の噂は全校に広まった。


 一体その場で何が起きたのか。

 当事者たちは頑なに口を開こうとしないが、その喧嘩の時の爪痕が今も校舎に残っている。


 グニャリと。

 人の力では到底不可能そうなほど不自然に曲がった非常階段の手すりは、彼女が誤って蹴った時になったものだとか。


 その傷は彼女の強さを語るには十分すぎた。

 皆、それを見るたびにその強さを実感して震えるという。


 そんなことがあったせいで、彼女に近づく人間はこの高校ではだれ一人いない。

 そう、彼女は恐ろしいほどに強いのである。


 もともと野球少女だった彼女は、中学ではその身体能力を買われて様々な部活に誘われたという。

 でも、どれも断って選んだのは茶道部。

 武道の道を極めるための精神修行だったと、中学時代にそんな話を聞いたやつがいるそうだが真偽の程は定かではない。


 そんな彼女が人生で初めて喧嘩したのは中学二年生の時だそうだ。

 男子四人がかりに対して一人で、その時ももちろん瞬殺だったとか。

 喧嘩の舞台となったゲームセンターから、何人もの男子が涙目で脱走するところを多くの生徒が目撃しているというから、それは信憑性の高い話なのかもしれない。


 細くしなやかな足で繰り出される蹴りは岩をも砕き、華奢で女の子らしい腕から放たれるパンチは的確に相手の顎を貫き、そのしなやかなボディはまるでゴムでできているかのように相手の攻撃をするりとかわす。


 そんな彼女の噂は地元のヤンキーたちの間では既に周知の事実だったとかで。

 しかし、彼女を倒さんと力試しのように突っかかってくるヤンキーたちを、やはり彼女は一掃し。

 既に不良業界では彼女に手を出すなという不文律までできているとか。


 そして高校での出来事。

 その事件が決め手。

 ついには高校の上級生たちからも恐れられる孤高の存在へと昇華した。


 そんな彼女がおはようと、一言発するだけでクラスは凍り付く。

 誰も、彼女と目が合わないように必死に窓の外を見ているのが滑稽だ。


 そんな空気を察してか、彼女は席に荷物を置くと不機嫌そうに、再び教室の外に出て行く。

 その姿を見て、またしても教室中に安堵の息が漏れる。

 ようやく重苦しい空気が消えたその時に、俺のところにクラスメイトの一人がやってきた。


「おい宮永、お前やべえ席だな」

「何がだよ」

「九条さんの隣だろ? 殺されるぞ」


 宮永。

 宮永隼人。

 それは、俺のことだ。


 彼女の隣の席に座って静かに本を読みふけるノーマル男子。

 それが俺、宮永隼人だ。


 陽キャとは言えないが、別に陰キャでもない。

 別に友人もいるしいじめられてもいない。そんな奴。


 ちなみに嬉しそうに俺の読書の邪魔をしてくるこいつは真壁カズヤ。

 中学の途中から仲良くなった友人。 

 イケメン。

 今は彼女なし。


 ただ、イケメンでモテるこいつは、同じ彼女のいない者同士という括りにはしたくないような、そんな奴。


「何もしてないのに殺されてたまるか」

「でもよ、噂じゃゾウだって一撃って訊くぜ」

「どんな劇薬だよそれ。バカか」


 九条龍華に関する噂は、留まることを知らない。

 この手の話なら腐るほど聞いた。


 既にヤクザからスカウトされてるとか、女子ボクシングの推薦で大学が内定してるとか、警察の特殊部隊の応援に呼ばれてるとか。


 街談巷説。ただの噂にしても少々盛りすぎな気もするものばかりで、呆れる。

 

「でも、綺麗なんだよなあ。もったいねえ」

「そんなこと言ってたら、それこそぶん殴られるぞ」

「あ、戻ってきた。じゃあな」


 金髪をなびかせながら教室に再び入ってくる九条の姿にビビりながら席に戻る友人を見て、またため息だ。


 あんな華奢な美人が、本当に皆のいうようなヤンキーなのだろうかと。

 俺は常に疑問に思っている。


 九条龍華は超がつくほどの美人である。

 アーモンドアイというのか、特徴的な大きく切れ長な目が凛々しい美人。

 それに輝く金髪は少しパーマを当ててまるで一人だけ大学生のようで。

 そんな大人びた容姿に誰もが一度は目を奪われる。

  

 ただ、その大きな瞳と視線が合うと、誰もが目を逸らす。

 他の友人の話では、「睨まれただけで失禁したやつがいた」とか。

 いねえだろ、そんなやつ。ただ漏らしただけだよきっと。


 全く。人のうわさが好きな連中だなと、俺はやはり呆れる。

 最も、人のうわさ話でしか彼女を語れない俺も人のことをいえた立場ではないのだが。


 まあ、どうしてそこまで彼女を庇うかといえばだけど。


 俺は彼女に密かに惚れてしているからという単純な理由。

 実は出会いは高校に入る前。受験の時に偶然見かけた彼女に一目惚れし、それから可愛いと思い続けている。


 ただ、その時ももちろん彼女は誰とも話している様子はなかった。

 彼女は学校では基本無口。

 なので誰とも話しているのを見たことはない。

 ちなみに彼女が喧嘩をしているところというのも実際にみたことはない。

 いつも彼女のことを知るのは他人の噂。

 だから俺は彼女のことを何も知らない。


 それでもせっかく同じクラスの隣の席になったんだから。

 この僥倖をものにしない手はない。


 そう思って高校に入学してすぐ。

 皆が彼女に震え上がる中、その空気に抗うように。

 俺は彼女に声をかけた。


 教室で隣に座る彼女に、おはようとだけ。

 さっき彼女が言ったようななんでもないものだったけど。 

 

「おはよう」


 と、彼女は普通に挨拶を返してくれたのだ。

 それが嬉しくてつい、「九条さんのおはようって声、綺麗だね」とか。

 調子に乗ったことを言ってしまった。


 それがまずかったのか彼女は黙ってその場から立ち去ってしまったのだが。

 なぜかあの日以来毎日、教室に入ってくる彼女は「おはよう」を欠かさなくなった。


 そんな彼女を見ていると、とても悪い人とは思えない。

 惚れてるからゆえの贔屓なのかもしれないけど、俺は彼女を悪く言う理由がない。

 だからもっと仲良くなりたいのになあと。思い続けていてもなかなかチャンスは訪れず。


 気が付けば最初の一週間は何もなく過ぎて。


 今日もあっという間に一日が終わり、彼女は放課後になるといつものようにさっさと教室を出て行くのであった。



 俺の通う、私立常盤高校しりつときわこうこうは地元のなんでもない学校。

 だから別に部活や勉強もそこそこで、帰宅部も珍しくはない。


 俺もそんな珍しくない人間の一人。

 基本的にはまっすぐ家に帰って、家で適当にテレビを見ながら過ごすだけの凡人だ。


 まあ、そんな俺にも趣味くらいはある。

 その趣味の為に今日は自転車に乗って隣町まで向かう。


「いらっしゃいま……なんだ宮永君か」

「お疲れ様ですあかねさん」


 俺が訪れたのはゲームセンター。

 ここでゲームにふけるのが唯一の楽しみである。


 店は基本暇なのでバイトは常に一人。

 今日は店員の女子大生、あかねさんがいた。


「ええと、今日も暇そうですね」

「だねー。あ、お客さんが来たよ。いらっしゃいませー」

「……ん?」


 自動扉から入ってくる客の姿に見覚えがあった。

 金髪の美人が、颯爽と店内に入ると、角を曲がってクレーンゲームコーナーへ。


 ……九条さんだ。

 ここで会うのは初めてだな。


「あの子、すごい美人だね。でも、ヤンキーっぽい」

「え、ええ、そうですね」

「じゃあ、私は裏の掃除してるからごゆっくりー」


 あかねさんを見送った後、俺はもちろん九条さんの様子が気になってすぐにクレーンゲームのコーナーへ。

 

 すると彼女の姿がポツリと。

 さらに何か独り言をつぶやいている。


「かわいい……あのシロクマさんかわいい……」


 鬼気迫る表情で、しかし言ってる内容がかわいい。

 目の前のガラスケースの中には大きなシロクマの人形が。


 今人気のファンシーグッズのメインキャラの一人であるそれをずっと、睨みつけている。


「もう一回……あー、もう! なんで取れないの? もう一回……あうう、全然だめだー」


 何度も挑戦する彼女を頑張れと思いながら見守っているが、しかしながら全くダメ。

 頭を抱えながら悔しがる彼女の姿は、正直意外だったけど。

 それよりまず、ゲーセン通いを趣味とする人間として言いたいことがある。

 彼女は致命的にクレーンゲームが下手だ。


 まず、大きな景品についてはオーソドックスにアームで掴んで落とすなんて作業はほぼ不可能。

 ずらしたり、ひっかけたり、時にはアームの外側の力を使って押し出したりしながら穴に近づけていくのが定石だ。

 しかしこの子はずっと、同じ作業を繰り返している。


 いい加減見ていてイライラしてきたのでどうしようかと思っていると、彼女が俺の存在に気が付いた。


 すると、大きな目を細めてジッと睨んでくる。

 ジッと、獲物を捕らえた様子で、視線を外さない。


「あ、あの……」

「……」


 その威圧感たるや凄まじい。

 なるほど、失禁したやつがいるという噂も頷ける。


「よ、よかったら、あの、どこ狙ったらいいかアドバイスしましょうか?」


 沈黙に耐え切れずそんなことを言ってみた。

 すると、


「……どこ狙うの?」


 と。か細い声できいてくる彼女の顔はもう真っ赤になっている。

 少し涙目でもある。

 よほど悔しいのか?


「ええとですね、この左耳のあたりを押すようにもっていけば反動で転がって、うまくいけば落ちると思うんですが」

「……じゃあ、やって」

「え?」

「やって。とって」

「……いや、それは」


 まあ、小さな子供の為に、景品をとってあげたこととかもあったけど。 

 それはあくまで小さなお子さんだからであって。

 それに俺だって確実に取れる保証はないし。


「……シロが、知らない人にとられちゃう」

「シロ?」

「あの子の名前。もう、名前つけたのに」

「……え?」


 悔しそうな顔で、真剣にそう話す彼女に。

 俺はあいた口が塞がらなかった。


 ぬいぐるみに名前を付ける女子っていうのもどうかと思うけど、それ以前にまだ手に入れてもないものにとなると少々痛いレベルではない。


 ……え、九条さんってそういう人なの?


「今バカにしたでしょ」

「え、いや、してませんよ……」

「嘘。したのわかった。罰としてとって、これ」

「……わかりましたよ」


 綺麗で、でも孤独でクールで、そんな彼女のイメージは完全に崩れ落ちた。

 そこにいるのは、ただぬいぐるみを欲して目をぱちくりする可愛い女子高生の姿だった。


「見ててくださいね。あの端っこのところを……お?」


 狙いは思った以上に的確で。

 完全にまぐれだったがぬいぐるみは一発で穴の中に吸い込まれた。


 我ながらやるなあと、ほっとしていたところで。


「キャー、やったー!」


 と。大きな声が響く。

 その声と同時に、俺の背中に柔らかいものが。


「あ、あの? 九条さん?」

「やったー! すごーいっ! ありがとう宮永君!」

「え、お、おっぱいが……」


 俺の名前、覚えててくれたんだという喜びよりもまず、彼女の胸のムニムニとした感触が背中に伝わる。


 その感触に硬直していた俺は、次第に息苦しくなっていくことに気づく。


「くる、しい……く、九条、さん……」

「ありがとう宮永くん! ありがとー! ぎゅー」

「がが、……」


 まるで大男に締め付けられるようなものすごい圧迫感により呼吸ができなくなった俺は。


 その場で意識を失った。

 

 

 

 




 

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