第44話 串刺し公の肖像
『竜公』こと
「うぇ……えげつねーモン見た……」
戦前のよい見世物があるからぜひ見ていけ、と言われて貴賓席でこれを見せられた辰馬一行、残らず顔色を土気色にした。
「あたしもあーいうのは駄目だわ……たぁくんじゃないけどあれは吐きそ……」
「わたしもです……。というかこの町のかたたち、みんな平気なんですね……」
普段ならエンドレスゲロ吐きマシーンになる辰馬をやれやれと見守る立場の雫、瑞穂も今回ばかりはもらい吐瀉。大輔もやはり死にそうな顔になる。『竜公』が串刺し公ともいわれて畏れと恐れで知られる、そのことは聞き知っていても、実際実物を見るとリアリティが違う。とはいえこれはトルゴウシュテの政治の問題、実質的に4国連合の首魁といってもいい辰馬ではあるが公的には一介の武弁、あるいは士官学校所属の半軍人、あるいは育成学校を卒業したての冒険者に過ぎない。口をさしはさむことは許されなかった。
こういう、残忍非道ぶりが際立つかと思えば。
「お客様がた、昨夜はよく眠れましたか?」
翌朝、食堂に集まったバートリはトルゴウシュテの太守ではなくメイドの給仕娘で、将官たちの間を走り回って料理を配膳して回る。正直、辰馬たちの中に昨日の今日で食事を摂るだけの胆力の持ち主はおらず、水だけちびりちびりと飲んでいる(トルゴウシュテの水はきれいで上質、西方に来てからこっち水代わりにビールばかり飲まされていた辰馬だが、ここでは普通に水が飲めた)わけだが。
それ以上におかしいのはシュテファンの彼女とバートリの彼女、ふたつの顔の落差について、トルゴウシュテの誰もがおかしいと違和感を言い立てないことだ。バートリとしてふるまう彼女も、服装はさておき容姿はあきらかにトルゴウシュテの領主。にもかかわらず民も将校も誰一人彼女を領主さま《マリアタ》とは呼ばない。下手をすれば給仕するバートリの尻をなでて笑顔で小突かれるような光景すらあり、それが昨日の串刺し公とはどうしても一致しない。
「で。あいつは二重人格、なんだっけ?」
朝食後、辰馬たちはあてがわれた部屋に集合する。貴賓としてそれに相応しい部屋を用意され、ソファの柔らかさからして辰馬がこれまでにつつまれたどんな布団ともわけが違うが、その快適さを楽しんでいる余裕はない。
「はい。先代トルゴウシュテ公の代でこの公国は最大の繁栄を迎えましたが、惜しむらくは後継者を定めないままに亡くなられました。そのために嫡女バートリさまとその弟ラドゥさまの間で、継承戦争が起こったそうです……」
町を見聞して仕入れた情報を、瑞穂が話す。その声音を聞くまでもなく、この先の話が面白くないものになることは予想がついた。継承者争いというだけでだいたいは予想がつく。身近な例としてはエーリカが、王位に就くために兄と叔父を殺しているわけだし。
「ラドゥさんは能力も人格もあんまりよくなかったらしくてねー、評判もあんまり……だったんだけど、そのくせ権勢欲は人一倍強かったらしくて。何度もおねーちゃんに喧嘩売って、挙句にはヘスティアに通じてトルゴウシュテを攻めさせたこともあるんだって」
瑞穂を継いで、今度は雫が語る。その声にはラドゥを愚かと思いつつも、優秀で有能な姉を持った弟への憐憫があり。
「なんでそこでおれのこと見るよ?」
「べーつにー」
シスコンな弟を持った姉としてはなんとなく、バートリの心情もうかがえる雫だった。なので次に起こった事件も許せてしまうところがある。
「結局、ヘスティアの侵攻はバートリさまに撃退されたのですが、飽き足らないラドゥさまはバートリさまを毒殺しようと謀られ……」
「かろうじて、って感じだったらしいよー。一時は危篤状態に陥って大変だったって。でもなんとか持ち直したバートリさんは……」
「さすがにその弟殺すよな。それで人格が分裂したか?」
先んじて口にする辰馬に、雫はしかしかぶりを振る。悲劇はもっと深く、陰惨だった。
「んー、近いけどちょっと違うかな。バートリさんはラドゥさんのこと、許しちゃうの。でもラドゥさんとしてはおねーちゃんのもとに一緒にいるなんて針の筵じゃん? それで結局、出奔してヘスティアに行ったんだけど……そこで殺されちゃった」
ヘスティア皇帝としてはシュテファン・バートリが大国ヘスティアに二度と盾付けないように示威行為のつもりであったらしい。ラドゥの耳と鼻を削ぎ、目をつぶし、生きながら寸刻みにして殺した。この件にいたり、痛ましげに眉をひそめたのは瑞穂。彼女の義父・相模もまた、才能と徳望を愛し、羨み、妬んだすえの神月五十六とその一派により膾にされ、殺された。
結果としてヘスティア皇帝の威圧策は完全に裏目になった。5年前の時点でバートリはすでに優れた武人にして為政者であり、戦場でこの地に比類なき名将であったが、高潔で人の命を弄ぶことはなかった。
それがラドゥ横死により一変する。敵には一切の容赦をせず、それこそ二度と自分に盾つけないようにむごたらしく殺す。ヘスティアが10万余を投入してトルゴウシュテに馬蹄をとどろかせると2万に満たない寡兵ながら敵中に間諜を放って情報戦で兵力差を覆し、敵を完膚なきまで叩きのめす。そして狂気の公姫は捕虜2万をことごとく串刺し刑にして哄笑した。
「そのころからバートリさまはときおり、あの、今朝会ったような明るく快活な少女のようなふるまいを見せるようになった、ということです」
「あー……バートリが主かと思ってた。違うんか。シュテファンがもともとの人格で、そこから派生したのがバートリ?」
「たぶん弟のラドゥさんにこーしてあげたいって思う、理想のおねーちゃんの姿があれだったんじゃないかなーって……」
「なるほど……。けどなぁ、それがわかったからってあいつを救ってやるだけの能力も時間もねーぞ?」
「いやいやいや。たぁくんならできるって。なにせみんなの弟キャラ、愛されキャラだし!」
「は?」
「まーたぁくんは特別なことしなくていいから。自然にふるまってればね、血の中におねーちゃん遺伝子を持ってる女の子なら、たぁくんをほっとけないから!」
「なんか……ある意味すげー馬鹿にされてる気がするがこれ、流していいんかな。すげー不名誉な気がする……」
「ま、まぁ、とにかくそうやってバートリさまの心を溶かして、そしてヘスティアと戦争ではなく対話のテーブルについていただいて。トルゴウシュテとヘスティアを一緒に味方に引き入れることができれば、というわけです」
「うん……それはまあ、わかるんだが。作戦がな。……おねーちゃん遺伝子、ってなんだよ……?」
「いーから、とにかくやるよ! おなじおねーちゃんとして、バートリさんのことはほっとけないからね!」
………………
それから3日の行軍中。辰馬はそれとなく、バートリの目につくようにふるまった。シュテファン公として鉄の女でふるまうバートリだが、雫が予言したようにというべきか初日の夜から辰馬への視線が優しいものに変わり、二日目には自分から辰馬を探すようになり、3日目には辰馬に声をかけるようになった。5日もすると瑞穂や雫が嫉妬するくらいに近くふるまうようになる。そういえば新羅辰馬という少年は母性本能と庇護欲をくすぐる系の超絶美少年であり、それが本気で気を引くようにふるまえばかさねて雫が言ったように、おねーちゃん遺伝子の持ち主は案外こうなる。
「ふふふふ、辰馬さん、辰馬さん、~~~、辰馬さん可愛いですねっ♡」
「ぎゃー! やめれ、離せぇ! みんな見てる、見られてっから! 大将がこんなとこでこんな……やめれって!」
「やーめーまーせーん♡ あー、辰馬さんのほっぺぷにぷに~♪」
「あんた、しず姉じゃねーんだからそんな……」
「失敬だなぁたぁくん、あたしそんなにだらしなくないよー?」
「いや、いつも相当だらしないですよ、牢城先生は」
「やははー、まさかまさかそんな。……え、ホントに?」
大輔に突っ込まれた雫はいつものやはは笑いで返すも、相手のまじめくさった表情に不安になったのか改めて聞き返す。大輔が残念ながら、と頷き返すと、少し悄然と肩を落とした。
「しず姉のだらしなさは今どーでもいいとして。バートリ……今はシュテファンだっけ? ヘスティアと和睦ってわけには……」
「それはできません」
「………………そこをなんとか」
「無理です。ヘスティアはトルゴウシュテの仇敵。辰馬さんのお願いでも聞けません」
この3日で精神的な安寧を得て、シュテファンとバートリの垣根がかなりあいまいに溶けつつあるバートリだがやはりヘスティアへの恨みは強く、にべもない。
「……なら、仕方ねーか……」
と、いうものの。
………………
「ここまで来たらやっぱ、トルゴウシュテとヘスティアの和平を実現させたいよなぁ」
当然、諦めるわけがなかった。
「遺恨を捨てさせることは不可能です。心に根差した問題ですから、無理矢理に矯正できたとしても恨みは残ります。ですから、あくまで両国を同盟に組み入れる、という路線で行きましょう」
「恨みはあるがひとまず手は組む、って感じだな。OK、なんにせよ無駄な血が流れないならそれでいい。人の考えまでどうこうしようとか、そんなこと考えるほど傲慢じゃねーわ。……となると、理と利で話をするべきなんだろーけど」
情ではなく理で。瑞穂の言葉に辰馬はうなずき、さてどうしたものかと首をひねる。大国ヘスティアを相手に局地戦で何勝を重ねたところで、最終的には「岩が卵を潰すように」押しつぶされる。そんなことをいくら言っても、バートリの心は動かせないだろう。すでにそんなことは誰かが何度だって進言していることだ。
「ヘスティア皇帝に土下座させて向こうから和を乞わせるとか、そんくらいしねーとダメだよなぁ……無理か……んじゃあ、トルゴウシュテの生活必需品ってなんだっけ? それがヘスティアにたっぷりあるとしたら……」
「貿易権の線から、ですか? それでしたら……たぶん、小麦が該当するかと思います。このあたりは麦の取れ高が少なく、その所為でエッダに普通にあるパンも希少で、ビールもなかなか造れないと」
「あぁ、それでおれのテーブル、水が出たのか。こっちの国には珍しーから、水が特産なのかと思ってた」
「水がきれいなのも確からしいですが、やはり民衆はパンとビールを望むらしいです。エッダ政府からの輸入も、シュテファン公の威勢が強くなりすぎるのを嫌う政府によって制限が厳しいと。そしてヘスティアは北方でも随一の麦どころ。そこで、ご主人様としては?」
「じゃあ……アレだな、ヘスティア皇帝を動かすのは難しいが、ヘスティア商人に話すとすっか。トルゴウシュテとの麦の貿易権、その見返りとしてシュテファン公にはヘスティアと和を結んでもらうようにして、あとは交渉を有利に運ばせるためにトルゴウシュテを勝たせる! 交渉は瑞穂に任す。エーリカや連合の名前使ってもいいから、存分にやれ!」
「はい!」
かくて。
トルゴウシュテとヘスティアの戦端が開かれる、その直前に。対神魔連合の賓客・新羅辰馬ははかりごとを巡らす。幸い交渉の材料としてトルゴウシュテはワインの原料である上質なブドウを多く産し、神楽坂瑞穂はその伝を使ってヘスティア商人に麦の輸入を承服させることに成功、辰馬は理をつくし情を尽くしてシュテファンを説得し、なんとか交渉のテーブルに着くことを承知させる。しかし目前の戦にトルゴウシュテが負ければ交渉は破談、それ以前にトルゴウシュテが滅びるだろう。
勇ましき公姫に率いられ、疾風が草をなぎ倒す勢いでヘスティア先遣軍を打破していくトルゴウシュテ軍。数に劣る彼らは普通に戦ったのではまず、大国ヘスティアに勝てない。勇猛なれど無謀ではないシュテファン・バートリが戦場と策定したのはエッダ・ヘスティア国境付近の、森と沼沢と渓谷に満ちた険阻の地形だったが、すぐさま入った間諜の報告がトルゴウシュテを震撼させる。ヘスティア皇帝オスマンが発した今回の動員兵力は40万、世界最強国家ラース・イラや東方の雄藩アカツキの最大動員兵力に匹敵した。対するトルゴウシュテ軍は4万2千、兵力差は約10倍。なまなかの戦術など問題にもしない大兵力は、オスマンの本気を思い知らせた。
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