第30話 東天決着

 新羅狼牙、ガラハド・ガラドリエル・ガラティーン、そして明染焔。魔王殺しと魔神殺し、そして新たに台頭した魔軍殲滅の勇士たちは、崖の頂を目指して坂道をひた走る。まだ数千やそこらの敵は残っているはずだが、道が結界を帯びているのか三勇者の突進を止める勇気がないのか、阻むものはほとんどない。


 ほとんど。ではあって皆無ではなく。


 虎嘯。


 雄叫びとも嘶きとも違う低い唸りが、忽然、響き。


 ざ、ざざ、と。大柄な、虎に似た巨大な獣が現れる。その巨躯だけですでに虎に似て虎にあらず、舌は裂け、尻尾は割れて、瞳は鬼灯。息は毒霧であり、疫病をまき散らす怪物。人間や虎を主食とし、ときには神獣や神使、神族すらも喰らう。その名を恙といい、それが6体。


もともと桃華帝国原産の魔獣であり、主神・混元聖母は昔日、女神グロリア・ファル・イーリスにより桃華帝国の主神に封じられた際この危険きわまりない獣を封印したはずだが、いま魔の先兵となって人間に牙を剥くに当たり、封印を解いたらしい。


「初めて見るが……恙、か?」

 狼牙が、神話伝説に言う魔獣にやや緊張した声を出すのに、東洋魔獣事情に詳しくないガラハドは

「ツツガ……なるほどただの虎とは違いそうだが、どうということもあるまい」

 そう言って宝剣の鯉口を切る。しかしこの年長者ふたりを遮って、前に進み出たのは明染焔。


「ここはオレがやっときますわ。狼牙さんらは先に」

「さすがに6体は難しくないか? 僕たちも……」

「いやいや、いらんいらん。ここは後輩にえー目ぇ見させてくださいや。さっきの狼牙さんの一撃でちょっと、オレの活躍霞んでもーたし。一発派手に活躍せんと目立てんやないですか」

「……わかった、では、先に行く」

「無理はするなよ」


 狼牙とガラハドはそう言い置いて先に行く。6匹の凶猛なる魔獣を前にした焔は、しかし楽しげに、魔獣よりなお獰猛に笑った。


「さて……ほな、いっちょ気張ろーか!」

 言うなり、地を蹴る。140㎏という巨躯からは信じられないロケットスタートで一気に間を詰める焔。恙は対応できずに接近を許す。焔の拳が恙の一匹の口腔に無造作にねじ込まれ、このときようやくに正気づいた恙は愚かな人間の腕を食いちぎろうと顎を動かす。が、それより早く切り株のような腕が脈動、爆ぜる熱気の大爆発は、一撃で恙という大魔獣を葬り去る。


 これに警戒心を強めたのこり5体の恙は焔からつかず離れずの距離を取り、ヒット&アウェイ戦法を連携させて焔を苦しめるも、地力に勝る焔は危なげなくこれらを撃破。狼牙たちのあとを追おうとするところに、巨大な霊威が降臨する。


 ずしん、ずしんと。


 物々しく重々しく、然れど神々しくも。


降り立ったのは牛頭人身、天衝く巨体。たくましき肉体に青銅の兜と甲冑を纏い、歯は三列で腕は六本、それぞれの手に剣や斧、弓や戦槌といった武器を持ち、まとうは湿った疫風。


怪物ではあるが、魔族でないことは瞳の色でわかる。黒曜石の瞳は魔に属するものではなく、むしろ神族。混元聖母の眷属たるは、荒ぶる神・蚩尤。


倒れる恙たちを無造作に踏みつけて進むその歩調は、焔など眼中にもないように見える。それくらい彼我の体格差は圧倒的であり、蚩尤という邪神の存在力も圧倒的。


「やっとで本命のお出ましかい。えーでぇ、ちっとは歯ごたえありそーやないか!」

………………

 狼牙とガラハドはなお走る。が、行けども行けども景色が変わらない。本来ならばとっくに崖上にたどり着けているはずなのに、実際の二人はまだ中腹あたりを走り続けている。これは幻術のたぐいか、あるいはなんらかの「遺産」の効果とみるべきだろう。


 立ち止まった二人は周囲を観察し、一枚の、古い桃華文字がびっしりと刻み込まれた石版を発見する。おそらくは辟邪の石敢當に相当するものだろうということは狼牙にもわかったが、なにぶん魔術の専門家というわけではない。


 とにかく壊せばいいのだろう。そう結論づけて狼牙の短剣とガラハドの宝剣が斬りつけるが、これが恐ろしいほどの強度で世界最強クラスの二人の攻撃をことごとくはじく。混元聖母の盈力……神力と魔力の融和して昇華した姿が盈力だとして、女神であり魔族でもある混元聖母の力は紛れもない盈力である……によって堅牢に守られた石敢當は小揺るぎもせず、二人の勇者を拒み続けるが。


「……ふむ。先に行け、ここは私が任される」

 ガラハドが言った。気軽げに言い放つものの、その声には悲痛がにじむ。なんらか、危険なことを考えているのは間違いがなかった。


「ガラハド卿の強さは重々承知だが……」

「ならば行け。切り札を、見られたくはないからな。それに……この封印が解ければ一斉に、周囲の魔族がなだれ込む。雑魚に時間を割いている余裕はあるまい?」

「……わかった。武運を」

 そうして。二人目の脱落。


 しかしこの脱落は敗北ではなく、勝利につながるもの。


「さて……やるか」

 ガラハドは宝剣を鞘に収める。その鋭利さと頑丈さ、そして宝飾の見事さにかけて紛れもなく国宝級の一品だが、魔術を帯びるわけではない。もともと、ガラハドという魔力欠損症の騎士は魔法に頼ることができず、その身体は回復魔法すらはじく。ゆえに無理矢理、魔法のアイテムを扱えばその身をズタズタにする恐れを孕むのだが。


「やむなし。……クラウ・ソラス」

「力ある言葉」を発す。たちまち鞘の中で息づき芽吹き、解放の喜びに歓喜の歌を張り上げる宝剣クラウ・ソラス。本来この剣はただの宝剣ではなく、厳重な封印を施して普通の剣に擬した、神剣。神王ヌァザ・アーケツラーヴの佩剣にして勝利と栄光の剣、その剣光は流星の光輝をえがき、必中にして必殺とされる。旧世界ケルト系の遺産の中でも、「魔石リアファル」「ダグザの大釜」「魔槍ブリューナク」とならぶダヌの子ら(トゥアハー・デ・ダナーン)の至宝の一つである。


もちろん、それほどの武器が力を解放すれば、ガラハドがただで済むはずがない。その身は秒単位で神力と自らの血の内訌に大ダメージを受けるが、同時、この剣に自分の技を乗せれば盈力で固められた石敢當も壊せようという確信が得られる。


傷つきながらも意思と心を静かに、腰を落として居合いの構え。もともとこの大陸の西洋……ラース・イラは中欧というべきだが……に居合い剣術などなかったのを、ガラハドは自分を負かした牢城雫の剣技をコピーして完全に新しい洋式居合い剣術を完成している。


「シッ!」

 一太刀。ただの一太刀で、つづく二の太刀、三の太刀はいらない。一撃の下、石敢當は真っ二つに斬り捨てられた。


 直後、魔族の瘴気がぞわりと圧力を増す。これまで石敢當の封印効力で阻まれていた魔族たちが、一斉に押し寄せる。強いものほど強くはじくという結界の性質から、ここに押し寄せたのもやはり上位存在ばかりだったが。


「雑魚が群れをなしたところで……私を仕留めるには大いに不足」

 ガラハドはそう言って、凄惨に笑ってのけた。


………………

そのころ、坂の下で。


きん、がっ、キィン!


大剣使いの魔神と隻腕の剣豪の激闘も加速していた。


ルーシ・エル・ベリオール対厷武人。両雄ともにそれぞれの世界を代表する剣士であり、また互いに劣らぬ美貌の持ち主でもある。華のある戦いは周囲を湧かせ、人が集う。この勝負が決したとき、勝者の側は余勢を駆って敵陣に押し寄せ、限界まで高まった士気はたやすく敵を蹂躙するだろう。


「く……この、男……」

 ルーシの表情には明らかな驚きと、焦りが見える。なにしろ厷は両目を閉じていた。目を開いていればルーシの能力で真名を見抜いて地面でも壁でも斬りつけて終わり、目が明いていなくとも強引に精神干渉して真名を奪うことがルーシにはできるはずだが、飛びこんだ厷の意識下は完全な暗闇であり、魔族のルーシをしてからが恐怖したほど。


 無明剣、というものがある。暗闇の中で自在に剣を振るう技だが、このとき剣士の心は完全な空、寂滅の境地にある。隻腕のハンデを克服すべく苛烈な修行をこなしてきた厷は当然のようにこの技もマスターしており、視覚に頼らないのはもとより精神を空に置くという境地すら自分のものにしていた。ゆえに、ルーシ・エル・ベリオールの感染魔術は、厷を相手に意味をなさない。このときルーシが厷をうっちゃり無差別にギャラリーの兵士たちを狙ったのならそれこそ最も危険だったが、魔族は基本的に誇り高く、下等な人間相手に姑息な手を使うことを好まない。よってこの勝負の趨勢は決したと言って良い。


「があああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 ルーシが吼えた。最後の力を振り絞る。

 が、厷の技巧はそのはるか上を行く。意地や根性では渡り合えない高みから。厷は魔王の5将星、その一角に刃を振り下ろした。


………………

そして新羅狼牙は崖上に出る。途中で道が開け、魔族の喊声が上がったのでガラハドの成功を知り、しかるにガラハドが無事でいるかは危惧するところだが、今は振り向いている場合ではなかった。


崖上では三人の女が戦っていた。魔神にして女神、魔王の5将星が一人にして桃華帝国の主神、混元聖母と、竜の姉妹が。圧しているのは一見、姉妹に見えるが、焔竜ニヌルタの秘術「ウルクリムミ」も氷竜イナンナの氷霜術も、効果を上げているように見えない。有り体に言うならのれんに腕押し。いくら強い力を叩きつけても混元聖母はそれを軽やかに受け流してしまう。


なんにせよ、悠長に観察している場合ではない。狼牙は三者の中に割って入る。


「新羅狼牙、推して参る!」

 いいざま、聖母の後背から容赦なしの一太刀。しかしこれは聖母の周囲の空間に阻まれ、はじき飛ばされる。かろうじてダウンすることなく10歩分ほどを下がって踏みとどまったが、両腕がビリビリと痺れた。


「………………オディナを殺した男……大したこと、ない?」

 混元聖母が振り向く。好機とみてニヌルタ、イナンナが挟撃をとるが、気がついたときにはニヌルタとイナンナの間に聖母がいたはずの位置関係から聖母は外側に移動しており、竜の姉妹は互いの強力な力で突進し合って激突し、ダウンする。


「この子たちも……、力に頼ってばかり。ダメね」

 聖母が呟くと狼牙の首もとが忽然として絞まった。「力」の気配を感じて見えない腕を切り落とし、後ろに下がるのではなく前に飛ぶ。しかし前進した先には不可視の壁が展開されており、狼牙は自らの前進力をはじき返されて打ち転がされた。すぐさま立ち上がるが、そこに驟雨のごとく降り注ぐ盈力の矢。転がって避けるものの何本かは喰らう。


「やっぱり……そんなもの?」

「一つ、お聞きしたい」

「? どうぞ」

「貴方は守護の女神であったはず。それがなぜ魔族に力を貸す!?」

 会話を選んだのは時間稼ぎの意味もあるが、純然たる疑問と憤慨もある。これまで大陸九主神が一として人々を見守り続けてきた女神に、いったいなにがあったというのか。


「……うんざり、していたから?」

「うんざり?」

「ええ。……人間ってあまりにも愚かで、私の思惑通りに動かないし。そのくせああしろこうしろの要求の声だけは大きくて。……正直なところうんざりしていたところに、オディナの娘が誘ってきたから……じゃあ、乗ろうかな、って……」

 目の前の女神は人類に対して愛着も愛情もないらしい、それがわかったことで狼牙の中の箍がはずれた。それまで使っていた短刀は放り捨て、腰から二本の短刀を抜く。右手には青塗りの刃、蒼月。左手には明かぬ理の短刀、紅月。新羅家伝来の家宝である双剣は同じく家宝である天楼の変幻自在と魔力増幅機構は備えないが、独自の強力な魔力を備える。


「ここからは本気で、いかせて貰う」

 踏み込む。

 聖母が袖を払う。

 この挙動で、狼牙の身体ははじき飛ばされるはずだったが、今度は飛ばない。蒼月で受けた袖は、刀身に吸着されるようにして止まる。

 そして紅月の峰打ち。吸着された状態の聖母の身体が、今度ははじかれるようにして吹っ飛ぶ。この戦いで初めて、聖母が片膝ついた。


蒼月と紅月、この二つの剣は表裏一体、引き寄せる引力と反発する斥力を司り、その用法は先刻見たとおり。もともとが重力を操る狼牙には、氷属性の天楼よりも相性の良い武器かもしれぬ。


「早々に決めさせて貰う。アルティミシアの未来のために! ……闇涯の盟主!」

 天楼絶禍の詠唱。すでに無窮の術士となって神讃の詠唱を必要としない狼牙ではあるが、力に意思と指向性を持たせるために呪文というものは意味が大きい。一撃で仕留める、その気概を込めての朗々たる詠唱。


 その、詠唱の合間を縫って。


 聖母が地を蹴った。狼牙に肉薄、入り身での肘をたたき込む!


「……く!?」

「甘く見ないで。桃華の民に拳法を伝えたのは私」

 そこから連打。下腹への膝蹴り、これをはじかれるとそのまま下に脚を落としてつま先へかかとの踏み抜き、これも回避するとさらに踏み込み、掌打を再度胸板へ。狼牙は左手でこの軌道をそらしつつ捻りあげようとするが、逆に聖母は狼牙の右肘を極めてくる。互いに関節破壊を恐れた両者は、ぱっと離れて間合いを取った。


 拳の技量は互角。とはいえ魔術は。天楼絶禍の超威力があるとはいえ、聖母の打撃をいなしながら放つことは不可能に近い。体する聖母は腕の一振り、身体の動作一つで複数の術を発動させてくる。どちらが優位にあるのか、は自明だった。


 しかしこのとき。


「……そう、ルーシが」

「?」

 一瞬、聖母の声が沈み、わずかに動揺。これだけでは致命の隙たりえなかったが、ここでWKOされていた竜の姉妹が立ち上がる。ニヌルタの焔を払って消した聖母にイナンナが肉薄、氷霜を放つ! ただし狙うは聖母ではなく、聖母の周りに舞う霧散した炎の煙、それを凍らせ、もろともに聖母の動きを阻む。


「っ!?」

「やりなさい、新羅狼牙!」

 ニヌルタが叫ぶ。狼牙としてもおそらく二度とないこの好機、逃す手はない。

「……助かった! 闇涯の盟主! 兜率の主を喰らうもの! 餓えの毒竜ヴリトラよ、汝の毒の牙もちて、不死なる天主に死を与えん!」

 神讃詠唱。高まる圧力。黒きプラズマを放つ超重力の塊が、また三界征服の巨大な征矢となる。そして今この瞬間、聖母は動けない。氷霜の束縛を解いたとしても、天楼絶禍の発動よりどうしても一手遅れる。

「……しまっ……」

「焉葬・天狼絶禍ァ!!」

 大気も、光すらも。飲み込んで敵を征服すべく前進する重力の矢。これがはれたとき、そこには人影など残っていなかった。


………………

「逃げられたァ?」

 無精髭と若白髪、あとは人の悪い三白眼さえ除けばまずもって美男子である水干姿の将官、准将長船言継は、その美貌をいやーな形に汚く歪め、新羅狼牙たちの報告に不興を示した。狼牙もかなり消耗しているが、魔族の大軍を相手にしたガラハド、蚩尤と一騎打ちを演じた焔も、損耗は激しい。


「どこに逃げたかはわからんが、おそらくは暗黒大陸に」

「役ン立たねぇなぁ! あーいうバケモン相手に働いてこそのアンタらでしょーが! お国は穀潰しを無償で置いてやるほど優しくねぇぞ!」

 ガラハドの言葉を遮り、長船は獅子吼する。あまりといえばあまりな態度に焔はブチ切れかけるが、狼牙がそれを止めた。


「魔王殺しの勇者としての役を果たせなかったこと、申し訳なく思います。ですが最低限、この戦局を覆せたと言うことでよしとするべきでは?」

「おめぇーらは魔神を殺してナンボだろ、っつーてんだよ! かーっ、やっぱ一般人はダメだな。軍属の厷はしっかり魔神を殺してきたぞ!? ったく無能どもがよォ、死ね!」

「長船准将、そこまでです」

 罵詈雑言を浴びせ続ける長船をとどめたのは青髪眼鏡の少女、北嶺院文。文が自分より上役であること、そして三大公家の一角という門閥出身であることから、長船は黙るしかできない。

「呂燦将軍と敵の逃亡先について意見を交わしましたが、おそらくはここ、になるでしょう」

「ヴェスローディア王都ヴァペンハイム……辰馬がいるところか!?」

「はい。わたしたちは今からヴェスローディアに発ちます。長船准将には戦線の統括を。民間の協力者である新羅様、明染様には申し訳ありませんが、今後も魔軍の襲撃があるかも知れません、お力添え、お願いいたします」


 それから、文は長船から引き継ぐはずだった三国同盟の統帥権を再度長船に返上、自分は兵士5万と近衛兵長・厷武人を連れて列車に乗り込む。大兵で列車をローテーションさせて使うことで民間の交通に不便が出ることになるが、この際それは我慢して貰うほかない。


 いよいよもって、風雲はヴェスローディアに移る。

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