第29話 惰弱なる古今無双
「まず、敵が渡河してくるのを対岸から射撃で薙ぎ払います。逆上してさらに吶喊してくる敵には左右から小部隊で横撃。しかるのち敵に揺さぶりをかけつつ正面訥言から鶴翼に散開、そのまま左右両翼で包囲と見せかけてこの二隊で後方に回り、背面突撃。後方と前方から呼応して挟撃し、殲滅。敵の動きにもよりますが、だいたいの策としてはこんなものかと思います」
瑞穂が作戦案を出し、
「っし、だいたいおれも同意見。そんじゃ、左翼はエーリカ、右翼は大輔に任せる。虎の子の抜剣突撃隊はしず姉、本隊付きの狙撃兵隊はシンタ。出水はシエルと一緒に各員の連絡係。サティアは今回おとなしくしてていい。神の力は借りない」
「「「「「了解!」」」」」
辰馬が承認、各員に役割を振り分け、総員が返事を返すと部署に散っていく。開戦30分、敵が迫ってくる目の前で、辰馬たちは以上のことを取り決めた。
………………
兵力差10倍つーてもなぁ……、敵は烏合。余裕で勝つ。つーか、ここでいらん足止めを食っている場合と違うわ。
「引きつけて、狙い澄まして……撃―ッ!!」
開戦。辰馬は敵中央部隊が無造作に川を渡って前進してくるのを見澄まして、弓矢と弩と魔法の弾丸を一極集中で叩きつけた。バタバタと、面白いようになぎ倒される魔族兵たち。
川は半ばを打つ。兵法の要諦の基本も基本、流れを前にして敵前渡河は厳禁であり、その禁を犯せばこうして、足を取られているところに手痛い打撃を被ることになる。魔軍の兵たちは持ち前の頑健な肉体に任せてなお前進してくるが、遮二無二突撃してくる左右から100人程度の小部隊複数が横撃、小勢なれど大打撃を与え、辰馬の本隊に戻る。
「辰馬さま、水です……」
「あぁ、サンキュ……うぇ、吐きそう……」
瑞穂が差し出した魔法瓶(この時代この世界では、結構高価)から水をちびりと飲んで口の中を湿らせ、辰馬は泣き言を口にした。なにしろ目の前で血まみれの敵兵がつぎつぎ絶命していく状況、ガラと態度こそ悪いが心情細やかで根が優しすぎる辰馬としてはどれだけ体験しても戦争というものに慣れることがない。相手が魔族だろうがなんだろが関係なく、「命を刈る資格など自分にはない」と考える辰馬にとって戦争は鬼門だった。で、ありながら才能資質という点では新羅辰馬ほど将帥向きの人材もほかにいないのであるから、皮肉ではある。
「とはいえ……いつまでもげーげー言ってられんからな。ちっと気合い入れるか……」
「はい! 辰馬様の天才、存分にこの戦場に描かれなさいませ!」
手の甲で口元をぬぐい、大きな瞳をわずかに細める辰馬と、その辰馬を激励して121㎝をだぷん、と揺らす瑞穂。クーベルシュルトからの兵たちは瑞穂のバケモノ乳袋に慣れていないから、それだけで幕舎のなかがどよめき誰かがつばを飲んだ。
「あー、おまえらあんまし瑞穂を性的な目で見んよーにな。こいつおれのだから」
軽く釘を刺す。2年前ならそんなこと口にするのもおぼつかなかった辰馬だが、あれから2年間、積極的な少女に揉まれて18才にもなると少しは図太くもなる。瑞穂も恥ずかしそうな、しかしそれ以上に嬉しげな顔で辰馬にうなずきを返した。
鼓を鳴らす。
辰馬の軍3300が翼を広げて、敵3万を包囲にかかる。左翼の統帥はエーリカ、右翼の統帥は大輔。こちらの兵力は圧倒的に少ないから敵は当然、突破すべく正面を衝く。その正面がばっと開けて、辰馬の本体500が敵正面に。魔軍にとって、辰馬軍の後尾でブラインドになっていたところが開けるや目の前に広がるのは急ごしらえの馬防柵と前後列に並べられたマスケット歩兵隊200であり、シンタの指揮するこれが100ずつ斉射しては後列と後退、間断ない射撃によって十倍以上の数を誇る魔軍先鋒隊をガンガン削る。
「よし、順調。エーリカと大輔も予定通り背面に回ったな……んじゃ、かかれ!」
もう一回、鼓。
包囲するとみせかけてぐるりと後方にまわったエーリカ隊1000、大輔隊1000が、喊声を上げて魔軍背面を襲う! どんな達人であっても予期しない方向からの攻撃には弱いもの。すべての方向に気を配れるように備えるのが達人であるが、当然魔族の辺境警備兵にそこまでの人材がいようはずもない。背面突撃を受け、魔軍本体が左右に割れた。もはや四分五裂といってよく、兵力差にもかかわらずあまりにも辰馬に一方的な勝負だった。
「仕上げ。抜剣突撃! しず姉任せた!」
さらに鼓。
「待ちくたびれたよー♪ よーしみんな、そんじゃ、いっくよー!」
草むらに伏せて合図を待っていた雫たち突撃隊600が、ちりぢりになった魔族兵を斬り立て、斬り伏せ、斬り捨てる。雫が直接に選抜した、3300人中の最精鋭は猟兵となって算を乱した敵兵を狩り倒した。
あとはエーリカ、大輔に合図を出して背面からの包囲を完成させ、前面からは予備兵を投入、シンタのマスケット銃兵を前に押し立てて前後呼応して挟撃すれば、敵は完全に粉砕される。
と、ここまで詰め将棋のように完璧に事を進めておきながら。
「あ、いかん……頭くらくらしてきた……」
血のにおいと悲鳴の狂瀾の仲で、辰馬の精神が限界に達する。ふらつき、地図を置いた簡易テーブルに手をついて胸を掻き、荒く息を吐く。まだ4月5月の時期であり汗をかくには早すぎるが、自律神経に変調を来した辰馬は玉の汗をぼたぼたと零し、苦しげに酸素を求めて口をぱくぱくと開閉させる。正直なところどんな強敵を相手にするより、この、自責による精神失調、これに勝る痛みや苦しみはない。苦しみは身を焼くほどであり、息はできず手足は痺れ、目の前は暗闇。
「ご主人さま!? 大丈夫ですか!?」
思わずというか、「辰馬さま」が「ご主人さま」に戻ってしまう瑞穂。ほとんど反射的に背中をなでようとするが、それは今の辰馬にとって肌に鋭利な刃を突き立てられるに等しい。何度ものけぞり、あえぎ、まなじりに涙すら浮かべて辰馬は苦悶した。
「背中……いーから……。かわりに、手、握っててくれ……」
「は、はいっ……!」
辰馬の要求に応え、瑞穂はその可憐なほど小さな手を取る。神術の治癒を施そうとしてそれが肉体の傷は癒やせても心の傷に無力であることに気づいて、瑞穂は巫女としての自分の限界に愕然とした。
この瞬間に。
魔軍の指揮官である魔族の士官は散らばった兵たちを糾合。なかば破れかぶれの突撃を敢行した。これまで一糸乱れぬ統率のもと魔軍を圧倒していた辰馬たちだが、ここにきて辰馬が失調、統帥が乱れたことで戦力が実際の数どおりに戻る。途中までの戦況ですでに魔軍は動ける兵力を30000を18000程度に減らしてはいるものの、それでも3300に比べれば6倍である。戦術などいらず、こちらの側から言えば戦術なしで戦うのは厳しい。
「く……なにやってんのよ、たつまは!?」
反転包囲を準備中に逆撃されて、エーリカは呻吟する。ここまで面白いように打ち勝てていたせいで、逆襲に対する粘り腰が培われていない。これは募兵したての新兵による急造軍の弱点であり、魔族というのは弱点を見てそこにつけ込むのが悪魔的に(魔族だけに)上手い。猛突撃でエーリカたちの1000は一気に崩れかけた。かろうじて、聖盾のもとエーリカとその周囲の近衛が残るが、一撃で数百人をなぎ倒され、軍隊としての秩序にもひびが入る。
「ッ! エーリカを救いに入る! 続け!」
それとみた大輔がカバーに向かうも、1000人のうちちゃんと大輔の命令に従うのは600程度。残り400は完全に浮き足立って取り残され、魔族兵に蹂躙される。
このとき、総崩れになりかかった辰馬たちの中で一人のデブがズシシンズシンと、辰馬の幕営に飛びこんだ。
「なにをやってるでゴザルかァーッ!? 主様、このままでは負けるでゴザルよ!?」
「あぁ……うん……わかってる……わかってんだよ……」
「出水さん、ご主人さまはいま……」
「今、なんでゴザルか!? 主様は人の命に責任を持つ立場でゴザろうが! 心が痛かろうが気分が悪かろうがなんだろうが、最後まで責任を取るでゴザル!」
あーもう、このデブにわかってること言われちゃうからなぁ……情けない……。
「いったん立て直す。サティア、アトロファ、フィー、出てくれ。頼りたくないとか、言ってる場合じゃねーわ……。一撃くれたら帰還していい。あとはおれが……どうにかする」
「承知しました。旦那さまの命ずるままに」
「ふふ、一つ貸しですよぉ? 身体で払ってくださいねー」
「なに言ってるんですか先輩! たつまくん、無理、しないでね?」
出撃していくサティア、アトロファ、ラケシスを見送り、辰馬は歯を食いしばって立ち上がる。膝に手をつき、プルプルしながらも、戦意と闘志は衰えない。
「ふー、はぁ……うし……、手も足も動く……指も、まあまあいける……。こっから立て直す! 総員奮起!」
応! と。崩れ立った仲間たちの中から、威勢の良い返事が上がる。新羅辰馬という少年には顔から声から立ち振る舞いから、すべてにおいて人を奮い立たせる圧倒的なカリスマ性があり、それを信じて付いてきた人々は一度崩れたぐらいで辰馬のことを見限らない。むしろここからの逆転を信じてどんな戦闘芸術を見せてくれるのかという期待を、瞳に込める。
そこから、辰馬軍の反撃。まずはサティアが巨大な……戦場を横断する規模の……光剣を爆発させて前衛を薙ぎ払い、アトロファが「生命」を吸い上げて一帯の敵を弱体化、そこにラケシスの七天熾天使の爆裂。これで傾いた戦況をふたたび五分に戻すと、辰馬はもう失誤を犯さない。突撃してくる敵を、シンタの威嚇射撃込みでつかず離れず逃げて見せることで長蛇の陣……側面がらあき……に持ち込み、再生したエーリカと大輔、そして雫が縦横に斬り立てる。敵先鋒が決死でこちらの本隊に掛かるのにもつきあわず、散開して左右からの挟撃で殲滅してそぎ落とす。
かくして半ば勝敗決した。死骸惨憺死屍累々たる状況は剛胆な人間でも顔を背けたくなること請け合い、ましてや辰馬をや。過呼吸と発熱と痺れと異常発汗に苦しむ辰馬がさすがに耐えきれずダウンすると瑞穂が指揮を引き継ぎ、カリスマと統率力においては辰馬に及ばぬもののそこは頭脳と計算力で補って敵を殲滅した。というより、指揮が瑞穂に代わると、愛しい「ご主人さま」を苦しめた魔軍への報復が苛烈となり、魔族たちにとっては辰馬より恐ろしかったに違いない。
逃げる敵を殲滅する余力はない。ヴァペンハイムのローゲに報告が行くのを止められないのは残念ながら、兵力的に追撃は諦めざるを得なかった。
………………
戦後。手近の、魔軍の占領が及んでいない町で辰馬たちは休息をとり、そして兵士たちの前で辰馬は土下座してさきの戦いでの醜態を謝す。
「おれのせいでみんなを危険にさらして、本当にすまん!」
地に額をこすりつけて、見事に芸術的なまでの土下座を決める辰馬に、周囲は狼狽する。とくに辰馬崇拝激しい三バカ、シンタと出水と大輔の狼狽えっぷりといったらなく、
「た、辰馬サン、そんな、オレらなんかに頭さげないでくださいよ!」
「そうですよ! 新羅さんなしではもともと勝てなかった勝負じゃないですか!」
「主様、さっきは怒鳴って悪かったでゴザルよー、頭上げて欲しいでゴザル……」
と、どちらが頭を下げているのかわからない状況になったのだが。ともかくこうして新羅辰馬はヴェスローディアに帰還した。
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