第20話 姫巫女懐胎

 ヴァレット山岳帯。このあたりは娯楽が少ない片田舎であり、それだけに口コミでの噂の伝播が早い。辰馬たちはまずここの教会を拠点にして活動を開始した。人を集め、奇跡を見せ、自分達を信奉する人間を増やす。そして彼らの中から志願兵を募り、軍隊として創り上げる。


「ひとまず1000人あれば、王都レーシを陥として見せます」

 神楽坂瑞穂はそう豪語する。彼女が断言するからにはそうなのだろうが、あと半月で1000人を募るのは存外に厳しい。とはいえ泣き言も言っていられないから、辰馬もおとなしく聖女っぽくふるまうのだが。

「聖女さま、傷が、昨日日曜大工で指を……」

「そんなもん、ツバでもつけとけよ……ってあた!? なにすんだおまえエーリカ!?」

「あははー、ごめんなさい、ちょっとこの子連れて行きますねー。……たつま、アンタやる気あんの?」

「なにが?」

「そんな横柄でやる気のない聖女がいるわけねーでしょーが! なにやってんの!?」

「だっておれ、治癒術とか使えん」

「じゃあ傷を撫でてあげるだけでもいいのよ! アンタがやるって言ったんだから、ちゃんとやりなさい!」

「やるっつったのはトクロノフ氏救出であって、こんなこと(女装)するのを承服したつもりはねーんだが……」

「い・い・か・ら、やれ!」

「……まあ、やるけども」

 と、戻りかけたところに瑞穂が駆けてくる。春さきとは言えまだ寒く、かんみそ(神衣)の上から野暮ったくセーターを着ていながらも揺れる乳房はその大きさ重さを微塵も隠せていない。だぷんだぷんと、揺れる姿は海原を暴れるレヴィアタンのごとし。エーリカはイラッと殺意にも似たうらやましさを感じるが、ひとまずそれは押し殺して。


「なによ、瑞穂。豚乳揺らしてみっともないわよ?」

 隠せていなかった。いかにも嫉妬っぽい言いざまで、高圧的に言う。


「は、はう……すみません、見苦しいものを……」

「エーリカ、ひがむな。瑞穂、用件は?」

「ぁ……はい。その、磐座さんの「見る目聞く耳」とわたしの「サトリ」で画像付きの遠距離通話システムを構築してみたんですが……磐座さんが辰馬さまを出せって……なんだか怒ってるんですけど、その割りに嬉しそうな……」

「……? まあ、あいつがよーわからんのはいつものことか。今つなげる?」

「はい。ちょっとまって下さいね、鏡、鏡……」

 セーターをめくってかんみその腰帯にはさんだ鏡を取り出す瑞穂。普段もっと過激な姿をしょっちゅう見ているわけだが、着衣をめくって下を見せるという姿になんかあかんものを感じた辰馬はさりげなくそっぽを向いた。


「なに照れてんのよ、かーわいい♡」

「うっせーわ、照れてねーし」

「はい、用意できました! この鏡を見ていて下さい」

「ん……」

 しばらく鏡を見ていると、磐座穣の姿が鏡面に映る。ぼんやり不明瞭な映像ではなく、くっきりはっきりした、テレビ以上に鮮明な映像。その映像の中で、穣はなぜだかいつも以上に憤慨していたが。


「新羅ですか!? 責任を……と……え?」

「あ?」

「ぷ……くく、あはは! あぁ、それがみんなが口を揃えて可愛いと言う、新羅の女装姿ですか……ぷっ……ふふ、可愛いじゃないですか、全然男に見えなくて……あははははっ!」

「……お前がそんなふーに笑ってるの初めて見たが、すげー腹ぁ立つな……怒っていいか?」

「はは、ははははっ……、怒りたいのはこっちですよ!」

 大笑いだった穣は突然、くわっとまなじりをつり上げ怒鳴る。


「ぅお!?」

「これってどーいうことですか、ケダモノ! ちゃんと責任は取ってくれるんでしょうね!?」

 主語なしでガンガン怒鳴りつけてくる穣、その鬼の形相と剣幕に、辰馬もたじたじとなる。とはいえ相手が何を言っているのか分からないと誤ることも出来ないので、どーいうことだと聞いてみた。


「ちょっと待て。なに言ってんのかわからん、順序立てて話せ」

「だから……アレですよ」

 問い返されると、穣は突然勢いを失いもごもごと口ごもる。


「アレ? なに?」

 重ねて聞くと、


「アレです……つまり……その、おめでた、というか……」

 目を伏せてぼそりと言った。


「おめでた……おめでた……!? おめっ、おおおおお、おめぇ!?」

「「おめえぇ!?」」

 穣の言葉に、辰馬のみならず瑞穂とエーリカも原語不明瞭になる。それくらい「おめでた」の一言がもたらした破壊力は凄まじい。


「そういうことです。ちゃんと責任は取るように。分かりましたか?」

「ぁ……お、おう。そりゃどーも……、おれの、子供かー……まさかこの年で……つーかやることやってりゃあ当然か……うーん… ! そーだ、姓名判断の本買わんと! 男の子かな、女の子かなー。ま、可愛いのは間違いないよな、お前の子なんだし。で、おれが父親……ふふっ、なんか嬉しいなぁ!」

 真っ赤になりつつも平静ぶる穣に、うれしさを隠しもせずはしゃぎまくる辰馬。まだ生まれても以内我が子に対する異常なほどの子煩悩ぶりに、穣は意外性から毒気を抜かれる。


「……意外」

「ん?」

「てっきり『ガキなんかいらねーから堕ろせ』って言われるとばかり……子供なんか欲しがらないと……」

 普段の辰馬を見ていると我が儘で気ままで自ままで奔放不羈のため、そういうふうに見られても仕方ない。だが本質的に新羅辰馬という少年は異常なほどに情愛の細やかな、依存するのもされるのも大好きなタイプの人間であって、それは辰馬と雫の関係を見れば分かるはずだが戦略戦術を見るに敏な穣は人間心理の機微にはやたらと疎かった。


「そんなわけねーだろーが。おれは身内大事にする男よ? あー……いまお腹どんな具合? 早く会いたいなぁ、無理すんなよー!」

「ちょ、待って。待って下さい、そんな態度を取られると調子が狂います! わたしとあなたはもっとギスギスした間柄でしょう!?」

「じゃあこれきっかけにして和解で! 姓はどっちにする? おれは新羅って名字気に入ってんだけど、磐座もいいよなー」

 またまた浮かれポンチ状態の辰馬の後頭部を、エーリカがはたく。


「ちょっと、たつま」

「んぁ?」

「なに浮かれてんのよアンタ。あたしも瑞穂も牢城センセもいるのに、穣だけってわけにいかないでしょ?」

「……あー……そうだった……いかんな、つい」

「いかんなじゃねーのよ馬鹿。瑞穂なんかショックですっかり呆けちゃってるでしょーが」

「……すまん。でもまあわかるだろ? 初子なんだよ」

「知るわけねーでしょ! あたしはまだ子供授かってねーわよ! 早く仕込め!」

 エーリカは魂の叫びを吼えた。穣に先を越された、という事実はこの若き女王のプライドをいたく傷つけ、競争心をあおり立てていた。


「え……いいの?」

「いいのもなにも……あたしはアンタの正妻なんだから! 側室に先超されたらそりゃあ悔しいわよ!」

「いつから正妻になったのかわからんが……そーか、エーリカって子供ほしいんか……」

「アンタも喜ぶしね! って恥ずかしいこと言わせんな!」

「新羅」

 今度はまた、鏡の中から穣。いつものような気の強い怒り顔ではなく、大人しくおしとやかな羞じらい顔で。


「お、あぁ?」

「わたしも頑張りますから、あなたも頑張って帰って下さいね……」

「うん……て、えぇ! 磐座が、磐座がしおらしい!?」

「なんですかその言い方は! もう切ります、それじゃ!」

 なにかに叩きつけるような音がして、ぐにゃりと像が乱れた像は霧散した。それきり鏡はうんともすんとも言わなくなる。

「瑞穂-、大丈夫か?」

「はぅ!? あ、夢……? そうですよね、磐座さんがご懐妊……」

「あぁ、それ本当」

「はぅ……」

 目覚めた瑞穂は次の瞬間また失神した。


「さて。教会戻るか」

 瑞穂を拠点の安宿に寝かせて戻ろうとする辰馬の裾を、エーリカが摘まんで止める。振り払うのは簡単だが、さっきの話の流れからして無碍にしづらい。


「……するか?」

「ん……」


………………

 その晩、結局辰馬が教会に戻ることはなかった。


………………

 翌日。

宿から女装し直して出勤(?)した辰馬が見たのは、やたら繁盛する教会。行列なす人びとの奥で、ステンドグラスの下に座るジャンヌが手をかざすとけが人の傷は塞がり、病人は元気を取り戻す。つい数日前まで瑞穂やアトロファ、ラケシスが後ろでこっそり術を使ってごまかさなければならなかった新米聖女の力は、見事に花開いている。


「おはよー、なんか調子よさそうだな?」

「ああ、王太子殿下とクトロノフさま、そしてこの国を救うという思いがわたしの中でしっかり腑に落ちたからかな。力の使い方が自然と分かるようになった。あなたたちのお陰だ、ありがとう」

「ん。まぁ、お前の実力だよ。さて、そんじゃおれも手かざし頑張るかー!」


 こうして、真なる力を開花させたジャンヌのもと人は族族集まり始める。ジャンヌの旧領の騎士たちも馳せ参じ、1週間を過ぎたあたりで兵力は2000を越えた。


「つーわけで、作戦だが」

「はい。レーシの城に運び込まれる食糧輸送車、それを奪います。精鋭をもって内側からかく乱」

「なんちゃらの木馬作戦か。ま、いつも徹してる車に賊が入ってるとか思わんよな」

「はい。それに呼応して外から、正門を攻めると見せて東門、こちら湖に端一本を渡しただけの難攻不落ですが、凍らせてしまえば難攻不落ではなくなります。ここから攻めます」

「……ヒノミヤの時といい、よくぱぱっと出てくるよなぁ、そんなの」

「磐座さんに比べたら全然ですよ? この程度」

「瑞穂は自己評価低いんだと思うんだよなぁ……ま、いーや。それで、布陣は?」

「この作戦、最前線に立つべきはクーベルシュルトの代表だと思います。なので花形の東門突撃隊にはジャンヌさんを。そのとなりに辰馬さまが湖を凍らせて下さい」

「了解」

「了解した」

「作戦の起点、輸送車強奪にはリーダーシップの強いエーリカさまと、騎士の皆様。これを奪っての潜入部隊には牢城先生、朝比奈さん、上杉さん、出水さん」

「はーい♪」

「了解です」

「問題ねーっッスよぉ!」

「承知したでゴザルよ!」

「そして正門の陽動。これにはわたしとサティアさま、そして農民兵の皆さん。今回も荷車を使います。もともとこれはヤン・ウィクリフさまの戦術ですし、その後継者ヤン・クトロノフさまに敬意を表するという意味も込めて」

「まあ、問題はないわね。旦那さまのためだし、やってあげる」

「はい。それでは、さっそく取りかかりましょう!」

「おう!」

 場の男女の声が、一斉に和した。

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