第10話 井底を出る

 大輔、出水、シンタの下宿を訪ね歩く。携帯電話なんてものはないし、置き電話もまだ普及の度は低い(公機関に交換手式の電話がおいてあるくらい)から当然、新社会人の三人が装備しているはずもない。いきおい、直に赴くほかはない。


 三人とも二等街区の住宅街地住まいだが、詳しい住所までは辰馬は知らない。把握しているのはもと教師である雫で、そのアドレス帳を頼りに辰馬たちは三バカ大将宅を訪問する。


 まず、朝比奈大輔。


 そこそこすっきりした、一人住まいにはちょっと大きそうな辰馬の下宿と々くらいのサイズの家。立地から往っても舗装路があり勾配が少なく汽車の駅が近く、近所に商店街があるという好立地であり、なんだかお高そう。


「あいつそんなん稼いでんのか……?」


 と、やや疑問を覚えながらも、辰馬が呼び鈴を鳴らす。


「はい?」


 すぐに出た。


 大輔ではない女性が。


「へ? ……ここ、朝比奈大輔の下宿だと思うんですが?」

「そうですが……あなたは?」


 出てきたのは臈長けた、という風情の若い……辰馬たちよりは4、5才年上であろう美女で、うん? という顔の辰馬にこちらも懐疑的な視線を向ける。


 誰だ、このひと……。


辰馬は相手に覚えがない。実際には過去に一回ニアミスしているのだが、あの当時この女性は天使と融合した神使状態であり、かなり見た目の雰囲気が違う。その上あのときはロングのオールバックだった髪型もボブカットに切りそろえられていて印象が全然違ってしまっており、服装もあのころは扇情的なキトン姿だったが今はもこもこふわふわのセーターと半纏姿であり、これで分かれというほうが難しいかも知れない。


「早雪さん、誰です? ……って、あぁ、新羅さん」

「おー、大輔……おまえ同棲とかしてたんか。女っ気とかなさそーだと思ってたのに」

「はあ、まあ……。新羅さんは彼女に覚えがないですか? 長尾早雪さん、ヒノミヤ事変の最初、サティアとの一件での被害者ですよ。……早雪さん、こちらあの事件を解決してくれた新羅辰馬さん」

「! それは……! その節は有り難うございました、宮代の村と民を救ってくださり、お礼の言葉もありません……! 本当ならもっと早く、こちらからお礼に伺うべきところを……!」

「あー、いや。それはいーんすけどね……あー、そか、あのとき責任取ってやれゆーたな、おれ。律儀にそれ守ったんか、大輔」

「まあ。そうでもあり、それだけでもなく……」

「うんうん。そーいうことはいーこった……っかし、困るな。お前誘うわけにも往かなくなった……」

「いや、俺は大丈夫ですが」

「お前がよくても長尾さん? が困るだろ。下手したら命落とすかも知れない冒険に、妻帯者連れて行けん」

「いえ、新羅さま……、いま私が、宮代の民が生きて健やかにあるのは新羅さまのお陰。その厚恩に報いるために大輔さんの手助けが必要なら、私は喜んで送り出します。……どうか私の夫を、よろしくお願いします」

「あ……はぁ……。大輔?」

「そういうことですから、問題ないです。では、行きましょう!」


………………


 ついで。出水秀規の下宿は住宅街の一番へんぴなあたりにある。貧民街とヒノミヤ山岳部をのぞむ山麓の土地は、艾川をはさんで新羅家からもほど近い。所謂オタクである出水のイメージとしては商店街区の近くにふてぶてしく住みたがりそうなものだが。


「ちょっと家に寄ってくか」


 というわけで、出水家の前にまず新羅邸へ。


「おう、辰馬。その足はどうした?」


 玄関先を掃き掃除していた祖父・牛雄の目は誤魔化せない。たちどころに右足を見抜かれる。


「いや、ちょっとヘマしてな。まぁたいしたことねーわ」

「ふむ……赫眼びっこの王か」

「?」

「そういう古い予言があってな。次に大陸の支配者となるのは、目が赤くてびっこの王だと。赤目ではなかったが、ナーディルもそうであったな」


 大好きな歴史人物であり、軍事に関わるようになってからは尊敬する戦術家ということにもなったアミール・ナーディル、それと同じと言われると、辰馬は少なからず嬉しい。喜びにわかりやすく鼻をヒクつかせつつも、口に出しては


「ふーん……支配者とかどーでもいいけど」


 そう言ってクールぶる。しかし続けて


「……でも身内を守れる力が手に入るなら、目指してみるかね……。親父とかーさんは?」


 そう言った。


「おるよ。狼牙は先日の魔皇女との一件から、ずいぶん老け込んでしまっておるが……」

「あー……」


 新羅狼牙は「魔王殺しの勇者」として、対魔族戦闘に関しては絶対の自負心を持っていたはずだ。それが魔皇女クズノハにまったく、相手にされなかったという現実をつきつけられてはショックも大きかったに違いない。


「ちょっと会っていっていい?」

「うむ。顔見してやれ」


 と、屋敷に上がる。


「たのもー。親父、いる~?」


 狼牙は縁側にいて、短刀を手に一心、念を込めていた。視線の先には槐の木に止まるツバメの姿がある。


「………………」

「親父?」

「……斬れない……無理か……。僕はやはり、もうこれまでか……」

「おやじー!」

「っ!? 辰馬か……。お帰り」

「なにやってんだ、親父。『飛燕虎落(ひえんもがりおとし)』?」

「ああ。一度負け癖がつくとダメだね。技が決まるイメージが持てない」

「あんまし気弱んなるなよ。クズノハはあれぁ別格だから。正式には魔王じゃないから親父の「魔王殺し」の血も発動しないしな。親父の仇はおれが討っとくから」

「それは頼もしい。僕はもう無理だ」

「だから、気弱ンなるなっての」

「そうでしょう? この人ったら一度負けただけですっかり……、辰馬からも元気づけてあげて?」


 台所から割烹着姿のアーシェが顔を出し、言う。息子以上の美貌に瑞穗にも引けを取らないバストは自宅においてもやはり異常に目立つ。それが証拠に大輔など真っ赤になって固まってしまっており、女性陣もあこがれと羨望に一様ぽ~っとなっている。こんな母が商店街にひとりで買い物になど出かけるとそれは狙われるだろうと思うわけで、父にはしっかりしてもらわねば。


「これだからエリートはなぁ……、あんなぁ、親父。おれなんかこの二年で何度も負けたぞ? 負けても這い上がって最後に勝ちゃあいいんだから、一度や二度の負けでそんな気弱になんなよ」

「辰馬から励まされるとはなぁ……いよいよ終わっている……」

「どーいう意味だよそれぁ。つーか、おれしばらく外国回るし。その間綾地がしっかりしててくれねーと困るんだって」

「またお出かけ? さすがに軍人となると忙しいわね……?」


 アーシェの言葉に、辰馬は曖昧に頷く。王城での会話の内容は、うっかり口に出すべきでもないだろう。辰馬の態度が悪くて危うく三族誅滅されるところだったとか、そういうことを口に上せると心配をかけることにしかならない。


「軍務とはちょっと違うんだが……まぁいーや。とにかく親父、気合い入れろ」

「ああ、頑張るさ……」


 ホント大丈夫かよ、と思いつつ新羅邸を辞す。その際アーシェに呼び止められ、


「その足。時間が経ちすぎてもうどうしようもないけれど、一応祝福をかけておくわね。少しでもこの子の道行きが、幸多きものになるように……」

「あんがと、かーさん。そんじゃ」


………………

「さて、じゃ、出水の……」

「せっかくです、新羅。その前にヒノミヤに寄れますか?」

「んー……、ま、いいか」


 穣の言葉を容れ、出水家を避けてヒノミヤ登山口へ。


………………


「旦那さま、お久しぶりですっ♡」

 参詣客の目の前で、女神サティアは辰馬の首っ玉に抱きついた。もともと辰馬の属神であるサティアはまだしも、教主、鷺宮蒼依もわざわざ出てきて「ヒノミヤ解放の英雄」にふかぶかと頭を下げる。サティアはいつもの扇情的なキトンの上から(信徒への配慮上)適当に上着を羽織ってはいるが、なにぶんにも主神・祭神という立場である。それが一介の武弁に抱きつき恋を乞う言葉を紡ぎ積み上げるのだから、衆目を集めることこの上もない。ひとまず本殿に、一行は引きこもった。


「……それで、ひとまずまずはヴェスローディアに行くわけだが」

「それならわたしも一緒に!」

「いやダメだろ。おまえこの国の主神なんだから」

「では、こうしましょう」


 最近ここのところ辰馬と関わること自体がなかったサティアはいよいよもって俄然やる気である。おもむろに念を込めはじめたと思うや、ぽん、と自分の似姿を作り出す。


「これはわたしの分霊(わけみたま)。これを影武者として残します」

「は? おまえが残るんじゃなくて?」

「最近わたしヒマでヒマで。いいお酒が奉納されるのは嬉しいんですが、それだけではやはり足りません。というわけで、是が非にもご同行させていただきますよ! 竜の魔女との一件で失った力も回復……いえ、以前以上ですし、足手まといにはなりません!」


………………


「磐座さん、可愛くなったよね。英雄さまのお陰かな?」

「冗談を言わないでください。それに、あいつは「ヒノミヤ解放の英雄」などではありません。「ヒノミヤの秩序の破壊者」です」


 ムキになった穣の反駁に、鷺宮蒼依は思わず苦笑する。自分で気づいていないのだろうが、こんなふうにムキになって感情を表に出すということ自体、かつての穣にはなかったことだ。張り詰めて危うかったあのころに比べ、どれほど今の穣がのびのびとしていることか。


 教主がやれやれと左右を顧みると、神威那琴、沼島寧々のふたりも同意見らしく軽く頷く。穣は憤然と頬を膨らませ、それを瑞穗が宥めた。


「ともかく。各種案件の決済、できる限りやっておきます。書類を持ってきてください」

「あ、わたしも手伝います」

「当然です。神楽坂さんの事務処理能力もしっかりあてにさせていただきますから」


………………

「じゃ、瑞穗と磐座はあとで迎えにくるとして。出水とシンタ、迎えに行くか」


………………


 さんざん遠回りした出水家には、結局すんなりついた。調度折悪しく今日は新月。妖精シエルが人間サイズになる時期であり、出水の性欲が大ハッスルする時期であり、防音の部屋を訪問すると行為の真っ最中であって辰馬と出水は互いに気まずい思いをした。


「……つーわけで、行くぞ、ヴェスローディア」

「了解でゴザル。シエルたんも問題ないでゴザルな?」

「………………ヒデちゃん以外に見られた……ゆるすまじ辰馬」

「おい、なんかそこの昆虫女が怖いんだけど……?」

「ま、まあ大丈夫でゴザルよ……たぶん。さて、それではひとまず書きためた原稿を郵送して……」


………………

いよいよラスト、シンタの家。

商店街区と商工会ギルド区の交差点近くにあるアパートを尋ねたが、ここは空振り。商工会ギルド区の近くということで先に緋想院蓮華堂を訪れる。


「いらっしゃいませー! ギルド『緋想院蓮華堂』にようこそ……って、辰馬か……」


 迎えるのはいつも通り、ルーチェ・ユスティニア・十六夜の元気な声。


「なんか懐かしーな。二年前の最初もそのセリフで迎えられたんだっけか」

「そだっけ? わざわざ覚えてないけど」

「そーだよ。んで、おばさん? シンタきてねーかな?」

「おばさんゆーな。おねーさんでしょ」

「おねーさんがエステとか気にするかよ。いい加減認めろ33才」

「アンタそれ、おなじこと雫ちゃん25才に言えんの?」

「は……? しず姉関係ねー……って、なにしず姉、その目?」

「あ……いやいや、なんでもないよー、やはは。あたしは信じてるからね、たぁくんのこと」

「なにを信じるんだよ……、しず姉は妖精の血が入ってるから実年齢より若くて当たり前だろーが、おばさんとは違う」

「はいはい。まあ? 辰馬にとって雫ちゃんは特別だからね」

「含みのある言い方すんな。……で、シンタは?」

「いるわよ。そこ。仕事探してるみたいだけど」


 ロビーにはカタログを食い入るように見つめるシンタがいた。クエストをあさりながら、赤い髪はほとんど上下しない。ボディバランスがしっかりしている証拠だ。これは大輔や出水に関してもそうで、彼らのレベルは着実に上がっているといえる。


「もちっとレベルあげんとなぁ……」

「レベル上げならいー仕事あるぞ。ヴェスローディアだ」

「んな遠く行ってる場合じゃ……って、辰馬サン!?」

「なに一人で仕事受けよーとしてんのお前。抜け駆けか?」

「……いや、オレも、マッチョもデブオタも、今のまんまだと実力足りねーでしょ? なんでちょっとでもレベル上げようかな、と」

「うん感心。でもそんなヒマはねーんだわ。今すぐヴェスローディア行くぞ!」

「……正直なところ、オレら役に立ててます?」

「もし足りねーって思うなら、役に立つよーになってくれ。お前らに換えはきかねぇ。いまさら他の仲間とかいらんし」

「換えはきかねぇ……、他はいらん……押忍! 一生ついて行きますよぉ、辰馬サン!」

「コラ赤ザル! お前空手もやってないのに押忍とか言うな、ぼんくら!」

「やかましーわダボ! お前らもまあ、せいぜい頑張れよ!」


………………

とまあ、いろいろあって。

もう一度ヒノミヤに戻って瑞穗と穣を拾い、辰馬たち一行は皇都の一流ホテルへ。当然宿泊目的ではなく、エーリカの腹心ハゲネ・グンヴォルトがここに逗留しているのだ。


「用意は、済みましたかな?」

「おう、バッチリ」

「では」

「うし、往くぞ!」

「応!!」


 展開された魔方陣の上に立つと、ハゲネが呪文の詠唱を始める。煌々と脈々と、光を放つ魔方陣。全ての詠唱が終わったとき、辰馬たちの姿はアカツキの国にはなく。


 目の前が真っ白に光り、気がつけば近代レンガ造りの町並みの中にいた。

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