第39話 新生
「どうです、出水のやつ……?」
「大丈夫。おれが処置してんだから、大丈夫」
大輔の言葉に応える辰馬の返事にも、やや力がない。強烈な、劇毒というべき神力をいちどきに流し込まれた出水、その身体に魔力を注いで相殺を試みる辰馬だが、2日ほど前から出水は昏睡して意識がない。
「あのデブ……、辰馬サンに断りなく勝手に死んだりすんなよー?」
シンタもさすがに心配そうに呟く。新羅辰馬の一行において、辰馬が倒れることはしばしばあったがそれ以外の仲間が倒れるのはおそらくはじめてのことだ。辰馬には魔王であり、創世の神の片割れという存在力……いうなれば世界の恩寵……があるから仲間たちもある程度安心していたが、出水の場合はそういう特殊性がない。それだけに仲間たちの心配は一入だった。いつもなら出水をキモデブ呼ばわりしてあまり近寄らないエーリカですらも、枕元に立って献身的に濡れ手ぬぐいを換えてやっている。
………………
その頃、アカツキ。
「あの小僧を召し戻せ」
永安帝、暁政國はそう言った。アカツキにおける魔軍の脅威は一段落しており、新羅辰馬を召し戻す必要はとりあえずないように思われる。にもかかわらずのこの一言に、廷臣たちは困惑顔を見合わせた。
「次は女神の攻撃があるのだろう? 魔王殺しの勇者、新羅狼牙も混元聖母を倒すことは出来なかったというではないか、ならば我が盾となる者はあの小生意気な小僧しかおらん! 外つ国の事情など知らぬ、早急に帰らせよ!」
永安帝はヒステリー気味に叫ぶ。彼にとってアルティミシア大陸全土の兵倭などどうでもよかった。彼はただ自分の至尊が守られればそれでよく、他者の存在など自分の地位を固めるための道具でしかない。約20年間、大過なく治世を過ごしてきた永安帝だが、ここにきて小人のメッキはボロボロと剥がれつつあった。
………………
混元聖母と魔神ローゲ、神族と魔族の軍は、ヴェスローディア王都ヴァペンハイムで激突した。
30万近い魔軍に対し、神軍は混元聖母が神界から召喚した天使、あるいは地上の人間に天使をとりつかせて強制的に神使にしたものたち5万に満たない。だが、完璧なまでの統御と用兵によって戦場を支配しているのは、あきらかに神軍の側であった。
聖母の持つあまたの宝貝……いわゆるところのマジックアイテム……のうちでも、特に戦場支配に有効なものが「坤地幡」という旗。これを一降りすれば瞬時にして平地に崖や山がそびえたち、湖は砂漠に変わり、隘路は闊路に、闊路は隘路に変わる。変幻自在の地形を駆使して敵を分断し、あるいは袋小路に大軍を押し込めて殲滅し、徹底的に圧倒する。
「クソが! クソがよ! あの女ァ、裏切った上に何してくれてやがる!?」
炎の国<ムスッペル>の主にして詐術の巧、ローゲも、ここまで一方的に圧されるとは思ってもいなかった。魔軍の士気も準備も装備も、すべて粗漏なく整っていたのである。自信満々の敵を前になんらかの策があるだろうとは思っていたが、こうも戦陣をズタズタにされるとは。既に魔軍は軍隊としての体をなしておらず、個々の魔将の踏ん張りがかろうじて決着までの時間を長引かせているに過ぎない。ローゲは血涙すら流さんばかりの思いで敵陣を睨み付けた。今となってはわずか10キロにも満たないところにいる混元聖母に、牙を届けることも出来ない。追いすがる天使、神使の群れを右に左に斬り捨て、焼き殺しながら、ローゲは敗走、ヴァペンハイムの王城に退いた。
………………
混元聖母は急ごしらえの炉の前にいた。
副官となったシグンが引き連れてきたのは、数人の人間。すべて男。彼らは神の降臨を喜んですかさず神軍にはせ参じた敬虔な女神信徒であったが、それを睥睨する混元聖母の瞳はどこまでも冷厳で、酷薄であった。
混元聖母が盈力の使い手であり、並みの神力使い、魔力使いに比べて格段の力を持っているとは言え、坤地幡の地形操作のような巨大な力を連続で行使すれば疲労する。ここが神域ならその清浄の気と女神の力の源泉・ネクタルとアンブロジァという霊酒で回復するのだが、ここにそんなものはない。
となるとどうやって聖母はどうやってその巨大な力をまかなうのか。
答えはすぐに出た。混元聖母の合図でシグンと天使たちが人間を炉に追い立てる。
「あなたたちはこの炉の中で生まれ変わり、女神に尽くす新たな力を得るのです!」
シグンが言った。不安げだった男たちは不安を払拭され、女神に尽くすための力、を手に入れるべく我がちに炉へと突進していき。
そして、消失した。
「人間10人程度とはいえ……、期待した霊力値より低い……。まあ、仕方ないけれど……」
混元聖母は我が身に還元された霊力を確認して、淡々と言い捨てる。人間たちは確かに「女神に尽くす力」となった。消滅して純粋な「力」となり、女神に取り込まれるという形でではあるが。その残忍で非道な行為に、混元聖母とシグン、二人の女神はまったくなんの呵責を感じることもないのだった。
「あと1000人くらい? 使うとしましょう……、女の子を殺すのは可哀想だけれど、数が足りないなら彼女たちも……。それで、ローゲを殺すには十分。ローゲを殺せば……ロイアの封印も、解ける……」
混元聖母はぽそり、ぽそりと静かに言うが、そこに人間たちの守護者たる女神としての顔はない。彼女は人間というものを完全に消耗品としか見ておらず、それは神軍全体一人残らず、同じ思考論法であり思想であった。
………………
「今……なんと?」
「新羅中尉およびその小隊にはアカツキ京師太宰への帰還を。今後は皇帝陛下の身辺警護に当たっていただきます。ヴェスローディアでの任務は北嶺院中将、あなたが引き継ぎなさい」
「………………」
新羅辰馬送還命令はまずアカツキ-ハウェルペン駐留軍の北嶺院文にもたらされた。通信機から上官たる大元帥、本田姫沙良の言葉を聞いた文は人を道具扱いするアカツキ上層部の考え方に思わず激昂しそうになるが、かろうじて堪えた。三大公家の自分がここで下手を打って失脚すれば、辰馬を庇うことも出来なくなる、そう考えての沈黙を肯定と捉えたのか良心の呵責か、姫沙良はそのあとしばらく弁明めいた言葉を並べていたが、それが文の心を捕らえることはなかった。
「……さて、どうしたものかしら……」
「今のは、本田元帥ですか?」
給仕姿で料理皿を盛って、そこにやってきたのは晦日美咲。いわゆる新羅-蒼月館一家全員ぶんの食事を賄う美咲は朝食を辰馬の拠点であるハウェルペン政庁からは離れたアカツキ軍の幕舎に持ち寄り、そして都合よくなのか折悪しくなのか、文と姫沙良の会話を聞いた。
「わたしに話させてください。さっきの元帥の言い様にはこちらも言い分があります」
美咲にしては珍しく、怒色あらわにしての態度。文は小日向家の一使用人に過ぎない美咲が元帥相手に……と一瞬、思ったが、考えてみれば美咲は直接の軍属ではないにせよ国家レベルで見れば大元帥よりさらに上位にある筆頭宰相……丞相……本田馨綋の子飼いである。そういう意味で考えれば美咲の地位は文や姫沙良より上位ですらあり、地位を重んじる本田姫沙良という女に対してはこれ以上ないかも知れない。
つないだ。
「なんでしょう? 言っておきますが先ほどの通達は決定事項で……」
「よくそんな口がきけたものですね、本田さん」
美咲は冷厳に、「本田元帥」と呼ばず「本田さん」と言った。すでにこの時点で美咲の怒りがしのばれる。
「この声に聞き覚えはありますでしょうか、晦日美咲です。ヒノミヤ事変において貴方が活躍できた恩人の声と名前を、忘れましたか!?」
「ひ……ッ!?」
ガシャン、と音がして一瞬、通話が途絶える。どうやら向こうで受話器を取り落としたらしい。それにしてもなのは美咲の方で、常日頃自分を主張せず、功を誇らない美咲がわざわざ旧恩を盾にしてまで怒鳴りつけるとは珍しい。
「つ、つごもり……さん……? い、今の話を、どこまで……?」
「どこまででも関係ありません。皇帝に伝えなさい、あなたの御身は自分でお守りなさいと。いま、辰馬さまはこのアルティミシアの危急存亡を担っておいでです。あなたたちのくだらない権謀劇に付き合っている時間はないッ!」
美咲の裂帛の怒号に、電話口の姫沙良のみならず隣で見ている文もが震えあがった。ことに文の驚きと動揺は激しく、ヒノミヤ事変以降文が蒼月館を卒業するまでの半年間、一緒に過ごした時期があったにもかかわらず、美咲がこれほどの激情を秘めていることに気づかなかった。
「……あ、あなたの今の言葉、本当に陛下に伝えても? 反逆の言と取られても仕方ありませんよ? 宰相の庇護下にあるあなたの主君も……」
「もし、ゆかさまの御身になにかあれば……わたしは貴女がたを許しません。鋼糸で寸刻みに切り刻んでさしあげます。その覚悟があるなら……ゆかさまも私の行動を止めようとは思わないでしょう」
「……ッ!」
気圧されたのか、怒りか、屈辱か。姫沙良は叩きつけるように通話を着る。受話器を返した美咲と、受け取った文は顔を見合わせ、うなずき合った。辰馬の召喚命令は、このままもみ消す。
………………
出水秀規は混沌としたうねりの中にいた。これが夢であることは分かるが、瑞夢か悪夢かはわからない。ただ、痛みは感じないから、混元聖母に痛めつけられた直後より快方には向かっているらしい。
身体の中で脈打つ力。最初はそれが毒で身を蝕み、命を削るものだったのだが、新しく力が流し込まれることでそれは変容して、新しい自分の一部へと変わっていく。かつてないほどに強くいななく、奔馬のごとき力は所有者である出水自身の制御を離れようと荒れ狂うが、出水はどうにかこうにか、その暴れ馬を御してのける。
「……ん……シエルたん、主様……」
看病疲れか、枕元で泥の様に眠る兄貴分と、じぶんのつれあい。出水はようやく自分が苦行から解き放たれ、新たな力を得て還ったことを知る。
脈々と、身の内にたぎる力はおそらく神力でも魔力でもなく、盈力。強烈な神力を打ち消すべく辰馬が注ぎ込んだ魔力が、出水自身の持っていた霊力と融合し、固着化して、きわめて珍しいことにそのまま盈力として出水のものになったらしい。辰馬ほどの出力は出ないとしても、相当な戦力増には違いなかった。
「この力……主様がくれたものでゴザルな……これからは主様の甘さをどうこうなどとは言わんでござる。主様がその優しさ、甘さを持ったままに理想を遂げられるよう、拙者がお助けするでゴザルよ……!」
出水秀規は新羅辰馬という太陽の、影となることを誓う。辰馬ができないということはすべて自分がやるのだと、辰馬のために自分の命を使うのだと、改めて、魂に刻んだ。
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