第40話 暁天群像

「あの餓鬼め、餓鬼め、糞餓鬼めっ!! わしの恩寵を……!!」

 怒りにまかせて床を何度も殴りつける、永安帝・暁政國。皇帝に求められる泰然自若とはほど遠い姿であり、臣民が見れば不安をあおられること疑いなしであるが、今の永安帝は自身がひどい不安に苛まれているため、繕っている余裕などなかった。ふだんから宰相任せの政務も一切を人任せにして、宮廷の屋でただひたすら床を殴り続ける。鍛えているわけでもない拳はたちまちにすり切れ、軟骨が剥けて見えているが、永安帝はやはり気づくことなく拳を打ち付け続ける。


 怒りの矛先は新羅辰馬という一人の少年に収束される。まだ士官学校の学生に過ぎぬ身を大抜擢して魔軍討滅戦に抜擢してやったというのに、3ヶ月近くかけてろくな戦果報告もない。果ては召し戻して皇帝直属護衛官にしてやるという寵遇すらも無視だ。


 もちろん、これは永安帝の勝手な言いぐさに過ぎない。辰馬にしてみれば実姉を殺さねばならない魔軍討滅戦になど出向きたくもなかったし、そのための兵力を与えられたわけでもない。そして今、神軍と魔軍の動向を前にして、歴史の分水嶺ともいうべき緊張状態にある辰馬を召し戻すなど言語道断もいいところであるのに、永安帝は自分の保身のために辰馬を呼び戻そうとしている。実にはた迷惑きわまりない皇帝なのだった。


 ひとしきり床を殴り続け、殴り疲れた永安帝はやおら立ち上がり、ふら、とよろめく。ながらく座り込んでいた状態から立ち上がったことで貧血を来したらしい。奥の間からふらふらしながら出てきた永安帝を次女たちがとり囲み、支えようとするが、好色なはずの永安帝はしかしいらだたしげに次女たちを振り払う。


「つまらん媚びを売る暇があったら、早くあやつらを除かんか!!」


 現魔王・クズノハの第二次魔神戦役宣言の時もこの皇帝はかなりの錯乱を見せたが、今回の狂態はそれに輪をかけてひどい。神族、ことに首魁たる混元聖母から特別に狙われる理由があるのかと言われると「なくもない」。


 もう、40年近く昔になる。当時皇太子であった暁政国は桃華帝国の首府・煌都に留学中であった。現在の桃華帝国皇帝・趙公瑾とは友人と言われると怒りたくなるが、まず悪友と言っていい関係だった。とくにことともに悪事を謀るにおいて、この二人は最高のパートナーだったと言っていい。一緒になって貴族の娘をさらったり、詐欺組織を作って小銭(一般人的な感覚では天文学的金額)を荒稼ぎしたこともある。


 そんな二人が若さに任せて行った悪行の中でも極めつけのものが混元聖母の「聖母廟」を訪問した際のこと、


「俺の国の主神はもうひからびて消滅しているという、桃華の主神もどうせババアだろう?」

 この言葉だけでも十分、不敬に当たるが。


「いやいや、我が国の主神、混元聖母は9柱の女神のうちでも最も古く最も新しい女神。永遠に若いまま、年を取ることがないのだ」

 趙公瑾が自慢すれば、政國の中の好色が頭をもたげる。若く美しい女神と致せるというのならそれに勝る誉れなし、と、二人は微行(おしのび)で聖母廟を訪れる。


 そこに女神の本体はなかったのだが、美しい官女が居た。かの官女はアカツキで言うところの齋姫、女神を我が身に降ろす資質の持ち主であり、魂の一部を混元聖母と共有していたのだが、政國と公瑾の二人はこの美貌の官女を押し倒し、無理矢理事に及んでしまう。そして事が終わった後。


「お前たち……許さない……。人間は……、特に男は、必ずわたしが……この地上から、粛清し、滅し去る……」

 それまでの官女の声とは違う声音。震え上がった政國は腰の剣を抜き、官女の頭をたたき割ると恐怖に任せて一目散に逃げ帰った。そのまま留学も切り上げ、アカツキに帰る。


その後皇帝即位前に桃華との国境付近の小邦、テンゲリを攻めて当時のテンゲリ王子、現ラース・イラ宰相ハジルと戦い、沙陀畷の戦いで大敗したわけだが、あれも実際にはテンゲリを打倒するためというより国境付近にある聖母廟を破壊するべくの進軍であった。ために、政國は即位し永安帝となった後もしばしば桃華帝国に兵を送り、国境近辺の聖母崇拝厚い地方を焼き討ちさせている。これまでこれらの行動は永安帝の貪婪さと執拗性の表れと表現されてきたが、実際にはこうした背景がある。


ゆえに永安帝は魔王や魔神よりも女神を恐れること甚だしかった。

「では、護衛官を雇い入れましょう」

 永安帝の懊悩に、参内した宰相・本田馨綋はこともなげにそう言った。


「何人かの目星はつけてあります。さすがに蒼月官を飛び級して卒業するほどの人材となると優秀ですな。まずはこの、覇城瀬名」

「覇城の……、……? 覇城とはいえ子供ではないか!? こんな餓鬼になにができる!?」

「いえいえ、この小僧はなかなかですぞ。神力や魔力の素養こそありませんが、4重詠唱、9重詠唱という絶技を使いこなす腕利き。なんといっても新羅辰馬の敵手を自ら持もって任ずる気宇の持ち主です」

「ふむ?」

「そして、月護孔雀。1年生時点では学年筆頭でしたな。血統のどこかで神族とのかかわりがあるらしく、男でありながら神術の素養を持ちます」

「なるほど……使えるのだな?」

「は。多少、二人とも人格的な難がありますが、指導者に人物を置けば問題はないかと」


………………

「……それで、指導者の人物ってワシか?」

「ははは、お菓子を持ってきましたよ、先輩。どうご細君と一緒にお食べください」

「やかましーわ、ばかたれ! なんでワシが今更、小童どもの厚生指導員なんぞやらにゃあならん!」

 へらへらと笑って揉み手するこの国の筆頭宰相に、新羅牛雄はひげを怒らせ当然のごとく荒ぶった。かわいい孫(辰馬)や直弟子(雫)はともかく、本来的にはとうに隠居の身である。よその家の、それも素行不良児の厚生などつきあっていられない。当然却下だ。


 なのだが。


「ボクたちも別に、あなたのような老いぼれに学びたいわけではないんですよ、ご老体。たいしたことを教えてくれるわけでも、ないでしょうし」

 覇城瀬名はいかにも老耄をさげすむ調子で言い放つ。声も態度も仕草も、魂の隅々から発せられる自分を軽んじるオーラに、牛雄はぴくり、と片眉あげる。


「おい小僧ォ、死にたいらしいな……」

 軽く、掌を床に触れる。


 その場には何も起こらない。大都市一つを軽く壊滅させるほどの衝撃波は床下、地面を通り、道場下に立つ瀬名に牙を剝く! 刹那、気づいてヘリオポリスの九神<エネアド>に霊讃を上げようとする瀬名だが、あまりにも間に合わない。


 ズゴボゥアッ!!


まさに「食らう」というのがふさわしい轟音と衝撃。極大の局地地震エネルギーをまともに受けた瀬名は、瞬時にボロボロになって声もなく倒れ伏す。


「さて……ワシが指導員で不服というガキは、まだおるか?」

 睥睨する牛雄。一番の腕っこきである瀬名が瞬殺され、二番手、孔雀も震え上がる。三番手以下の連中に反抗心など残るはずがなかった。


「いや、よかった。さすがは先輩ですな。指導員を引き受けてくださり、感謝です!」

「あ? ……あ! いや違う、今のは言葉の綾じゃ、本田ァ!」

「いやいや、こんど最高級の吟醸酒をお持ちしますので。それではどうぞよろしく」

「本田ァーァ! ち、あのばかたれが……まあ、仕方ないわ。お前たち、ワシが指導員を引き受けたからには、なまなかの覚悟では生きていけんと覚悟せいよ!」

 こうして、覇城瀬名、月護孔雀以下のもと蒼月館エリート学生陣は新羅公南流古武術講武所師範、新羅牛雄の預かりとなって禁裏<皇城>の守護任務に従事することになる。


………………

 天使が迫る。

 天使、といってもかわいらしい妖精めいた存在ではない。ぶよぶよした肌色の球体に複数の目をもち、気色の悪い触手を無数に生やした化け物である。知性は高いが地上の言語を話すことは出来ず、やはり高等生物と言うには遠い。よその世界一般に言う天使という存在は、この天使を人間に憑依させた「神使」ということになり、そのわかりやすい例が朝比奈大輔の妻、長尾早雪であるが彼女が身体を壊していることからもわかるとおり、人間と天使の融合にはきわめて大きな危険が伴う。というか端的に言って、触手の化け物と融合させられるという事態それだけで忌避されるべき事だろう。


 猛然と列をなして突進してくる天使の群れ、辰馬ですらも一撃ですべてを倒すことは叶わず、撃ち漏らしがさらに突進する。シンタと大輔は飛び退いて射線を逃れたが、出水は避けようともせず迎撃の構えをとる。


「出水、だめだって、避けろ!」


「……心配ご無用でゴザル。……黒泉の深淵、深き淵の住人よ、汝冥府の獄卒、天秤と鎌を握るもの! 咎には罪を、罪には罰を! 反逆断罪<ダムナティオ・メモリアエ>!」

 新しい呪文を学び直す必要はなかった。血と魂の中にそれはある。出水はただ心の望むままに術を呼び起こし、そして「反逆断罪」の一言が告げられるや。


数十体の天使が、まさしく断罪の鎌で切り刻まれたかのように、ずたずたになって地に落ちる。一匹たりと、生存しているものはなかった。まさに必殺。


「うぇ……デブオタがすげぇ……」

「これは……負けてられんな」

 シンタと大輔が口々に、驚きと頼もしさと対抗心を口にする。


「出水、今の……」

「は、盈力でゴザル。主様のおかげでゴザルよ。これからは、主様が殺せんというなら拙者が殺すでゴザル。もう主様だけに負担はかけんでゴザルよ!」

「んー……うん、まあ……、うん」

 出水と辰馬の間には多少の温度差がある。辰馬に出来ないなら自分がやる、という出水に対して、仲間にだってやらせたくない辰馬なのだ。しかし出水が自分のために燃えているのもわかる、強くはいえなかった。


 ともかくも、新羅辰馬一行はかくて、まぎれもなく強力な力を手に入れた。


………………

「神軍と魔軍の争いに乗じましょう。シェダルの野からヴァペンハイムまでの林道、ここに伏兵を置いて神軍・魔軍が激突した瞬間に一斉射撃、そこから突撃です」

「それはいいけど、そもそもあの聖母に伏兵とか効くんかよ?」

 辰馬の言葉に、瑞穂はあごに指を添え。

「……辰馬さま? 神力に魔力を流し込めば、相殺できるんですよね?」

「そーだな。でも聖母本来の力は盈力だぞ。魔力酔いさせて感覚を酩酊させるのは……」

「それなら、盈力に盈力をぶつければ……?」

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