第16話 減衰のヴェズルフォルニル

「死ねよ、過去の遺物」

 至近距離から放たれる、煉獄ムスッペルハイムの炎。同時に隔離世結界を展開、狭い地下牢を自分に優位な、広大な遮るもののないフィールドに変える。曠野の中にぽつんと檻が立っているたたずまいは、すこしシュールなものがあるが。


 爆炎が爆ぜた。


 が、辰馬の前ですべてを灰燼に帰す煉獄の炎は霧をなして消失。魔王の霊威の前に、より下位の魔属者の力は無力であり、この時点で辰馬の力がローゲをはるかに上回っていることは明白。


「……で?」

 およそ命と心を持つものならば問答無用で魅了せずにはおかない、秀麗無比の美貌、その上に冷徹傲岸な表情を浮かべて、辰馬はローゲに冷めた視線を向ける。身長で言えば164センチしかない辰馬よりローゲの方がはるかに長身であり、見下ろしているはずであるのに、座の一同はみな一様に、はるか高みから睥睨されているような威圧を感じた。


「きゃーっ、たつまー! かわいー! かっこいいー! 私は信じてた、信じてたよぉー! やっちゃえたつま、ヴェスローディア臣民の仇、そんな魔神なんかぶちのめしちゃって!」

「……うっさい……、おまえそんなに騒々しかったっけか? しず姉じゃねーんだから……」

「ちょお!? たぁくんあたしあんなふう!?」

「うん……変わらんだろ」

 うっきゃーとばかり腕突き上げて歓声を送るエーリカに、辰馬はげんなりした顔でため息一つ。確かに以前からエーリカは騒々しい方だったが、むしろ怒りっぽい騒々しさというか気の強い委員長タイプだった気が。辰馬の言葉に雫がショックを受けて身を乗り出すが、辰馬に「自覚なかったの?」と首肯されてよりショックを深めた。辰馬は周囲をざっと見渡す。自分の後ろにいた仲間たちは全員無事。やや離れて左右に展開していたインガエウたちとアトロファらも、当然のように悠然と無事。


「へぇ……魔皇子はともかく、一人くらいは今ので殺すつもりだったが……」

「うっさいヴァーカ! 死ぬのはアンタよっ!」

「その通りです、エーリカ女王陛下。魔神ローゲよ、このインガエウ・フリスキャルヴと王者の剣、イーヴァルディが貴様を冥府に送る!」

 インガエウが剣を抜き、疾走。まず身を低くして下段を払い、相手が蹈鞴を踏んだところに跳躍、体重と腕力を存分に載せた一撃を叩きつける! 所有者に勝利と栄光、覇者の運命を約束する必殺の聖剣は魔神の身体を見事真っ二つに裂き。


「ふ……」

 と余裕をかまして辰馬にしたり顔を向けるインガエウの背で、霧煙となったローゲが再び、無傷で再生する。


「オラァ!」

 空間から無造作に、両手持ちの長剣(ツヴァイ・ハンデル)を抜くや、それに炎を纏わせインガエウを打ち付ける。普通の反応速度なら脳天をたたき割られているところだが、そこはイーヴァルディに選ばれた男。インガエウは咄嗟でローゲの剣を受け止め、鍔迫り合いのせめぎ合いに入る。


「実体のない炎そのもの、か。なら、天桜絶禍で凍らせる!」

 辰馬が氷の小剣、天桜を構えるも、


「おー、それぁ怖い。けどまぁ……、そろそろ出番だぜ! ヴェズルフォルニル!」

「? ……っ!?」

 ローゲの叫び、正確にはそれに応えた小鷹の嘶きによって、辰馬たちの身体から力が抜ける。それはインガエウたちが斃した大鷲・フレスヴェルヴから分離した息子である小鷹、ヴェズルフォルニル。インガエウたちの後をひそかに追尾してここまでやって来、ここにきてその実力を発現であった。


 大鷲フレスヴェルヴが暴風を生み出すものであるなら、その子であるこの小鷹の力は風を凪がせるもの。力の昂ぶり、発露を凪がせ、抑制させて封印してしまう。ヴェズルフォルニルそれ単体での戦闘力はたいしたことがないが、あらゆる強敵の力を封印できるとあればその真価は凄まじい。


「く……きつ……」

「だらしないぞ、ちび猿……っ! くそ、辛い……」


 辰馬たちは突然、身体が数倍の重さになったかのような虚脱と疲労感に襲われ、片膝を突く。それはインガエウと3人の衛士も同じくであり、アトロファのとなりのラケシスもまた。ただ二人、魔術の干渉という束縛・干渉から解き放たれた魔力欠損症の牢城雫と、減らして削ってそれでもなおあまりある力の蓄えを、数多の男から搾り取ったアトロファの二人だけが平然と立つ。


「これはまずいわねぇ……さすがに1対1では勝てそうにないし。フィーちゃん、立てる?」

「は……ぃ、先輩」

「よし。じゃ、逃げるわよ!」

「逃がすかよ。男はブチ殺し、女はブチ犯しだ! お前みてーな力のある女は大歓迎だぜぇ、苗床としてなァ!」

 アトロファに肉薄、ツヴァイ・ハンデルを叩きつけるローゲ。アトロファは聖女の宝杖で危なげなくそれを受ける。本来的な力であればアトロファは魔王格……神に匹敵といっていいのだろうが、やはり魔神相手に力を剥られていての状態では分が悪い。防戦一方のアトロファに、かさに掛かってローゲは猛攻を重ねる。右に左に上下前後に、立体的なフェイントを織り交ぜ、炎の剣は苛烈にアトロファを責め立て、その聖女の法衣を浅く、しかしあちこちに切り裂いていく。アトロファはのんびりおっとりした表情を崩さないが、額に浮かぶ汗は余裕のなさを如実に物語っていた。


「援護するぞ!」

「っ、指図するな、東方猿!」

「悪態ついてるヒマがあったら、身体動かせ!」

 辰馬とインガエウが、ローゲの後背を強襲する。これに一番驚いたのはローゲよりむしろアトロファだが、彼女も傑物。「なぜ?」と問う間があれこばそ、その前に逃げを打っている。

「ほら、フィーちゃん!」

「はい、すぐいきますっ!」

「逃がすかよォ!」

「させるかって……言ってんだよ!」

 なんとか、ローゲのツヴァイ・ハンデルの剣閃に辰馬の天桜が滑り込む。辰馬は一瞬で押し込まれ、かかとの痛みで崩れかかるが、そこにインガエウがイーヴァルディで止める。その間にラケシスの手を引いたアトロファが結界にほころびを作って退出、イーヴァルディの剣光にローゲは不吉を感じてわずかに身じろぎし、そのわずかな隙をついて二人は押し返す。


「さて、おれらも逃げにゃあ……」

「先に行け。弱者を守るのは強者の責務だからな。貴様は気に喰わんが、しんがりは守ってやる」

「その伝でいくとおれがしんがりだろ。さっさと逃げろよ」

「……あ!?」

「あ゛ぁ゛!?」

「なに喧嘩してるんですか! エーリカさまを連れて全員一丸で逃げますよ、辰馬さま!」

「ぁ……おう」

 インガエウとガンをつけあう辰馬だったが、瑞穗に叱咤されて目をそらす。


「策は?」

「あります。……全員が1回は十全の力をふるえる、という前提ですが」

「そんくらいならな。……いけるよな、お前ら!?」

「おねーちゃんに任せろぃ! あたし、結構万全だし」

「オレも1発ぐれーなら……1発て言い方するとなんかやらーしっスね……」

「この状況でなに言ってんだ、赤ザル……。俺も行けます!」

「拙者もやるでゴザルよ! まだ死ぬわけにはいかんでゴザルからな!」

「ヒデちゃんが頑張るのにあたしが頑張らないはずないわよ!」

「おっけー。んじゃ、作戦任せるぞ、瑞穗!」

 辰馬に全幅の信頼を寄せられて、瑞穗が奮い立たないはずがない。ここのところのヒロイン枠が雫だったり、直近のお姫様役がエーリカだったりしてすこしメインヒロインの沽券に関わるところのあった瑞穗が、久しぶりにその本領を発揮する!


「はい! 朝比奈さん、虎食みでエーリカさまの鎖を! 鎖を破壊したら上杉さん、すぐさまエーリカさまを!」

「了解、っらぁ、虎食み!」

「っし、潜入成功! 出るぞエーリカ!」

「なんでたつまじゃなくてシンタなのよ……ま、しかたないか……」

「ホント仕方ねーからな!? 行くぞ!」

「行かせるかよ! エーリカは置いて行けや、チンピラァ!」

「磐座さん、火煙を固着! 出水さん、地面を泥濘に! サティアさま、光剣をローゲに!」

 穣の宝杖『万象自在』がローゲの実体なき実体を人の形で固着、その足下を出水が泥に変えて動きを阻害し、そして行動・回避力を大きく削がれたローゲのどてっぱらにサティアの放つ巨大な光剣がブッ刺さる! そうして出来た隙の間に、辰馬たちは一目散に逃げ出した。


「辰馬さま、結界破りを!」

「分かってる! 細かい術編んでるのめんどくせぇ、ちょっと下がれ!」

「急いで! 後ろ、来ます!」

「輪転聖王(ルドラ・チャクリン)!」

 威力を限界まで剥られているとはいえ、魔王継嗣の必殺奥義。隔離世結界は一撃で消し飛び、現実空間が戻る。その後背に炎剣を振りかぶるローゲを射貫いて吹っ飛ばす一撃の矢を放ったのは瑞穗。梓弓の妙技を披露するのも、ずいぶんと久しぶりではあったがその射術の精妙は運動神経のどんくささとは裏腹に見事の一言。神力を帯びた一矢はローゲの身体に毒のような痛みを穿つ。


「くそがぁ!」

 すかさず立ち上がり、吠え声を上げて追撃を再開するローゲ。そのときすでに辰馬たちは階段を上がり、それを追うローゲの身体が膾に切り刻まれるのは美咲の鋼糸の技。すぐさま再生してさらに追撃。


 1階に上がり、ホール。倒れるニーズホッグの傍らを抜けていく辰馬たち。


「逃がすかよぉ!」

「っ、迎撃する、みんな先行け!」

「無理です、辰馬さま!?」

 引き返そうとする辰馬。瑞穗が追いすがるより早く、辰馬の前に立ちはだかったのは雫。

「おねーちゃんに任せんさい。まだあたし、今回活躍してないし!」

 地を蹴って疾走。

「は、アールヴのできそこないか! まあ見た目と身体は合格だ、ブチのめして奴隷家畜にしてやるよ!」

「できるもんなら……やってみなさい!」

 剣閃走る。瞬時に七連ねの斬撃、瞬転七斬。ローゲの身体に七つの傷が刻印され、しかし瞬時に塞がり回復する。剣聖・雫といえど、実体を持たない魔神に致命の傷を与えるには至らない。

「つあぁ……クソが、普通の剣で俺が斬れるかよ!」

 唸るローゲ。

 雫はそこから、さらに続けて。

「本気でいくから!!」

 身体を捻り、反転、遠心力を載せて胴薙ぎの斬撃! 続けてローゲの身体の下に入り身し、アッパーカット気味の切り上げ! そして沖天に突き上げた太刀筋が下に落ちるエネルギーに満身の力と体重を乗せて、叩きつけ打ち下ろしの、真っ向唐竹、外連味なしの一の太刀!

 若き剣聖の斬撃はまちがいなく魔神を傷つけながら、しかしその傷は瞬時に塞がりどうしても大ダメージに繋がらない。ローゲは痛みと敵愾心に赫い瞳を燃え立たせ、炎の剣を振り上げる。

「っぅ……、効かねぇっつってんだよ、メスブタがよぉ!!」


「しず姉!?」

 あの炎剣が繰り出されれば、雫といえどもまず、タダではすまない。魔力干渉を無効化する肉体とはいえ物理的な炎に触れれば身体は燃えるし、そもそも爆発的な剣撃の威力で雫の華奢な身体など吹き飛ぶだろう。辰馬はもう一度、飛び出そうとして、その前にふたたび、人影が立つ。


「フリスキャルヴ王家の人間として、女を見捨てる道はない。ここで全力を出させて貰おうか」

 インガエウは王者の剣・イーヴァルディを高く掲げ。


「せあぁ!!」

 両手で柄を握り、振り下ろす。

 ごぉ、と。

 巨大な光の波動が走る。凄絶な威力の光条は王城ヴァペンハイムのホールを横に裂き、反対側の壁をぶち抜いて見せてローゲと雫を分けた。


「しず姉、行くぞ!」

「うん! インガエウさんだっけ、いーひとだね」

「あー……ナルシストで自分勝手で高慢ちきで選民思想持ちでなければ、いーやつかもな」

「辰馬さま、牢城先生、急いで!」

 残って待つ瑞穗と合流、辰馬たちはアウズフムラまで退く。ハゲネたちヴェスローディア遺臣組は辰馬たちが活躍している間に順調にヴァペンハイム攻略を進めていたが、辰馬たちの敗退に伴いそのの勢いは毀たれ、こちらも敗走を余儀なくされる。すぐに再戦が議せられたが、この時点で無理に無理を重ねてきた辰馬の右かかとは限界を迎えており、当分、痛み止めを打ってリハビリに専念、戦線に出ることは控えることとなった。

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