第27話 紡ぐもの

聖女ジャンヌ・ド・パプテストの猛進はとどまるところを知らず、無人の野を往くがごとし。王城レーシの6階層(屋上城楼を含めれば7階層)のうち3階のあたりで燻っていたはずの彼女は各階のガーディアンを2合とかけずに切り伏せ、一気に5階まで上ってのける。


「が、ここまでだな」

「うむ。ここから先は通さん」

 6階に通じる階段前、立ちはだかるのはクーベルシュルトの騎士やこの地の魔物ではなく、見覚えのない二人の巨人。


 二人とも、赤銅色の肌に赤い瞳。下半身は揺らめく猛火であり、上半身はいかにも屈強。はげ上がった頭にとがった耳(妖精種の長くとがった耳ではなく、人間のそれの先端が異様にとがっている)、水牛のように雄々しい双角とコウモリを思わせる双翼。


 そしてなにより、いかにも邪悪を絵に描いたような表情。マリッド、マフディーの直属たる、二人のイフリート(魔神)。彼らは主が人間の小娘に入れあげている現状にいらだちを感じてはいたが、しかしなお主への忠義は揺るがない。マフディーが誰一人ここを通すなといったからには、何者も通さない……じつのところ、こっそり通った新羅辰馬と上杉慎太郎の二人を通してしまってはいるが。


「退け、今の私は容赦を知らんぞ!」

 魔神相手に退かず臆さず苛だたしげに、剣を構えるジャンヌ。疾風の速さで踏み込み、二人の魔神に斬りつける。


 魔神たちはジャンヌの圧倒的速力に瞠目し、なすすべなく胸板を斬られた……が、その傷はたちどころにふさがり、今度はジャンヌの方が瞠目することになる。


「……!?」


 薄く低く笑う、二体のイフリート。絶大な魔力の結晶である彼らに、普通の武器で傷をつけることは不可能。辰馬のように、彼らの存在力以上の絶大な力をぶつけるか、雫のように魔力を否定する力を持つか、さもなくば聖別された武器を使うか、そのどれかでなくては魔神は倒せず、あいにくジャンヌにはどれの持ち合わせもない。急場で自分の神力を剣に宿して戦うという方法もあるが、ジャンヌは付与術の心得がなかった。


 そして今度は魔神たちの番。片側のイフリートが巨腕の殴打を繰り出し、それをジャンヌが回避した先にもう一人が、いかにも炎の使い手らしい容姿にふさわしく業火の弾丸をたたきつける。


「……っ!」

 回避を誘導されて業火弾の直撃。にもかかわらずこの新たな聖女は致命を避ける。ジャンヌ本人の身体能力による回避と防御、それに神力の加護による防御の底上げ。それが常人なら10回は死んでいる炎から彼女を生存ならしめる。聖女も魔神も、互いに相手を打破する決め手に欠けるが、余裕があるのは魔神たちである。彼らは王太子とトクロノフ師の処刑が完了するまで時間を稼げばよく、ジャンヌは処刑が始まる前にこの二人を抜いて進まねばならない。にもかかわらずジャンヌには攻め手がないわけだが。


 どごおぁっ!!


 そこに城壁をブチ抜いて、巨大な光剣が大穴を穿つ。アトロファとラケシスの聖女コンビをつれてここまで飛翔してきたのは、女神サティア・エル・ファリス。


「女神さま!!」

「どーも。ここは任されてあげるわ、聖女さま。さ、早く行きなさい!!」

 ふだんのだらけぶりはどこへやら。凜々しくも神々しく装ったサティアが両者の間に割って入った。ジャンヌもこの場の勝敗より王太子たちの身が最優先、口論する間もあればこそ素早く魔神たちの脇をすり抜け、階段に向かう。


「通さぬ!」

「行かせるか!」

 追いすがる二人の魔神。その前でサティアは薄く笑う。かつて宮代で新羅辰馬に対して見せた、残忍酷薄な絶対者の笑顔。


「邪魔はさせないわよ。……六条光牢(ステラ・プリジオーネ)」

短く、神言。次の瞬間サティアとイフリートたちは、天も地もない広大な六角の光檻、その中に閉ざされる。隔離世結界。閉じ込められて、しかし二人の魔神は余裕ありげに嗤う。城の中では見せられなかった本来の姿、高さ40メートルに及ぶ炎の柱が、サティアの前に顕現した。


 逆巻き渦巻き、迫る二本の火柱。なおしかし、サティアは余裕の表情を崩さない。


「旦那さまのご寵愛に、感謝を……今のわたしにこの程度の炎が、通用すると思われては心外ね!」

 炎に飲まれながら、逆に内側から空間をねじ曲げ、炎を内側から食らっていくサティア。相手の巨大さとか熱量だとか、そんなものは今の、絶好調な彼女の前には問題ではなかった。


ここ1月ほどの準備期間、少女たちにとっては辰馬の上に跨る格好の機会であり、抜け駆けなしで順番に辰馬の身体を堪能した女性陣。サティアや瑞穂にとって辰馬の精は最高の神力加速剤。いま胎内にそれを蔵したサティアの力は、限りなく絶無に近い。


 飲み込まれかけて慌てたのは魔人たち。火柱の姿を解いて逃れる。


「く……なにが女神だ……化け物が」

「この程度で化け物呼ばわりなんて、悲しいわね。世間を知らない魔神の戯言はいえ傷つくわ……というわけで、死になさい!」

サティアは空間から無数の光剣を抜き、縦横に降り注がせる。彼女には新羅辰馬のように敵を殺さない(殺せない)制約はなく、よって一切の容赦も遠慮も呵責もない。確実に仕留めるつもりであり、魔神たちがこれに耐えぬく力もなかった。


二人の魔神を殺して、あまりにも一方的にサティア、この場を制圧。


………………

ジャンヌ、アトロファ、そしてラケシスは6階のガーディアンを蹴散らし、屋上城楼へと出た。


処刑は火刑。すでにこの時代、ギロチンも存在するがあれは苦痛を与えることなく殺す慈悲の刑具。邪教に落ちた大罪人とそれをそそのかした悪魔の化身には痛みと苦しみを長く与えて殺す必要があり、それゆえにジャンヌたちは間に合った。


くべられた熾火の中に、従容として立つ王太子とその顧問。今から処刑執行人と見届けの騎士たちを切り伏せていては間に合わない。


「では、わたしが」

 アトロファが腕を、水平に薙ぎ払う。次の瞬間、その場の男どもは精を抜き取られ、ほとんど腎虚の状態でぐったりとひれ伏す。王太子フィリップと顧問ヤン・クトロノフもまたぐったり憔悴したのはやりすぎだが、ともかく道ができたところでジャンヌが疾走、

火の海を割ってわたり、二人を救出する。


 王党派の騎士たちにとって王太子とクトロノフは前述通り悪魔の化身であり、それを救おうとするジャンヌも含め許すべからざる大悪人。よって憔悴した騎士たちは憎悪と憤怒の瞳で、ジャンヌを睨む。いまだかつて純粋な悪意にさらされることのなかったジャンヌは取るに足りないはずの騎士たちの瞳にひるみ、しかしここで前に出たのはラケシス。


「英邁高貴なクーベルシュルトの民よ、わたしの言葉を聞いてください」


 朴訥と、言葉を紡ぐ。彼女の弁は相手をねじ伏せるような強いものではなく、噛んで含めるような優しいもの。強引に言うことを聞かせるのではなく相手の主張ももっともとしたうえで人の心に寄り添い、それゆえ心に響き、染み渡る。


「新教徒には新教徒の正義があるでしょう、ですが同じだけ、旧教徒にも正義があるのです! いま、世は魔族跳梁して第二次魔神戦役のさなか。この乱世にあっておなじ国の同胞が、おなじ人間が互いに憎み合い殺し合うことがどれほどの損益か、考えてみてはくれませんか? いまこの時こそ、わたしたちは分かり合えるはずです、手を取り合えるはずです!」


 ラケシスの言葉は続く。より熱を帯び、力強く核心に触れる。


「以前の私は聖女候補として、高慢な人間でした。魔族は敵、滅ぼすべきものと決めつけて、人間が女神の被造物として貴く、そのなかでも女性こそが貴いと信じて疑いませんでした」


 それは蒼月館時代のラケシスを知る者にとっては違和感のある言葉。彼女は最初から男女の平等を標榜し、人と神と魔の融和を目指していたのではなかったか。


「そんなとき、彼に出会いました。彼は、聖女アーシェ・ユスティニアさまと、……魔王オディナ・ウシュナハの子です!」


 話の風向きが、わずかに変わる。新教徒と旧教徒をわかり合わせる話に、辰馬のことを口にのぼせる必要があるのかどうか。


「最初わたしは彼への接し方がわかりませんでした。当然です。聖女の子としてなら敬わねばなりません、けれど同時に彼は蔑むべき魔王の子でもあるのです。表層でひとを判断しようとするわたしは、ここで苦しみました。

 けれど彼の行動を見ているうちにわかったのです、人を決めるものは種族でも血統でも出自でもなく、ただ本人の魂のありようのみだと!」


 ラケシスはさらに言い募る。それはこれまで内に秘めてきた慕情の告白でもあった。


「ですから、わたしは魔王の子に恋をしました。彼以上に高潔な魂を知らないからです、だから彼と同じに、神も人も魔もない価値観を真似しました。彼の見ている世界を共有したかったからです。彼はわたしを誰にでも優しいやつだと言ってくれましたが、あの頃のわたしはすべて、彼がくれたものです! あなたがたにも、想う人がいるはずです、その人が異教徒だったとして、あなたがたは彼を彼女を憎めますか!? それを考えてください、神の愛は信仰のもとに限られるかもしれません、ですが、わたしたちの存在は天のもとに平等です! その価値に軽重はありません!!」


 そこまで言い切って、ラケシスは口を閉ざす。

 ぱち、ぱちと。


 小さな拍手。アトロファだった。続いてジャンヌも、気恥ずかし気に追従する。騎士たちも一人、二人とラケシスの言葉に賛意を示し、少しずつ、拍手の波は大きくなって。そして万雷の歓声となる。振り絞ったラケシスの声は城下まで届き、攻城戦さなかの瑞穂や玉座の間の雫、そして子供状態の辰馬本人にも届いた。


 こちら城下。

「攻撃を中止してください、武器を収めて! ラケシスさん……わたしだって、辰馬さまへの想いなら負けません!」


 こちら玉座。

「なーんか、恥ずかしーこと言ってるねーちゃんだなー」

「やはは……これ、たぁくんのことだけどね……にしてもフィーちゃんさんかぁ~、負けらんない!」

「?」


 瑞穂と雫の反応は順当として、幼児返り中のエーリカは。

「……なんだろ、よくわかんないけど、あたしにもだいじなひとがいた気がする……」

 靄のかかった記憶のなかの、その奥にいるいとしい人を想う……強い思いは痛いほど、まぶしいほどで。はりさけそうな心の痛みにうめいたとき、エーリカは18歳の少女の姿に戻っていた。


「ちょお!? その子ってたつま!? 牢城センセずるーい、あたしにも抱っこさせてー!」

「んぎゃーっ! な、なんだお前!? お前なんか知らねーぞ金髪! ぐぎゅうっ、で、でかい乳押し付けんなばかたれ……! 苦しいやろーがぁ!」


「まさか、想いの力なんてものにわたしたちが、負けましたか……」

 シーリーンは力なく、あきらめたように言う。ラケシス・フィーネ・ロザリンドの言葉によってもはや新教徒と旧教徒をはみ合わせることは不可能。ここでマフディーを暴れさせて有終の美を飾ることもできようが、それはあまりにも見苦しい。シーリーンとしては意地汚く自分を陥れた姉妹たちのようになりたくはなかった。


「降参、かな?」

「はい……マフディーも、お疲れ様でした。これから先はわたしに固執することはありません。あなたは自由です」

「馬鹿を言うな、お嬢。儂がお嬢を守護するのは親の義務だ。今更他所になど行くものかよ」

 雫の問いにシーリーンが応え、シーリーンの言葉にマフディーが返す。


 この日。

 女王シーリーンの名において停戦と、国王シャルルの退位が告げられた。ラケシスの言葉はその後1週間で矢のようにクーベルシュルトの隅々にまで届けられ、ほとんどの民は新教旧教の垣根を越えて手を取り合った。

 マフディーが術を解いたので、辰馬たちの幼児返りも元に戻った。ラケシスとしては残念なのか幸いにしてか彼らは子供状態のときの記憶を残しておらず、一世一代の告白が辰馬の耳に届くことはなかった。


 あとは王太子フィリップの国王即位を待つばかり。アトロファはこの式典に先々代聖女クロートーを招くことを提案、辰馬たちは急ぎウェルスまで趣きクロートーを迎えたが、50を過ぎているはずのクロートーが20代の若さを保っていることに驚かされる。辰馬の母アーシェしかり叔母ルーチェしかり、聖女の系譜というのは老化が遅いらしい。


 式典と祝祭を終えて。


 辰馬たちはクロートーに尋ねる。もともとヴェスローディアを出てこちらまで出向いた理由、魔神ローゲとその徒たる小鷹ヴェズルフォルニルを倒す方法を。


「これを使いなさい」

 と、クロートーが差し出したのは一枚の鏡。


「?」

「まあ見ていなさい。ラケシス」

「はい?」


 ラケシスに向けているわけでもないのに、ラケシスの姿が映った。


「ほいっと」

「へ……きゃああぁっ!?」

「??」

 クロートーがなにやら掛け声を上げるて鏡面をつまんで見せるとラケシスが悲鳴を上げてスカートを押え、クロートーの手の中に白い布切れが収まる。


「先々代さま、返してください……」

「はい。相変わらず、色気のない下着ねぇ。クーベルシュルトの全国民にむけてあんな啖呵を切ってのけたんだから、すこしは……」

「わー、わーわーわー! たつまくん、耳ふさいで!」

「お……おう……」

「ふさがなくていいわよ。とにかく、この鏡は名前を呼んだ相手の姿を映し出し、そして鏡の中に移った相手に触れることができる……ここまで言えば使い道はわかるわね?」

「……暗殺しろって?」

 辰馬はいかにもいやそうな顔で、首をかしげてそう言った。確かにこの鏡があれば、どんな敵がどこに隠れても一撃で急所を撃てるだろう。だがそれは辰馬の矜持……というより生き方に反する。


「どう使うかは任せるわ。それじゃ」

 クロートーは言い置き、その後しばらくアトロファ、ラケシスと語らった後、去った。辰馬たちはクロートーを見送った後、こちらもヴェスローディアへと戻る。鏡は結局、使えないように破壊した。

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