第13話 窮地の盾女王

「ぎゃー、来んなボケ、バカ、ブチ殺すわよアンタらぁ!」


 京城ヴァペンハイムの地下牢。エーリカ・リスティ・ヴェスローディアは肩で荒い息を吐きながら、押し寄せる牡どもを打ち倒した。


「があぁ!」

「げぶうぅっ!?」


 エーリカの肘は魔族兵の顔面を深く穿ち、貫手の指先で目つぶしを決め、膝の一撃は金的を容赦なく潰す。姫君とは思えないほどのダーティな戦いぶりだが、うっかり手を抜けば組み伏せられて犯される、なりふりなど構っていられなかった。


「な、なんちゅー野蛮な女だ……、魔族よりやり口が汚ぇ……」

「うっせーわよボケ! 来んな、寄んな、帰れ!」


 金的潰され呻いて苦しむ魔族兵に、エーリカは歯を剥いて威嚇と恫喝をかます。まぎれもなく清冽な美少女なのだが、その雄々しさは非常に男前であった。このあたり、エーリカという少女は神楽坂瑞穗とは明らかに違うし、牢城雫ともやはり違う。泥臭く、汚ぇ手を使おうが、最後に生き残っていたモンが偉いんじゃ、という思考が骨の髄まで行き渡っている。一番したたかで、しぶとい。


 こんな連中に穢されるわけにいかねーのよ、私は!


 かびでも生えてそうな粗末で汚いパンをガシガシかみしめ、これもおよそ清潔ではなさそうな水で嚥下しつつ、心を新たにする。ごきゅ、と全部飲み込むと鼻息荒くふんす、と大きな胸を張って見せ、自分の軒昂ぶりをアピールする。


 もともとエーリカはこういう質であったが、その性格を明確に方向付けたのはヴェスローディア内戦……実兄と叔父を共食いさせ、最終的に両者を謀殺、自ら王位に登極した……を経験してからというのが大きい。いまや彼女は一人彼女自身のみの身体ではなく、国民と国家の主、象徴であり勝手に死ぬことも諦めることも許されない。穢されることも、国威を損なうということを考えるなら決して認められることではないのだった。


「お前ら、こんな牝一匹になに手こずってやがるァ!?」


 そう吼えて牢にやってきたのは、すらりと長身、中性的美貌と色香をふりまく、プレイボーイじみた美青年、魔軍の5将星が一、ローゲ。炎の魔神であり、変化の魔術に巧みな実体なきものであり、嘘と詭弁を司るトリックスターでもある男。新代魔王クズノハのもと愛人であり、現在その地位からは完全に外されているが、性的魅力と好色さは衰えていない。ローゲにとって女は男に傅くべきものであり、屈服させることが愉悦であると同時に勲章でもあって、配下の兵士どもが捕虜の女一匹すら犯せずにいることは不名誉極まりない。ゆえに業を煮やして自ら手を下しに来たのだった。


「……クソ女、今からブチ犯して、すぐにオレのものにひれ伏す豚奴隷にしてやるよ」

「うっさいわね醜男!」

「……ぶ!? 醜男、だとぉ!?」


 恫喝で放った一球をものすごい弾丸ライナーで返され、ローゲは慄然と屈辱に震えた。実体を持たないとはいえ普段彼が象る男の姿はおよそありとあらゆる人間、魔族、神族の女を惹きつけずにはおかれない美男。それをいままで「醜男」などと言われたことはかつてない。ビキキ、とこめかみに血管が走った。


「美的センス狂ってんのか、テメェ!? オレ様の洗練された美貌とファッションセンス! これ見てどこが醜男だコラぁ!?」

「うっせーのよ腐れナルシー! 男が自分で自分を美男子ってゆーな!」

「……っく!」


 ローゲの投げ込む言葉一つ一つが、ことごとく強打で打ち返される。臥薪嘗胆とか、屈辱に耐えることに慣れていないローゲはふるふると震え、ストレス性の頭痛と胃痛に苛まれた。ふら、とよろめき、石壁にもたれてかろうじて立つ。


 エーリカもローゲのメンタルの打たれ弱さを見抜いた。弱点は徹底的につくべしと口汚く罵り続けると、これまでなよやかな手弱女しか相手にしてこなかったローゲの精神はブチリとブチ切れる。


「殺す!」

「凍れ!」


 激昂して考えもなく牢に乗り込むローゲに、事竟に成る。準備万端のエーリカが凍結魔術を放つ。「聖女」としての神力は下から数えた方が早いエーリカだが、腐っても聖女の一角。魔族に対する特攻もあり、ローゲの体内を流れる灼熱の猛火はたちまちに凍らせられる。動きを鈍らせたローゲにエーリカは猛然と殴りかかるが、ローゲの身体を後ろから腹心の魔族が引いてそれは阻み、結果としてエーリカは「おそろしー女」という印象を植え付けて魔族たちを引き下がらせた。


「とはいえ……早く来てよー、たつま」


 鉄格子のはめられた高窓から外を見ながら、エーリカは最愛の少年の名を呼んだ。


………………


「さて。それじゃ、やりましょうか、フィーちゃん?」

「はい。準備万端です!」


 正門から乗り込んできたのが女二人とみるや、魔族兵たちはなぜかビクッと怯えたようになる。それが女王エーリカに対する恐怖に起因するものとはさすがにアトロファもラケシスも知るよしもないが、やることが変わるわけではない。アトロファがわずかに目を伏せ、くわ、と見開くや、魔族兵たちはたちまち生命力を枯れ果てさせ、しおれしなびて頽れる。瑞穗がかつてヒノミヤで行った「反・奇跡」……さんざんに犯され、義父の死を告げられ、トキジクを暴走させて局地的な時間を1000年加速させた……、あれに、アトロファのなす技はほぼ等しい。それほどの超威力を、ほとんど消耗する様子もなく使いこなす……枯らした相手から搾り取った精力を自分の神力に転換しているため、ほんんど完全な永久機関をアトロファは完成している……のだからすさまじい。


「書、宝輪、角笛、杖、盾、天秤、炎の剣!顕現して神敵を討つべし、神の使徒たる七位の天使!神奏・七天熾天使(セプティムス・セーラフィーム)!」


 アトロファの吸精に耐えた相手に炸裂する、ラケシスの一撃。アーシェ・ユスティニアとその妹ルーチェ・ユスティニア、かつての聖女姉妹の得意技であり、実際アーシェ本人から継承した光の爆裂。本家にも劣らぬ壮絶な威力は、容赦なく魔族たちを地獄に送るが、蒼月館時代のラケシスを知るものなら首を傾げるはずだ。もともとラケシス・フィーネ・ロザリンドという少女は新羅辰馬に並ぶ異常なほどの慈悲心の持ち主であり、神敵である魔族を相手にしても許したい、癒やしたい、わかり合いたいと願う人間ではなかったか。学生会騒乱で

犯され、休学して郷里に帰り、正統聖女の座をアトロファに奪われ、そのアトロファの手駒にされて働くうちに朱に染まってしまったのか。


 ともあれ、正門前の戦闘は10分もかけずに終わった。アトロファとラケシスは灰燼と帰した魔族たちを踏み越え、城内に入る。


………………


インガエウ・フリスキャルヴと三人の取り巻きは正門(南門)でアトロファ、ラケシスが大暴れしている隙に、悠々と北門から入城し

た。見取り図上、地下牢に一番近いルートであり、インガエウの実力からしてもまず苦戦の要素がない。エーリカ救出競争における最右翼であることは疑いなかった。


 その頭上から。


「ここが一番楽な道……とそう思ったか?」


 男の声。


 巨大な鷲が、一羽、舞っていた。


「ほう……鷲の王、フレスヴェルグ(死者を呑む者)とお見受けする」

「我が名を知って、なおこの道を進むか?」

「無論。所詮畜生の王、我は人の王なれば畏れる道理なし!」


 インガエウは佩剣を抜く。かつて旧き神、「隻腕のテュール」が佩いたとされる「王者の剣」。使い手に勝利の栄光を約束する神剣は、青白い輝きを放って低く唸った。フレスヴェルヴは王威に推されてわずかに縮こまるが、


「インガエウさま、この程度の敵に神剣を抜かれる必要はございません」

「我ら三騎士にお任せあれ」

「さよう。若君は力を温存されよ」

「ふむ……、いいだろう、任せる」


 三人の従者の男たちが進み出ると、インガエウは一人先に進でもなく、剣を鞘に収めた。見物に回る。


「馬鹿にされたものだ……。王者の剣でないならば、恐れるに値せぬ。我が風の刃で切り刻み、ローゲさまと魔王陛下に貴様らの屍肉を献じて見せよう!」


 猛然と、フレスヴェルグが巨翼をはためかせる。


「では。俺が。名乗りを上げさせていただこう、我が名はホラガレス! 『雷神』ホラガレスだ!」

 腰に力帯『メギョンギルズ』、両手には鉄の手袋、そして右手には柄の短いハンマー『ミョルニル』で武装する、30がらみのひげの巨漢……ホラガレスは問答無用で鉄槌一閃! 放たれる轟雷の威力は先日、辰馬たちを迎撃した巨人たちの『にせミョルニル』の100倍に達する。フレスヴェルグは旋回して雷条を阻む。回避しようとするが、魔法の雷は絶対不可避。曲芸めいた軌跡を描いて飛び、フレスヴェルグを打ち据える。


 この一撃に耐えただけでもフレスヴェルヴは、魔獣たちの王に列する存在であると語るに足るが、しかしあまりにも相手が悪い。


「次は俺が。我が名はシァルフィ、韋駄天シァルフィ」


 20代なかばの、美貌の伊達男、シァルフィは両手にダガーを握って駆ける。その速さはフレスヴェルグの思考スピードより、さらに数手先をいくほどに疾い! 右からダガーで差し、フレスヴェルグが身を捩って疾風を放つとその風をすら切り刻む。右脇にいたと思えば次の瞬間左に移っており、かと思えば頭上に、後方に。放った斬撃、刺突は数知れず、鷲の王はたちまちズタズタになる。


「では、幕としようか、鷲の王。鷲の名はホズ。『力』のホズだ!」

 ホラガレスよりさらに大柄であり、そしてホラガレスより10才ばかり年上と見える、レスラーめいた巨漢ホズは動きの鈍ったフレスヴェルグに組み付くと、膂力まかせに締め上げる。魔族が人間より屈強であるとは言え、空気を吸って生命活動している以上、頸動脈締めによる酸素の遮断はどうしようもない。10秒ともたずして、鷲の王フレスヴェルグは失神し、動きを止めた。


「インガエウさま、お待たせしました」

「ご苦労だった。では、往くぞ」


 フレスヴェルグをうち捨てて先を急ぐ一向。その背後を、フレスヴェルグの眉間から発した小さな鷹、ヴェズルフォルニル(風を止ませる者)が追うことに、4人は気づくことがなかった。


………………


 主人公とは常にもっとも困難な道、最強の敵を宛がわれる宿命にあり。


 東門から突入した辰馬たちを開けたホールで出迎えたのは、北の果ての神語における最強の巨竜であった。世界樹の根を咬むもの、ニーズホッグ(嘲笑する虐殺者)。その竜としての格は竜の魔女ニヌルタが従えたティアマトやムシュマッヘーといった連中に劣らないか、むしろ勝る。巨竜は首をもたげると赤き巨瞳をぎょろりとさせて辰馬たちを睥睨し、


「ふむ、今日の餌はなかなか、豪勢ではないか。どうか逃げないで殺されてくれよ、ワシは非常に空腹だ」


 傲岸に言い放ち、咆哮を上げる。


「つーても、ここでのたのたしてる訳にいかんし。速攻で終わらせっぞー、みんな」

「押忍!」

「応!」

「承知でゴザル!」

「が、頑張ります!」

「おねーちゃんに任せなって♪」

「確かに。インガエウ卿もアトロファ女史も、信用できそうにないですからね……」

「わたしは辰馬さまの剣。存分にお振るいください!」


 辰馬ののんびりした声に、大輔が、シンタが、出水が、瑞穗が、雫が、穣が、美咲が応えた。今更、巨竜相手に臆するような人間は、この中にいない。

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