第28話 天狼本領
新羅狼牙、ガラハド・ガラドリエル・ガラティーン、明染焔、三人の傑出した勇士は薄くなった敵陣を突破、そのまま崖上へとひた走る。
「うらあぁぁ!! おらおら、焼け死にたくない奴ァ脇退かんかいっ!」
雑魚散らしにもっとも効果を発揮するのは焔の業炎。最大火力においては狼牙やガラハドにやはりかなわないのだろうが、彼の炎はとにかく効果範囲が広い。一度に1体から数体しか相手にできない二人と違い、同時に数百数千を吹っ飛ばす威力が味方にいることは狼牙たちの暁幸だった。
そして焔の火焔をしのいでくる強敵には、ガラハドが走る。親族魔族の武器はその身にまとう神力魔力であり、彼らはそれがあってこそ無造作な一撃で人間を圧倒しうる。しかし神力魔力が一切通用しないガラハドにとって、魔力による強化を過信している魔族など、ただの鍛錬足りぬ端物にすぎない。
駆け抜けざま、抜刀。反りのない直刀は居合抜きに向かないが、彼はヒノミヤ事変当時、自らを破った牢城雫の技をなんども反復コピーし、西洋居合術を完成させている。抜くや描かれる剣閃の軌跡、それに遅れて切り刻まれる、魔軍の兵士たち。
ガラハドを難敵とみて、知恵のある魔族はそれを回避。右翼明染焔、左翼ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンを回避して攻撃に出る以上、残るは中央、新羅狼牙しかいない。が、彼をもっとも与しやすしと見た愚かな連中はその判断のあまりに的外れであったことを、その身で思い知ることになる。
「暗涯の冥主」
囁く。
刹那、わき起こる巨大な重力場。この時点で並の魔族は重力場に吸い込まれ飲み込まれて、潰れ拉げて砕け散る。が、一度敗北を知って自らを一から鍛え直した魔王殺しの勇者の本領はこの程度ではない。
「兜率の主を喰らうもの、餓えの毒竜ヴリトラよ……」
つぶやく。
重力場が、昏い光を帯びる。上位の魔族や、混元聖母の率いてきた神獣の類い、それらですらこの「場」の辺縁にかすか触れただけで、存在を砕かれ消滅する。この時点で狼牙の発揮する魔力は、かつて魔王オディナ・ウシュナハを打倒した全盛期のそれに匹敵する。かつてはルーチェ・ユスティニアとの二重詠唱で発揮した威力を、独力で塗り替える。
「汝の毒の牙もちて、不死なる天主に死を与えん……」
朗唱。
場はもはやただの重力場で終わらない。その中には嵐舞い稲妻走り、空はゆがみ風は千切れ、地はうねり逆巻く。走る黒き極光。自分の力を過信して挑んだ魔軍精鋭、指揮官クラスの精兵たちが、事ことごとく無に帰した。
「焉葬・天狼絶禍!!」
最後に、声高に劈く。
天「楼」ではなく天「狼」絶禍。内に内にと、外から内への吸収に終始していたエネルギーが、ここで逆転、外に向かって爆ぜ、爆散する。これまで弓を引き絞るように矯められた威力はいちどきに、三界を征服する巨大な矢となって、正面をなぎ払う! 耳を聾するキーンとした音が周囲全体を駆けぬけ、靄煙が立ち上る。それがやんだとき大地は半円状に刳りぬかれ、狼牙の前に立っている敵は一体もいなかった。
「とんでもないな、魔王殺し。直接この目で見るとやはり、化け物だ」
「なんやかんやで、オレよっか狼牙さんのが100倍おっかないですやん」
集合したガラハドと焔が、口々に褒めそやす。術に没入のトランス状態から醒めた狼牙は軽く口角を上げて笑んでみせるが、すぐにやや表情を曇らせた。
「魔神戦役以来、相手が誰であれもう命を奪うことはしないときめたんだが……こんな血ぬれの父親に、辰馬はどんな顔をするか……」
「正義のため、大義のためだ。今は顔を上げろ、後悔はあとで出来る」
「……そうだな。簡単に割り切れるものでもないが、割り切ったふりをしよう。後で断罪されるなら甘んじて受けるさ」
………………
「聖母どのと分断されたか……」
ルーシ・エル・ベリオールは三国同盟軍に囲まれ、危地にあった。魔族兵1体で人間10人に匹敵するとはいえ、ルーシが直接率いる兵は2000。それを押し囲む三国同盟軍は総勢ではないとはいえ、それでも数万、支えうるものではない。
尋常ならば。
「……仕方ない、俺も本気で戦わせてもらおう」
2000が1000に討ち取られるに至り、ルーシはそう呟く。
目を見開いて、三国同盟軍を見た。
数千数万。無数の名前が、ルーシの脳内へ情報として流れ込む。
「……やはり、この人数を一度に処理するのは頭が痛いな。が、見えたぞ」
ルーシは剣で、手近の草を木を大地を岩を切り裂き、穿ち、なぎ払い、砕く。それらが粉砕されると同時に、三国同盟軍の兵士たちが一人また一人、四肢のあちこちから血を流し、頭を吹っ飛ばされ、身体を砕かれて死んでいった。
数万人が瞬時に血の海に沈められたのを見て、後続の兵たちは恐怖にすくみ、進めない。あまりにも凄絶なルーシの魔術に、声もなかった。
ルーシ・エル・ベリオール。旧魔王ナディナ・ウシュナハの「八方守護神(ローカ・パーラ)」の一角ベリオール家の嫡出である。
その使う魔術はきわめて古典的かつ単純な「感染魔術」であり、名前を知った相手を自在に操る、というもの。名前を知った相手の魂を手近な形代とリンクさせ、これを自由にするのだが、魔術として特別に珍しいものでは、ない。
ただ、彼は「わずかでも視線を合わせた相手なら強制的に魂に刻まれた名前を読み取ることが可能」であり、そして「瞬時に数千数万人の名前を同時に『見る』ことができる脳の処理能力」を持っていた。この二つの力があるが故に、ルーシは魔王格の魔神として新代魔王5将星の一角に君臨する。
そしてもうひとつ。古くから存在する単純な魔術というのは、それだけ長らく使われてきただけに破られがたい。狼牙たちはルーシと目を合わせなければ、と看破したが、視線を合わせることなくこの魔神と戦うことは不可能に近かろう。
こうして、三国同盟軍は追い詰めたはずのルーシに逆に追い詰められることになる。ルーシは武将として剣士としても出色であり、浮き足だった同盟軍の将兵をなぎ払うに造作もなかった。
切り札である新羅狼牙たち3人は突出中。この状態で魔神の一角を相手取ることになり、人類圏大ピンチ。
ではあるが。この時期ようやく、北嶺院文と近衛隊士・厷武人が宣撫軍鎮営臺からやってくる。
「いいだろう、俺が出る」
到着するなり、厷はそう言った。会議の卓について1分とおかず、すぐさま幕舎を出る。
「負ければ全軍の士気にかかわります。策を練らなくて大丈夫ですか?」
「必要ない」
白いベレーをかぶりなおして問う文に、厷はなんの気負いもなくそう返して、そのまま出かけて行った。
………………
ヴェスローディアに帰国途上。
道すがら、新羅辰馬たちは王城ヴァペンハイムを目指しつつ、道すがら、民兵を募っていた。
「で、辰馬サン? あの鏡壊しちまってどーすんスか?」
シンタが聞く。なにしろヴェズルフォルニルを一撃で封殺しうるせっかくのアイテムを自ら壊してしまったのだから、嫌みの一つも言われる。というかここ数日、何度となく言われて辰馬は大概、うんざりしていた。
「なんとかなるだろ。なんとかならんかったら、どーにかする」
「いや、どーにもならんと思いますが……」
「主様かっこつけの考えなしでゴザルから……」
大輔と出水もジト目でそう言い、言外に辰馬を責める。絶対負けるわけに行かない戦いの勝算を自ら下げたのだから仕方ないが、辰馬としては暗殺用のアイテムなど絶対に使いたくない。
「うっせーわお前ら。……たぶんなんとかなるって。磐座と晦日がどーにかしてくれてるだろーし」
「他力本願っスねー……」
「また難しい道選ぶんだから、新羅さんは……」
「あえて困難な道を選ぶ、それこそ王者のありようといったところでしょうか♡ このアトロファ、心服しましたわ♡」
「あーはいはい、うっさい。心服はいーから離れろ。つかフィー、この先輩どけろや」
「あ……あぁ、うん。はい。先輩、たつまくんに迷惑ですからね!」
「ん~、フィーちゃん焼き餅~?」
「ち、違いますよ! なに言ってるんですか先輩!」
「?」
ラケシスがクーベルシュルトで放言した告白を知らない(マフディーの魔術で子供になっていた)辰馬はラケシスの焦りやら何やらがわからない。首をかしげるばかりだった。
「で、実際どーします、辰馬サン? 勝てるんスか?」
「だからうっせーわ。お前らにバカって言われるとすげー頭にくるからやめれ……つーか、まずは野戦になるよなぁ。兵力かなり大きく負けてるけど、瑞穂の腕の見せ所、になるか……」
「はい!」
まずはローゲ戦から目を背けてその前段階に話をそらす。というか前段階の一戦を考えるだに敗色濃厚なわけだが、攻城戦ならともかく、少なくとも野戦で辰馬が負けるつもりはなかった。自分の用兵と瑞穂の術策があり、現時点でクーベルシュルトから自分たちを慕ってついてきた兵力がある。決して大兵力ではないが、少なくともヒノミヤ事変の長船言継や磐座穣のような指揮官がいなければ負ける要素はない。
加えて。
「トクロノフさんから新たな軍隊指揮の方策も授かりましたし、野戦には憂いなしです!」
瑞穂はおとなしい彼女にしては珍しく断じる。確定的な自信の表れだった。
「指揮官は……おれと、あとはエーリカか。大輔には副官やってもらわんとならんし、シンタは遊撃、出水は諜報、となると手放せんからなぁ……」
「まーかせなさいよ! なんといってもヴェスローディアを取り戻すための戦い、あたし頑張っちゃうわよ!」
「ねーねーたぁくん、あたしはー?」
「……しず姉は……」
「あたしは?」
「………………に、賑やかし?」
「賑やかしつ!?」
「いやまあ、冗談だが。切り込み隊長として活躍してもらう。突撃の威力が出るも出ないもしず姉次第になるから、頼んだ」
「はーい♪」
「たつま、あたしにも『エーリカ、たのんだ♡』って言いなさいよ!? なんで牢城センセにばっかりやさしーわけ、あんた?」
「……んなつもりはないんだが……おれってそんなしず姉のこと贔屓してるよーに見えるか?」
「うん」
「ええ。どう見ても新羅さん、牢城先生ラブでしょ?」
「だよなぁ。間違いなく?」
「……そーかー、なんか、いかんな依怙贔屓は。これからはしず姉に厳しくせんと」
「え~! それだめだよたぁくん! おねーちゃんにもっと優しくしよ!?」
「いや……つーかおれ、いつからしず姉にこんな甘くなったんだ? 昔はもっとそっけなくしてたはずなんだよ。それが……」
「ヒノミヤの時っしょ。雫ちゃん先生が捕まって、めっちゃ心配したとき。あの頃から辰馬サン、ずいぶん変わったっスよね。その前は雫ちゃん先生にもっと冷たくしてたっスよ?」
「……そか。うーん……自分で意識してなかったけど、結構変わったんだな、おれ……」
「ま、いい方に変わったんじゃねースか?」
「確かに、昔より丸くなったでゴザルよ」
「まあ、昔から甘くて優しい、俺たちの誇るべき大将であることは変わりありませんが」
「大輔はそーやって辰馬に甘いよねぇ~。なんのかんのただの甘ちゃんじゃん?」
「そこのガトンボはあとで羽根むしるとして……そろそろ国境か。ここの防衛戦抜けて、アウズフムラにどう連絡つけるかねー……」
居並ぶは魔軍国境守備隊約3万。すでに敵の索敵網はこちらを見つけているだろう。こちらはクーベルシュルトで募った兵と、あちらを発ったあとで合流したもので総勢3300。
辰馬は久々に軽甲をつけて馬上の人となり、迅速に陣立て。ばらばらに規律なく展開する魔軍に対して、こちらは銅鑼や鼓を信号に使って軍を律する。
かつてエーリカがこの国を取り戻せないなら二度と渡らぬと叫んだ川を挟んで、両軍は対峙した。
「そんじゃまず、ここで勝って景気づけと行くか!」
「「「「「応!!!!!」」」」」
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