第31話 屯田制

ヴェスローディア、クーベルシュルト国境沿川戦を制した辰馬たちだが、この国に上陸した魔軍は数と言い質と言い桁外れに多い。もと八方守護神(ローカ・パーラ)の一人であり現魔王クズノハのかつての恋人であったローゲという魔神に対し、もはや寵愛の心はないといいつつクズノハは、やはり無意識で最大最高の軍隊を預けていた。


 そのために、辰馬はなかなかアウズフムラに合流できず、そこにいるはずの磐座穣、晦日美咲という恋人たちにも会うことができずにいる。とくに穣には初子妊娠と言うことで言いたいことがいくつもあり気が逸るが、今は我慢。雌伏するより他になかった。


………………

「で、なんでこんな百姓仕事やってんスか? オレ」

 シンタがぼやく。遊撃隊長として魔軍の突撃をマスケットで薙ぎ払った男が、今は鍬を持って春先の土を耕させられている。


「文句ゆーな頑張れ。おれだってやってんだよ」

 辰馬も同じように、農作業に従事していた。脚に踏ん張りが利かないから周りのプロフェッショナル農民のかたがたに比べると動きがぎこちないが、それでも以外にサマになっているのは新羅家の裏庭がちょっとした畑になっており、そこで多少の手伝いをしていた成果。ちなみに春先、まだ寒風が吹くこの時期とは言え重労働は汗を掻き、辰馬はそのせいで上半身裸。華奢な芸術的裸身が玉の汗で輝き、倒錯的な美しさを醸し出す。いつもならシンタは大喜びで舐めるように視線を這わせるところだが、今日は不元気と不機嫌ゆえに目の前の芸術品を鑑賞する余裕もなかった。


「だから、なんでこんなことやってんのかって聞いてんスよ? オレらって軍属じゃなかったんです? なに百姓やってんスか」

「おまえはおれの個人的な傭兵で、正式には軍属違うけどな。……仕方ねーだろ、しばらく動きがとれんし。突然何千人の兵隊連れてこの村に駐屯することになったわけだから、その分少しは働かんと」

 不平たらたらのシンタに、辰馬はえいさっと鍬を扱いながら応える。というかこれは必要な措置だった。もともとが無抵抗を条件に魔軍からお目こぼしされていたこの町と近隣の人々にとって、辰馬たちの軍3300ははっきりいって邪魔でしかない。守ってやるとか解放してやるとか、そういう押しつけはいいからさっさと出て行ってくれというスタンスの町長は女王エーリカや女神サティアを見ようともまったく態度を変えることがなく、辰馬たちはいっとき途方にくれる。アトロファが「それではお任せください♡」といって出て行ったのはおそらく籠絡に行ったのだろう、半日にして言を翻した町長は気持ち悪いほど快く辰馬たちを迎えるようになったものの、町民の気質が変わったわけではない。よって辰馬はここに駐屯する間、町民の心を慰撫することも兼ねて彼らの仕事を手伝うことにする。余談ながらこのやりかたは後の大陸唱覇戦争においても活用され、辰馬の占領した土地の民はこのやりようで教化・撫育されたためおよそ叛乱することがなかった。いわゆる屯田制である。


「そーいうのは下っ端にやらせときゃあいいんじゃねースかね? 指が太くなっちまう、ギター弾けなくなったらどーすんスか」

「つーか、おれ、お前がギター弾いてるとこ見たことねーわ。ずっとカッコつけのギター弾けますよ詐欺かと……」

「詐欺とわー!? 辰馬サン、アンタ言っちゃいけねぇこと言いましたぜ。そんなにいうなら聞かせてやりますよ、オレのギターと歌を!」

「あー、うん。あとでな。今は働け、そっち、ちゃんと耕せてねーぞ」

「……はーい」


「たつまってあーいうの、どこで勉強したわけ? この辺の頑固な民衆が、女王のあたしよりたつまに懐いてんだけど」

 経理担当はエーリカと出水。この国の女王、正当な王権所有者の証であるティアラを、今日もバッチリ頭にかぶせているエーリカだが、彼女に辺境の民はあまり懐かない。エーリカとしても彼らのところまで自分の施政の目が届いていなかったのを認めざるを得ないところだから怒る気にはならないのだが、そこにもってきて辰馬の、こだわりない民衆への接しようだ。


 辰馬が貧民とか下層階級の出身者であるなら、あるいはとうしたものかもしれないと納得もいく。しかし新羅家は数百年前のアカツキ東西戦争敗者側の没落武家といえどそちら側における棟梁格であり、その直系である辰馬は普段の口や態度は悪かろうがやはり育ちの良い貴族の子弟であって、下層の民とはどうしても違うものがある。幼少時代、しょっちゅう城を抜け出して農民や商人の子供らとチャンバラごっこに明け暮れていたエーリカの方がはるかに俗塵にまみれているはずなのだが、その体験をしてもこの辺境の民の心をほぐす方法を思いつかなかったエーリカと瞬時にこうしようと融和策を思いついた辰馬の違いはどこにあるのか。


「あまりこの言い方をするのも好きでないでゴザルが、主様天才でゴザルからなぁ。どこでも誰にもならってないはずでゴザルよ? 敢えて言うなら歴史の本でゴザろうか……」

「あー、ときどき、古い本読んでるわね、あいつ。ふーん……あたしも少しは読んでみるかな」

「旦那の好きなものを勉強したくなったでゴザルか?」

「そーゆうんじゃねーわよ、ブッ殺すぞ♪ じゃなくて、為政者として必要かもなーと思ったからね」

「まあ、エーリカ計算とか数字関係は無敵でゴザルからなぁ、国を治めるにはあと温故知新でゴザルか」

「オンコチ……なに? 外人さんの前で難しい専門用語使わないでほしーんだけど」

「……昔のことを知ったら新しい発見ができますよー、みたいなことでゴザル」

「あぁ、うん、それ。いろいろ知りたいわね」


「牢城先生、水はこのくらいでしょうか?」

「ん? あー全然足りない! もっとドバーッと入れちゃって!」

 炊き出し担当、瑞穂と雫。というか瑞穂に求められるのはこの先の作戦立案であって炊き出しは自分一人で十分、と雫は言ったのだが、この先の人生において神力や軍師としての才能が役立つ部分は少ないと言い切った瑞穂は雫に弟子入りを志願した。今では天才少女、晦日美咲に凌がれてしまったが、雫は蒼月館時代の辰馬の身の回りの世話をほとんどひとりでやってのけていたぐらいの料理洗濯炊事裁縫と家事万能である。ならうにとってこれ以上はない。


「それで、これはなにを作るのでしょう?」

「うん、すいとんにしよーかなって」

「すいとん?」

「そーだよー、知らないかな?」

「は、はい……すみません、不勉強で……」

「やはは-、そんな小さくならないでいーよー。肉団子とか魚団子つくって、お味噌汁に入れるだけ。面倒なことなーんにもなし! 簡単でしょ?」

「は……い。たぶん、大丈夫です……お味噌は……」

「はいこれ。雫おねーちゃん秘蔵の味噌。アカツキ出るときこれもってくって言ったらたぁくんの奴、「味噌くせー女……」とか言ってくれたんだよー、ムカつくなぁ~♡」

 幸せそうにムカつくという雫。およそ辰馬に関することならなんでもハッピーになれるもと恩師の姿に、自分もはやくこの境地に至らねば、と誓いを新たにする瑞穂だった。


 大輔とラケシスは兵士100人ほどを連れて巡回。これも軍属でないラケシスを動かすつもりはなかったが、ラケシスが「お世話になってばかりは悪いよ」と強硬に言い張り、巡回任務に。


 こちらの兵力僅少なため、一番怖かったのは第二波、第三波と波状攻撃を繰り出されることだったが、ローゲからこの地方を預かる魔族は大して有能ではないか、あるいは損失を恐れて臆病になっているか。とにかくこちらが威力を示したことで慎重になっており、ある程度の時間稼ぎにはなった。実数3300人、というのがバレたらいくら慎重な相手でも無理押しでつぶしに来るとは思うが、まさか女王エーリカそのひとが指揮官のひとりを努めてそんな少ないはずがないと思われているらしい。


「にしても、やっぱり新羅さんに惚れてたか」

「うう、たつまくんには内緒で……」

「なんで? 言えばいい。応援するぞ?」

「今更だよぉ~、わたし、きれいな身体じゃないし、他の人と……」

「あー……新羅さんそういうことは気にしないと思うが」

 などと、100人隊の先頭で話していたところに。


 がさり、がさりと物音がして、そして人の気配が、どちゃっと一行の前で倒れつぶれた。


「……?」

「やー、済みません。……レンナート、どきなさい」

「申し訳ない、師匠」

 飄然と起き上がったのは、赤毛にフロックコート姿の中年紳士と、同じ服装の青年。中年紳士が細身であるのに対して青年の方はかなり太めで、弱視なのか度の強そうな眼鏡をかけている。

「えーと……そちらが、新羅辰馬サン?」

「違いますが」

「師匠……、あの男は銀髪赤目に白い肌だと言ったじゃないですかぁ。全然違いますよぉ?」

「えー、なんだ、違うのかー。まあ、このあたりに割拠してる小規模勢力の一員ってことは新羅辰馬サンのお仲間の一人手見て問題ないでしょうし。僕はクーベルシュルトのマウリッツと言います、こちらの青年は弟子のレンナート。お役に立てると思いますので、辰馬サンのもとへご案内ねがえます?」


………………

「とりあえず聞け! そして死ねや!」

 それぞれの仕事を終え、炊き出しのすいとんも食い終わり、屯所がわりの酒場で。


 ついにシンタがギターを持ち出し、引き語りを始めた。

その腕前はかつて辰馬が評したとおり、その技術も歌唱力も「微妙」の一言に尽きる。感動するほど上手くないし、下手なら下手で笑い話にもできるのだがそれほどでもなく……有り体に言うと睡眠導入剤に非常に適した音楽、だった。


「く……なんて威力、眠くなるやんか……」

「眠くなるゆーな! 辰馬サンでも殴りますよ、オレぁ!」

「事実は事実だろーが……くぁ……」

「新羅さん、客人です、って……くあぁ……」

 巡回からはせ戻った大輔が、酒場に入った瞬間バタリと行く。そういえばさっきから酒場にしては静か、と思うや大概の客がテーブルに突っ伏してスヤスヤしている始末。どこまで禁断の魔歌なのかと疑うレベルであった。


「シンタお前やめろ。好きなことやめさせるのは心苦しいが、とにかく今はやめといてくれ」

「むぅ……納得いかねーっスけど」

「助かった……。大輔―、起きろー。客ってどこ?」

「はぅ!? あ、あぁ、新羅さん……急に意識が……、疲れてるんですかね、俺……?」

「いや……うん。まぁ、疲れてるってことで」

「お客人です。クーベルシュルトのマウリッツとレンナート、レンナートの方は新羅さんと知り合いだと名乗りました」

「? レンナート……クーベルシュルトの……ぁ、あぁわかった! 兵法大会のときの、戚に負けた奴だ!」


………………

「負けた奴で悪かったですねぇ、新羅」

「いや、事実やんか……つーか、クーベルシュルトのときどうしてた?」

「獄中でしたよー。王太子派ということで王党派に乗り込まれて、家の中めちゃくちゃにされたときはいやー、腹が立ちましたねぇ。別に王太子派でもなかったのですけど、ああされると王党派を師事する気持ちも失せる。とはいえ、獄中で師匠と軍略智謀を練りまして、今となってはあなたも戚にも負けはしませんよおぉ!?」

「はいはい……で、エーリカはなんでそっちいんの? こっち来いよ」

 辰馬のそばにいる瑞穂、雫に対して、今日のエーリカはちょっと離れた場所でビールを(このあたりは水が汚いので、蒸留した種類が水代わり)ちびちびやっている。普段なら瑞穂や雫に対抗して無理にでも辰馬の隣を確保しようとするエーリカにしては、珍しい。

「いやー、マウリッツ伯になんの罪もないんだけど、あたしが殺した前王……実兄がマウリッツって名前で……この名前見ちゃうと構えちゃうってゆーか……」

「気にすんなよそんなもん。西洋の人名って大体「聖典」ベースで数が少ないんだろ?」

「まぁ、そーなんだけど……」

「さて、それでは私どもが本日うかがいました用件。ヴェスローディア解放戦線をもって大陸から魔族を打ち払いたい。そのために、女王エーリカさまを擁する新羅サン……新羅公の配下で働きたく」

「この私が、力を貸してやる、というわけです、大いに喜びなさァァイ!」

「まぁ、それぁ助かるけど……クーベルシュルトは?」

「あちらではトクロノフ宰相がいれば事足りますのでね。正直、退屈なのですよ」

「わかった、そんじゃ、頼む」

 こうして、新羅辰馬の帷幄に新たな人材が加わる。のちマウリッツは50才を待たずして病に倒れるが、その愛弟子レンナート・バーネルのほうはこの先長生きして最終的には新羅辰馬と袂を分かち、ずっとのち明染焔の嫡子、白夜の軍師として活躍することになる。

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