第22話 競馬賭博

 インガエウが剣を振う。


びゅお、と烈風の如き風切り音が鳴り響き、剣閃は眩いばかりの光を放つ。影が光に触れるように、英霊たちはあえなく霧散していった。


「すごい……ですね」

 晦日美咲が驚嘆する。彼女自身武技を修めているゆえに、インガエウの力がただ「遺産」たる王者の剣だけに依存するものではないことがはっきりと感じられる。弛まぬ努力と研鑽、それに裏打ちされた、積み上げられた実力。剣技だけで牢城雫に匹敵するレベル。そこに上乗せされる、男としては破格の、聖女に匹敵する神力。これで強くないはずがない。


「……新羅の方が強いですよ」

 磐座穣はそう言って鼻を鳴らした。ちょっと前までなら辰馬を引き合いに出すなんてこと自体しなかったのだろうが、さすがにお腹に自分と辰馬の命があるとなればそのあたり、柔らかくもなる。いまだに「新羅」呼ばわりではあるが。


 インガエウは「不滅ではあるまい」といったが、英霊たちは不死にして不滅。着られ刺され打たれ、殺されてもまたすぐに再生する。だが、勝利の剣イーヴァルディの斬撃による傷そのダメージは、恐れ知らずの英霊たちをすら恐怖させ、震駭させた。傷口から流れ込む攻撃的な神力の脈動が、彼らの霊的肉体に根源的な痛みと衝撃を植え付けるのだ。人が生まれついて獅子を恐れるように、英霊たちはしだいにインガエウを恐れ、遠巻きに下がっていく。


「ふ、名にし負う英霊もこの程度……いや、俺が強すぎるのか」

 油断なく構え続け、臨戦状態は維持しつつも、インガエウは勝利を確信して傲りの言葉を口にする。その背後から突如、首もたげる朱鱗の巨竜! 魔竜の王・ニーズホッグに比べればやや小柄、それでもなお雲突く威容と威圧感を備えた姿は、やはり霊獣の長というべし。


 口腔の奥にきらめく、紅蓮の業火。それが放たれる。しかしインガエウは慌てず騒がず、剣閃ひとつで炎を断ち割り、消失させた。


「!?」

 瞠目した竜……小人(ドヴェルヴ)の英霊ファーヴニルが化身した姿……は、恐怖に胴震いして二歩、三歩と下がる。インガエウは気楽そのものの無造作さで前に進み出し、一太刀で強靱無比のはずの竜鱗を断ちその、巨木の幹よりなお太い首を切り落とす。圧倒的だった。対ローゲ戦では小鷹ヴェズルフォルニルの力でその能力を減衰されていいところがなかったが、新羅辰馬と張り合うだけのことはある。


首を落とされたファーヴニルは一度死に、すぐまた再生したが、すでにもう一度インガエウに突っかかるだけの気力はうせていた。他の英霊たちも、インガエウの凄絶無比の実力に恐懼しきって周章狼狽、算を失い逃げ惑う。インガエウは剣を納刀し、金髪をふさり書き上げてキメ顔を作って見せた。ホラガレス、シァルフィ、ホズの三人は主君の勇姿に感じ入って見とれるが、美咲と穣、とくに穣の反応は薄い。蛾眉艶転たる辰馬に比べればインガエウなど節操なしでかっこつけのジャガイモ王子だし、それ以前に辰馬に惚れている二人は、ここでインガエウになびくような尻軽でもない。


 にもかかわらず、

「どうだ、俺の実力、その一端は?」

「はあ……」

まっすぐ自分の前に早足でやってくる、傲岸不遜の金髪ナルシストに、穣ははあ、と答えるしか出来ない。ほかになにを言えばいいのか、今この場を乗り切るにはインガエウの力が必要だったかも知れないが、正直に言うと敬して遠ざけたい。苦手というか、より積極的で正確な表現をするなら嫌いだった。なにぶんにも辰馬を馬鹿にするあたりが気に入らない……のは心の中でも認めたくないことなので、一般的な事柄にあてはめて横柄な態度が気に入らないと、穣は自分をごまかしてそう思う。


「あまり寄らないでくれますか? 吐き気がしますから。ええ、別に貴方が生理的にうけつけないわけじゃありません、おなかの子が暴れるから具合が悪くて」

「……そうか……、大丈夫か?」

「だから、寄らないで下さい! 気持ち悪い!」

 おなかに手を伸ばそうとするインガエウに、ぴしゃりと言う。神聖なところだ、自分と夫……夫とは認めていないが……に以外に触らせるなど言語道断だった。


「す、済まん……」

(まったく……下心丸出しの男はこれだから。新羅とは大違い……って、あいつはどうでもいいんですよ!)

怒り、苛立ち、ついで蕩け、そして真っ赤になってかぶりを振る。あまり激しく頭を振り乱したせいでフラッとなり、ブチ切れ運動音痴の穣は危うく転けかけるが、インガエウが手をさしのべようとする前に横から美咲が支えた。


「あまり、無理をしてはいけませんよ、磐座さん。一人の身体ではないのですから」

「無理をしてるつもりはないですが……はい」

 美咲にかかると穣も、剣呑な態度が取れない。それは晦日美咲という少女の無私無欲な献身性とか、嫌味のない性格とかに寄るところが大きいのだろう。穣は自分がひとと衝突しがちな人間であることを自覚しており、それゆえにヒノミヤでも神月五十六からの命令を受けて自分ですべてを裁量していた。ゆえに人に上から命令を下すことは出来るが友だちづきあいが出来ないある意味重度のコミュ障。瑞穂のように清楚すぎる相手も雫のように元気すぎる相手もエーリカみたいに強気すぎる相手もすべて苦手であるが、その点、美咲はいい意味で性格が無色透明、つきあいやすい。後世新羅辰馬の死後、彼女がヒノミヤにもどったあとも美咲とは親交を保ち、穣の孫娘である覇城すせりと美咲の孫娘、晦日緋咲が主従にして親友関係になったのも、もとをたどればここに起因する。


さておき。

穣は美咲に支えられ、インガエウからやや遅れてそのあとに続いた。玄室をいくつか抜ける中でまた別の英霊たちに襲われることもあったが、まずインガエウがすべて片付けるのでなにほどのこともなし。そしてやがて、ひときわ大きい礼拝堂のような広間に出る。


「あらあら。ここに生きた人の子がやってくるのはひさしぶり。ようこそ、我が宮殿へ」

 礼拝の祭壇奥で優美にたおやかに、おっとりとほほえむ栗毛の少女が、おそらく女神ロイア。露出の激しい服装というわけでもなく、いやらしい表情を浮かべるわけでもない、にもかかわらずこの女神は、凄まじくわけわからんくらいにねっとりとした色気をまとっていた。普通の男なら我を忘れて問答無用で強姦に及びかねないレベルであり、下手をすれば女でもこの色香に惑わされて乱交してしまいそうな。さすがにインガエウも三人の従者もそこは並外れた自制心、自己を抑制するが、いかんせん精神を支配されている現状に変わりはない。


 穣にはよく似た力の使い手に心当たりがあった。ヒノミヤ姫巫女衆の一人、沼島寧々。彼女の力は目を合わせた相手を魅了するものであり、力の質としてはかなり近しい。もちろん全くの同一ではなく、視線など解さなくとも存在するというだけで周囲に淫蕩の気を撒き、またその力の強さも天地の開き、という差はあるが。


「なにをそんなに苦しそうにしているのですか、久しぶりのお客様? お話ししましょう? 今、外の世界はどのような?」

 無邪気に問う女神ロイアに、一切の罪の意識も見てとれない。彼女はもとより悪意をもって男を狂わせるのではなく、むしろ友愛の意を込めて力を振りまくので余計に厄介だ。


 男どもは自制で精いっぱい、ということで穣と美咲が進み出る。少女二人とても強烈な淫気にからめとられていないわけではないのだが、今にも下半身を暴発させてしまいそうな男どもに比べれば余裕があるというもの。


「女神さま、わたくしはアカツキ皇国の姫巫女、磐座穣と申します。いま、大陸は魔族の侵攻を受け、民は塗炭の苦しみ。このヴェスローディアも例外ならず、魔神ローゲに制圧され国は災禍の中にあります。ローゲの腹心たるヴェズルフォルニル、かの小鷹の「減衰」の力をどうにか封じる手立てをお示しいただきたく、こうして罷り越しました次第!」

「そうですか、魔神ローゲ……。わたしが出向きたいところですが、古い呪いでわたしはこの神殿から動けません。なのでヴェズルフォルニルの力を封じる方策を授けましょう……ただ……」

「ただ……?」

「ここに押し込められて長いもので少々、退屈していまして。少し遊び相手になっていただれればと……」

「わかりました。遊びの内容にもよりますが」

「はい♪ それでは……」

 ロイアが手を打ち鳴らすと、場が忽然と換わる。トラックがありパドックがあり、併設の厩舎には馬が群れ成す。ありていに言って競馬場。どこかウキウキしているロイアは「わたしは勝負の女神=賭け事の女神でもありまして。人々を賭けに勝たせてあげているうちに自分もハマってしまったんですよ……というわけで、競馬予想勝負です!」そう言って無邪気に笑う。


「そういうことなら、受けて立ちましょう」

 百戦錬磨の賭け事師の風格纏わせるロイアに、穣はごくごく平然と受けて立った。百戦百勝は無理だが、三戦して二勝取るくらいの策はある。まさか女神ともあろうものが神力でいかさまもするまいから、それなら穣はまず負ける気がなかった。


「わたしの馬はこの神馬たち♡ そちらにもほぼ同力量の馬を用意しました、それでは、競いましょう?」

「その前に、何度か走らせてみてよいでしょうか。馬それぞれの力量を確認したいので」

「いいですよ-。それでこそ公平というものです♪」


 馬はロイアと自分とに三頭ずつ。穣は美咲に騎手を頼み(万能の美咲は馬を御する技も心得ていた)、エインヘリヤルのひとりが騎手を務めるロイア側の馬と競わせてみる。それでだいたい、双方の速い馬、中庸の馬、遅い馬は分かった。


「では、これがオーダーです」

 といって提出した出走表に、インガエウなどは目を剥く。相手の一番速い馬にこちらの一番遅い馬を当てるのだから当然と言えば当然。しかしこの憤慨は兵法を知らぬもののそれだ。


 案の定で、第1走は穣がぶっちぎりで負けた。駑馬が麒麟に挑むようなもので、まるで勝負にならない。ロイアもほくほく顔で大喜びだったが。


 第2走。ロイアの中庸に、穣は最速を当てる。これなら穣と美咲が負けるはずもなく、危なげなく勝利。


 そして第3走。ロイアの鈍馬に対して穣が当てるのは中庸。このままでは敗北必至と焦ったロイアは騎手を替えてきた。より小柄で、手並み優れ、馬の力を引き出すに巧みな騎手。エインへリヤルの中でもっとも馬術に巧みな英霊が騎乗することで、駑馬も名馬と変わる。穣に打つ手はなく、あとは美咲に任せるほかなし。


コース半ばまでは互角だった両馬だが、やはり騎手の技量で底上げされたロイアの馬が徐々に穣側を引き離し、中盤一気に鞭をくれて引き離す。


頬をなぶる強風にあおられながら、美咲は馬のたてがみをなで、短めの言葉をいくつか紡いだ。彼女の「祝福」は馬にも力を齋らす。力を得た騎馬は一気に追い上げ、あと一歩で並ぶところに追いすがるが、なおエインヘリヤルの名騎手に及ばない。


ここで美咲は騎乗の姿勢を変える。それまでの、尻を鞍につけての前傾姿勢から、鐙に立って尻を浮かす。さらに前傾の度を傾けた。馬の負担は軽くなるが、もし落馬したらただでは済まない危険な姿勢。


その体勢で、鞭をくれるのではなく馬のたてがみを優しくなでる。これは「祝福」とは違う、ただ馬と心を通じ合わせようとする、美咲の至誠。馬も雄であれば、美女の愛撫に応えないわけがなく四肢に力を漲らせる。そして最後のコーナーを曲がり、直線で並んだ。残るは直線数百メートル。


「あと少し……頑張って! いっけえぇぇぇぇぇぇぇぇぇーっ!!」

 美咲が、彼女にしては珍しく声も限りに叫ぶ。両馬並んだ状態から、わずかに鼻差で穣-美咲の馬が抜けた。


………………

「あなたがたの勝ちです。まさか彼の技量が凌がれるとはおもいませんでした、あなたは良い騎手です♡」

 ロイアは潔く負けを認めた。もともと競馬勝負がしたかっただけで、勝敗にこだわりはなかったのかもしれない。美咲の手を取って名騎手・晦日美咲をたたえ、ついでにサインまでさせる。気恥ずかしそうにする美咲の陰で可愛そうなのはエインヘリヤルの騎手で、絶対の自信を持っていながら敗北した彼は自信喪失して恐縮しきりだ。とはいえ劣る力量の馬であれだけ戦い、美咲には「祝福」まで使わせたのだから実質のところ、彼を敗者というものはいないだろう。問題は本人の心が納得するかどうかだが、こればかりはどうしようもない。


「それにしても、最速に最速を当てるのではなく、あえて一勝を諦めて二勝を取る、ですか。考えたものですね」

「ずっと昔の桃華帝国の軍師の兵法です。勝つべくして勝つ。特に目新しいやりようではないですよ」

「いえいえ、ご謙遜を。……さて、それではヴェズルフォルニルを封じる方法、でしたね。フギン!」

 ロイアが呼ぶと、一声いなないて一羽のフクロウが舞い降りた。すべての羽毛は白く、瞳はしずかで、老賢者を思わせる。フギンと呼ばれたそのフクロウはロイアの腕に止まり、そして穣の前に差し出されると挨拶するように恭しげに頭を垂れた。


「この子は呪詛を喰らう力を持っています……この力がもっと強力で完全であればこの地の封印を解かせてわたし自ら出るのですが……、おそらくヴェズルフォルニルの「減衰」程度は退けられるでしょう」

「十分です。ありがとうございます女神さま。いつかこの地の封印から、貴方が解き放たれますように」


 穣は礼を述べ、その場を辞する。これで数ヶ月に及ぶ彼女らの探索行は終わった。あとは帰還して、別路の新羅辰馬一行を待つのみ。

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