第19話 クーベルシュルト宗教改革/金の聖女

「ち、ち、っ……く……」

 右足が悪いとなると相手は執拗にそこを狙ってくる。単純に足払いや踏みつけを仕掛けてくるのではなく、目線で動きを誘導しての一撃、また足を撃つと見せてこちらが萎縮したところに上体への強打など、バリエーションに飛んだ攻撃はただの山賊騎士の技とは思えないほどに洗練されており、しかも道場剣法とは一線を画す実戦性を誇る。辰馬としてはやりにくいことこの上ない。というか苛烈な打ち込みを受け、いなし、捌くだけで足が軋み、痛みで脂汗が噴き出す。マナス(意)を集中させて痛みをある程度忘れさせているが、それでこの体たらくだ、敵の剣術が円と点の複合技法、自分本来の得意技であるということも、辰馬を焦慮させた。


 ……まさか西方に、こんなハイレベルな剣法があるなんて、な!


 武技と言えば東方、それは世界的常識であり、ウェルスの「聖女」候補にはわざわざ桃華帝国から武芸師範が護身の技を相伝するくらいであるが、それも先入観に過ぎず強者はやはり何処にでもいる。なんとなれば自分の全盛期を凌ぐほどの技量を使いこなす相手がここにいるのだから、それは認めざるを得ない。


 苦戦する辰馬をカバーに瑞穂や雫、三バカたちが馳せ参じようとするも、それを展開した山賊騎士たちが阻む。これが一騎当千、すでに相当の修羅場をくぐってきた瑞穂たちを、簡単には通さない。


「ちぃ! こいつら、速い……!」

「デブオタ、動き止めろ! このままじゃ狙えねーし!」

「わかってるでゴザル! 指図すんじゃねーでゴザルよ赤ザル!」

 大輔の拳に耐える屈強、シンタのダガーを躱す速力、そして前衛をかわしてまず後衛の出水を狙う戦略性を備える、個ではなく集団。一対一で後れを取ることはないが、なかなかに相手しがたい。同じように、雫と瑞穂、サティアの三人も術者二人を庇わせて雫の負担を増やさせ、さらに多人数の手数で押し込むことで彼女ら本来の戦力を封殺してくる。


 辰馬を救いに残るはエーリカ一人。この状況を独占できることに、エーリカはむしろ欣喜して聖盾を構え騎士と辰馬の間に割って入る。


 ぎぅん! と鈍い金属音を立て、細剣と盾が激突、火花を散らした。


「うりゃっ! どーよたつま! やっぱりあたしが必要でしょ!? ほらほら、あたしって役に立つ!」

「おお、あんがとさん、エーリカ!」

 辰馬はぐ、と踏ん張り、かかとから全身に駆け抜ける激痛をこらえながら放たれた矢のごとく踏み込む。天桜の切っ先で目打ちの幻惑、相手が一瞬、目を閉ざした瞬間に懐に踏み込み、下から打ち上げるような体当たり!


「く……!?」

 甲冑を徹して突き抜けるダメージに、苦悶する騎士。その腕をとり、身体を制圧、崩しをかけて、ドン、と踏み込んでの掌打、そこからさらに踏み込み、肘打ち! 「かは……っ!?」必殺の肘は鉄板の上から切り株を拉げさせる。その威力をもらって、騎士はさすがに呻いた。


 なお辰馬は止まらない。掌打、肘打ちときて、仕上げの一撃、この距離で繰り出されるならそれは靠法。肩から背中を使い、叩き込む衝撃は数十トン、岩壁も穿つ! 腕をとられた時点で身体制御を支配されている騎士は受けも避けもできない、わずかに身体を反らして衝撃を逃がすのがせいぜいであり、ほぼ完璧な形で辰馬の剣撃を喰らって騎士は吹っ飛んだ。


「勝負ありです! これ以上の戦いは無益、私ヴェスローディア女王、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアの名において双方、剣を引きなさい!」

 すかさずエーリカが宣言し、ふらつく辰馬に肩を貸す。優勢にあった山賊騎士たちは首領の敗北に目を瞠り、信じられないとばかりかぶりを振るも、現実を知ると渋々、といった顔で剣を置いた。


………………

「で、あんたらなんなんだよ、一体?」

「我らは王太子とトクロノフどのをお救いせんと願うもの」

「………………?」

 騎士の一人……ヘルメットを外すと、まだずいぶんと若い20代そこそこの騎士だった。おそらくは叙任されて間もないのだろう……の言葉に、辰馬は首を捻った。

「トクロノフ……って誰?」

「あれ、たつま知らない? 歴史好きなのに」

「知らん。現代史とか今の政治には興味ねーんだわ、おれ。あくまで『おはなし』の歴史物語が好きなんでな……つーことは、政治家か」

「んー、ちょっと違う? まあ、政治顧問みたいなこともしてたけど、実際は神学者。フス・ウィクリフの後継者って言われる人で……」

「フス!?」

「うわ、びっくり。なによたつま、フスのファン?」

「ファンっつーかどうかはまだわからんが。軍略家のフスか。ってことはそのトクロノフさんも軍人?」

「違うわよ。だから神学者だって」

「いや、トクロノフどのは軍略家でもあるのです、女王陛下。フスさまも」

「へ?」

「ほら! やっぱあのヤン・ウィクリフじゃんよ!」

「なに鬼の首とったみたいなドヤ顔してんのよ、殴るわよ? ……まあそのヤン・トクロノフさんだけど、クーベルシュルト王太子フィリップ殿下の政治顧問でね。でもウェルス神教会の権威を否定して破門になっちゃって、それでも懲りずに教会と女神崇拝を否定してたらフィリップ殿下の従兄のシャルル殿下が即位して、このひとがガチガチの女神崇拝者だったせいで投獄されたの」

「はあ……いまどき女神の無謬とか信じてる連中いるのな……女神って実際こんなんだぞ?」

 辰馬は解しかねるという顔でサティアを見遣った。


「?」

 サティアは辰馬に視線を向けられて、とりあえずにっこり笑う。その頭空っぽっぽい笑顔に辰馬はうーん、やっぱり女神ってただのアホなんだけどな、と自分と世間の女神論の温度差に懊悩する。


「……そのへんは分かったとして。なんでそのご立派な人をお救いしたいあんたらが山賊やってんだよ?」

「それは……」

「偽王派は王太子殿下を捕え、トクロノフどのとともに処刑すると通達した。それを止めたければ20000000ディレントンの身代金を払えと」

 そう答えたのはさっきまで失神していた美形騎士。白目を剥いて涎まき散らしてブザマに失神していた事実は都合良く無視して、騎士はシリアスな顔と声音でそう言った。

「2千万……、?……、すまんエーリカ、アカツキの単位で」

「だいたい760億弊ってとこ」

「はー……はー……、はあぁ!? そんなもん、ほとんど国家予算やんか!?」

「まあ、王子とその腹心だからねー。仕方ない額ではあるか。それで、山賊稼業で成果は?」

「1000000ディレントンといったところです……」

「桁が違うな」

「ああ。どうしようもない。この上は王城に突撃して殿下とトクロノフ殿をお救いするしか……」

「………………」

「ちょっと、たつま?」

「………………ん?」

「アンタまた余計なこと考えてない? あたしたちは賢者クロートに会いに行く途中であって、クーベルシュルトのお家騒動に介入してる余裕はないのよ? そうでしょ、アトロファ?」

 一刻も早くヴェスローディアを解放したいエーリカは賛同者を求めてアトロファに問いかけるが、以外にもアトロファはおっとりした顔にたおやかなほほえみを浮かべたまま首を左右に振る。


「そうですが、まあ。お師匠さまは逃げるものではなし? 今上の勇者さまがどんな決断をしてどんな行動を取るのか、それを見極めさせていただくのもよいかと」

「たつまくん、王太子さまとトクロノフさまを助けてあげませんか? 王太子を王位につけてさしあげれば、このさき第2次魔神戦役における友好国を広げることにも繋がります」

 アトロファの横から、ラケシスが言った。蒼月館時代人代わりしたように攻撃魔法をぶっ放すようにはなったが、やはり彼女の本質は分け隔てなく優しい。本来ならシャルル王党派を指示するべきウェルス神教の聖女でありながら、ラケシスは苦境の王太子と神学者を救おうとしている。


「あー、フィーはいいこと言った。そうだよなぁ、ここは助けるべきだって。これは別にトクロノフ氏に会ってみたいとか、そういうわけじゃなくてな」

「いやアンタ会いたいだけでしょ。兵法のてほどき受けたいだけでしょ」

「違うって。人道的にな、困ってる人は助けるべきだろーが」

「アンタねぇ、世の中はそんなきれい事で動かないの! そもそも兵力もナシでどーやってクーベルシュルト王党派と戦うの? いっとくけど、クーベルシュルトの正規兵ともなるとこの騎士たちよりさらに強いわよ? あんたが本気になれば国の一つや二つ滅ぼすのは簡単なんだろーけど、どうせ絶対殺したくないっていうんでしょ?」


「あの……いいでしょうか?」

 おずおずと、瑞穂が挙手。


「クーベルシュルトの民は一人残らず戦士である、この認識は間違いないでしょうか?」

「……ああ、それは間違いない。我らは武器を玩具にして育ち、外寇あれば軍民一体となって戦う。他国に比べて戦意と戦力は高いだろうな」

「なら、民衆の方々を巻き込みましょう」

「……?」


………………

「だからさぁ! なんでまたこのカッコなんだよ!? なんかこれ、前よりスカート短くねぇか!?」

 新羅辰馬、久しぶりの女装。衣装は以前アカツキで着用したアイドル衣装を、サティアが神力でクーベルシュルトの村娘風に変質させた。いつもの横束ね髪はほどいてわずかにウエーブした髪は質素な両お下げにし、勾玉は腕輪にして左手首に巻く。女性陣が精魂込めて(面白がって)メイクを施し、まさに鄙にもまれな、艶転なる蛾眉の美少女ぶりである。


「ダメですよ、辰馬さま。今の貴方は『神託を聞いた聖女さま』なんですから、もっとおしとやかに、かわいく!」

「お前……! つーか、こっちの人間の信仰とか全然分からんぞ、おれ。そんなんでいけるんかよ?」

「確かに……この国の事情を知らないのは致命的かも知れません……」

「つーか辰馬サン、自分が女装でイケるってことにはもうなんの疑いもないッスよね?」

「やかましーわボケ! つまらんこと言ってたら殺すぞ、ばかたれ!」

「そういうことなら、私……わたしが聖女役をやろう」

「頭領、いいんですか!?」

「このまま男の真似をしても王太子とトクロノフさまは救えない。ならば女に戻るさ」

 騎士はそう言って、鎧を脱ぐ。ズボンとチュニック姿になると華奢で柔らかい身体の線があらわになり、小さいが間違えようもない双丘は彼女がまぎれもなく女であることを象徴する。


「ジャン・ド・バプテストあらためジャンヌだ。よろしく頼む」

「………………」

 辰馬はわずかに目を眇め、ジャンヌを凝視。彼女の中にある「本質」を透視する。微弱ではあるが、この感覚は……。


「いまこの国の聖女ってどーなってる?」

「え? そこまではちょっと……ウチの国じゃないし……」

「こいつって聖女だろ、この力。いや、まだ弱いけど。間違いない」

「わたしが……聖女?」

「うん。よし、ジャンヌを化粧してやれ! よしよし、これでおれが女装する必要は……」

「金髪と銀髪の姉妹聖女、って触れ込みは惹きつけるものがありますね!」

 衣装を脱ぎたがる辰馬を、瑞穂が制して否応なしにやめさせた。いやだいやだと強姦魔に組み敷かれた乙女のように泣きわめく辰馬を尻目に、新たな聖女ジャンヌは呆然とした雰囲気で、まだ信じられないというふうに呟く。


「わたしが……聖女……」

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