第21話 新教と旧教

 新羅辰馬は丘の上の草むらに伏せていた。

 背後には神楽坂瑞穂が、荷車を並べる。荷車には糧秣ではなく大量の重く硬い石が詰め込まれており、そのうえ外壁には闘艦が装備するようなラム(衝角)がとりつけてある。1台1台にそれぞれ血気盛んな山賊騎士がまたがっており、坂から逆落としに下るこれの突撃力が騎馬のそれをはるかに上回るのは想像に難くない。まがうかたなき突撃兵器であった。


「壮観。久しぶりのワゴンブルクだなー……」

 双眼鏡片手に携行食糧のビスケットをかじりつつ、辰馬は後ろに居並ぶ一騎当千たちに目を向ける。アカツキ内戦「ヒノミヤ事変」で対ヒノミヤ戦の決定力の一つになった運搬用荷車の軍事利用、その荷車を使った城塞戦術が「ワゴンブルク」だが、この戦術のルーツこそまさにこの国クーベルシュルトのヤン・ウィクリフ。そして今辰馬たちが救出しようとしているヤン・トクロノフはその思想的・軍事的高弟であるという。


「まだか……まだなのか!?」

 荷車戦車の上で、あまり気の長い方ではないらしいジャンヌがイライラと爪をかむ。「傭兵の国」といわれるだけにクーベルシュルト人というのは大柄で、腕っ節が強く、気が短いものが多い。グシアンといわれるグラーニュ地方出身者はとくに血気盛んなことで名高く、ジャンヌもまたそうだった。ジャンヌはそれほど大柄ではない(といっても164㎝の辰馬よりは大きい)ものの、やはり気は短く待ちの戦略は苦手らしい。


「もーすぐだよ。ちょっと待て」

「ちょっと、とはどれだけだ!? 先日まで人集めとはいえあんな遊び女のまねごとをして、今度はこんな所にコソコソ隠れてじっとしているばかり。今この瞬間にも王太子殿下とトクロノフさまは……!」

「だからってお前一人で突撃しても意味ねーだろぉが。あんまし大声あげんな、せっかく隠れてんだから」

「……貴公は外つ国人だから私の焦慮が分からないのだ」

「あー、わからんな。そりゃ説明もされてねぇんだから、わかるわけない」

「この国は新教国でな」

「新教?」

「神父と聖女は女神グロリアさまの代理人で、その言葉はグロリアさまのお言葉に等しい、って考え方の宗派だよ……です」

 横で待機のラケシスが、注釈をはさんだ。つい学生時代のクセで気安い物言いになってしまったのを、恥じ入ってうつむく。

「あー、昔どーりの言葉遣いでいいから、フィー」

「そう……ですか?」

「あー、気にすんな。……んで、新教があるなら旧教もあるんだよな? 新教がそんなんなら、旧教はもっとクソな気がするが」

「……それじゃあ、失礼して昔どーりに……。旧教のほうが最近に成立した教理でね。神父も聖女もただ力のある人間に過ぎない、として、女神さまの尊さは不変だけれど人はすべからく平等、って考え方をするのが旧教なの」

「はあ。……旧教のほうが進歩的?」

「そーだよ。旧教の提唱者ヤン・ウィクリフさまは異端者として火あぶりにされちゃったけど、全ての人は平等だって思想、すごく素敵だと思う。だからこの旧教の光を絶やさないためにもウィクリフさまの後継者であるトクロノフさまを救出しないとだし、そのトクロノフさまを支持してる王太子がクーベルシュルト国王になれば世界宗教史に変革が齋らされることになるはず」

「そういうことだ。だからこの一挙、決してしくじるわけにいかん!」

「わかったからまー落ち着け。余計に落ち着け。しくじれないなら逸るな」

 辰馬のものいいは平素通りにぼーっとしているが、その声に有無を言わせぬ力を感じてジャンヌは口をつぐむ。位負け、といっていい。まるで王を前にしているような心地だった、のちにクーベルシュルト女王、さらにのち国が征服されると公爵夫人となったジャンヌはのちにそう述懐する。ヤン・ウィクリフとその高弟トクロノフの志を知るにつれ、トクロノフを殺すわけにはいかないという心が辰馬の中に強い熾火(おきび)を焚く。


「おれが絶対成功させちゃるわ。だから大人しくしとけ」

 この一言に、ジャンヌは気圧され顎を引いて引き下がる。


「辰馬さま、久しぶりに本気ですね……!」

「たぁくんかっこいー! やっぱりそーでないと!」

「まあ、いくらかっこよく決めてもこいつ、昨日まで女装してたんだけどね」

「やかましーわエーリカ! 好きで女装してるわけじゃねーだろぉが! つーかお前らがノリノリで女装させるくせに!」

「別に馬鹿にしちゃねーわよ。女装男子のくせに決めるときは決めるたつまかっこいーなって」

「そんな褒め言葉いらんわ! っと、来た……!」

「来たか! よし、とつげ……ぐぅ!?」

「だから待てやばかたれ。タイミングってもんがあるだろーが」

 荷車洗車に飛び乗ろうとするジャンヌの襟首を掴んで止め、辰馬は瑞穂に眼で合図する。瑞穂もコクリと頷き、おっとりした顔に凜々しい表情を加えた。


 坂の下から昇ってくる、食糧輸送者と120人の警護兵。今この場には荷車洗車8台と山賊騎士40人。死闘すればなんとか勝てないこともないが、辰馬も瑞穂も、そんな不確定なことはやっていられないしするつもりもない。


「辰馬さま、鼓1回です!」

「あいよ!」

 瑞穂の合図で、辰馬は携行の小さめな銅鑼をがぃんと鳴らす。音響魔術で拡声された音は周囲の空気を劈いて響き渡り、それに呼応して、坂の下、輸送車の背後に伏せた兵士たちが発つ。朝比奈大輔率いる民兵10人と、ジャンヌの腹心の若手騎士(最初、ジャンヌが気絶したときに事情を説明したあの若者)率いる10人、これが左右後方から、輸送者の後背を襲った!


「後ろからっつーても、あの兵力だと押し巻けるよな……出水とシンタになんか渡してたけど、あれは?」

「あれの出番ですね! 銅鑼2回、お願いします!」


 ぐわん、ぐわ~ん!!

 朝比奈隊の中から、シンタと出水が飛び出す。仲間が苦戦の中をすり抜け、輸送車に貼り付いた。そして数分、煙が上がる。


「火事だ、火をつけられた!」

 世界の終わりとでも言うような悲痛な声で、誰かが叫ぶ。


クーベルシュルト国王シャルルはその短い治世において醜聞しか後世に残すことのなかった暴君である。それはこのあと彼を押し退けて即位することになるフィリップが自己の正当性の喧伝のためにことさら、シャルルをこき下ろして史書に書かせたと言うこともあるが、実際シャルルの人格が卑しく粗野であったことも確かであった。これまで、シャルルの命令通りにならない部下は手当たり次第粛正されている。食糧輸送車が焼かれて食糧が届かなかったとなれば責任担当官はまず間違いなく処刑されることだろう。


となれば担当官が忠義立てして奮闘する理由はなく、彼は一いっさんに逃げ出す。そしてリーダーが敵前逃亡の醜態をさらしたことで、警護兵たちにも動揺が走った。


「最後の銅鑼です! 全軍突撃!」

「っし! いくぞジャンヌ、思う存分だ!」

「ああ! 私に続け! クーベルシュルトのために!!」


 燃える金髪をなびかせ、ジャンヌは真っ先に突撃する。これまで兜に押し込めて隠していた長髪はそれ自体が仲間を鼓舞する旗印たりえる、という瑞穂のすすめで今回、存分に外に出してある。そして瑞穂の言葉通り、主君の美しき金髪に、配下の山賊騎士たちはいっそう奮い立ち、雄叫びを上げた。


坂上からから急落してくるラム付きワゴン8台と40人の武装騎士たち、警護兵たちは肝を潰す。これだけ状況と士気が完成していれば、3倍の兵力差など関係がない。まず重量と落下エネルギーの乗ったラムの一撃で前衛をぶち抜くや、地に降りたって剣を、斧を、ハルバード(斧槍)を振う山賊騎士たち。


それでも精強無比でなるクーベルシュルトの正規兵。警護兵たちはなお粘り強く戦い抜く。彼らにとって国にも国王にも義理はなかったが、王国の民としての誇りと矜持が彼らを不退転にしており、また多くがグシアンで自らの力を誇示したがる血気の男ばかりであったこともあって簡単には降伏してくれない。魔術を使おうにも乱戦の中ではうっかり仲間を巻き込む可能性があり、大威力の辰馬たちの魔法はかえって使いどころがない。


「あーもう、どー見たももう完全にこっちの勝ちなんだから、さっさと降参しろや、ばかたれが!」

 乱刃のなか、辰馬は悪態をつく。勝利は確定だとして、このまま相手が降伏しないのでは否応なく殺さざるを得ない。そう考えただけで気分が悪くなり目の前が赤黒く染まって胃酸のせり上がってくるのを感じる辰馬だった。


「……サティアさま、なんでもいいです、空に向けて一撃放って下さい! 目に見える大きい威力を!」

 瑞穂が隣に待機のサティアに声を飛ばす。サティアはよくわからないまま、空間から抜いた巨大な光剣を爆裂させた。天を食い破らんばかりの威力を見せたその一撃に、敵味方の殆どが呆然と恐怖して空を見上げた。辰馬と新羅一行にとって慣れきったことだが、神威の一撃というものはもともと信心深いこの大陸の民にとって魂を強烈に揺さぶるものだ。


「クーベルシュルトの民たちよ、投降なさい! これが女神の神威です!!」

 この言葉だけでは足りなかったかも知れないが、アトロファとラケシスを従えたサティアが空に浮いて光臨を背負ってみせると、クーベルシュルトの兵たちはついに得物を棄て、戦闘をやめる。


「……さて。輸送車、燃やしちまったのは拙かったな……」

「燃やしていませんよ、辰馬さま。あれは発煙筒、煙だけです。混乱させるために火事と見せかけましたが」

「あー……、さすが」

「光栄です。頭、なでてください♡」

「はいはい……にしても、女神て世間的に影響力強いのな」

「そうですね。わたしたちにとっては神力も神術も普通のものですが、世間一般的にはそうそう見ることの出来るものではありませんでした。そこに気づくのに、すこしかかってしまいましたが」

「乱戦に持ち込まずに、いきなり輪転聖王ぶちかませばよかったか……でも最前線にいないとわからんこともあるしなー、その辺は場合によりけりか……。ま、これであとはレーシを陥とすだけ、と」


 同じ頃。

 磐座穣は女神の宮殿セッスルームニルに到着していた。

 最近イラつくことが多くインガエウにかみつき続けていたら、なんだかインガエウの目つきがおかしい。どうにも、自分に生意気な口をきく相手というのが新鮮なのか、妊婦である穣に対しいらん好意を抱いてきているらしい。あなたにはラケシスさんがいるでしょうと言いたくなるし、本人曰く俺はエーリカ女王に愛と忠誠を捧げたのだと言うが。


 ともかく。


「ここは女神の聖域。許可なく足を踏み入れることまかり成らん」

 穣たちが神殿に足を踏み入れると、どこからか現れた屈強強靱にして剽悍、しかるに美貌の、武装した男たちが立ちはだかる。


「貴様らを斃せば、許可証代わりということになるか」

 穣の前に進み出て。

 インガエウが佩剣に手をかけた。


「このひとたちは英霊(エインヘリヤル)です、不死ですよ」

「浮浪であれ不死であれ、不滅ではあるまいよ。見ていろ穣!」

 穣の言葉にも耳を貸さず、エインヘリヤルたちのなかに突撃を敢行するインガエウ。ホラガレス、シァルフィ、ホズの三人もそれに続く。


「磐座さん、お疲れ様です……、お腹の調子は?」

「今のところは平気です。ありがとう、晦日さん……。あのひと、いいところを見せたいのかも知れませんが……。はっきり言って迷惑でしかないんですよね。わたしは……のものなんですから」

 エインヘリヤル相手に大暴れのインガエウを尻目に、美咲に答えてため息する穣。この期に及んでまだ「辰馬のもの」とは言わないし言えないのが、どうにも穣らしいと言えばらしかった。

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