第25話 童心礼讃
儀仗兵をかわし、新羅辰馬とシンタ(子供)は部屋の一つに忍び込む。
「はー……あっちこっちに煙が待舞ってるし、兵士もごろごろいるし……めんどくさ……」
ため息をついた。真っ向勝負の超ド級ストライカー型である辰馬は、煙をよけて兵士をかわしてという、こんな搦手をやらせられるのは非常に苦手である。
「だから逃げよーって言ったじゃん、今からでもにげよーぜ、ネーちゃん! オレが守ってやっから!」
「なにマセたこといってんだお前ばかたれ……つーか、この部屋って衣裳部屋か……うし、お前の目ェ覚ましてやる。おれが男だってこと、しっかり見るといーぜ」
「?」
「そら」
ためらうことなく服を脱ぐ。ここにシンタしかいないとあって遠慮なし、全裸になった。
「どーだ、男だろーが!」
「ぎゃー」
「……ぉあう!?」
不用意に誇示した辰馬の〇〇(大き目)にシンタの蹴り。脳天衝くような衝撃に辰馬は頽れた。
「しま……った、思わずアホみたいな真似を……」
「早く服着ろよねーちゃん! 困るだろー!」
「だから、男だったろーが。〇〇ついてただろー……」
「男だけどいまさらにーちゃんて言えねーよ! とにかく服着ろって!」
なんでシンタのばかたれに常識人みたいな諭され方されてんだよ、おれ……なんか頭おかしくなってたなー、いかんいかん。
「よし、頭切り替えた。着替えるからこっち見んなよー」
「見ねーよ!」
なに恥ずかしがってんだ、こいつは……っとそんなことよりさっさと着替えよ。
丁度いい服を見つけて着用。演劇の王子さまがまとうような白タイツにかぼちゃパンツといういでたちは少々気恥ずかしいが、ここではこれがフツーなんだろ、と割り切る。
「うし、着替えた。もーいいぞ、シンタ!」
「うん……って、なんか似合わねーなー、そのカッコ……」
「やかましーわ。女装よりか万倍マシだ」
「それで、やっぱあの女と戦うのか?」
「おう。とりあえず、煙の範囲と兵士のルートは把握した。煙躱して一気に玉座の間に突っ込む!」
「そんなおーざっぱでだいじょーぶなのかよ、ねーちゃん……」
「お前におおざっぱとか言われたくねーなぁ……ま、いーや。んじゃ、お前この部屋に隠れとけ」
「バカ言うなって。女を見捨てて逃げられっかよ!」
「だから、男だからな、おれ……とにかく、往くか!」
………………
そのころ、玉座の間。
出水秀規(子供)におしっこをさせて戻った牢城雫は、内心ひどくムラムラしていた。
出水のことはどうでもいい。それはそれとして。
あの煙に触れたら、たぁくんも子供になるのかなー? そしたら昔みたいに雫おねーちゃーん♡ って……うはゃ~、そんな、そんなねうまくいくはずねえぇ♡ やはははは~っ♡
「……なにを、くねくねしているの?」
不審に、というか不気味に思って、シーリーンが訊いた。服装は痴女か娼婦か踊り子だが、彼女の精神はいたって尋常なものだ。雫の気味悪い動きを、不気味がるというよりむしろ心配する。
「やははー、面目ない。いやさー、たぁくんにもこの煙って効くのかなー?」
「たぁ……くん?」
「うん。あたしたちのリーダー……リーダー? だっけ? なーんか違うなぁ、まとめ役……これも違うか。んー……愛されキャラかな!」
「は……、はぁ……」
「でねでねっ! たぁくんっていまもかぁーいいんだけど、昔はホントにかわいくってさぁ~。久しぶりに子供たぁくん見たいなぁ~って」
「……子供に、しちゃっていいの、ですか?」
「いーでしょ。しーちゃんもそこの魔神さんも悪い人じゃないし。悪い人なら抵抗できないあたしたち、とっくに殺してるよね? てゆーか魔神さん、人を若返らせる以外の力も持ってるのに使わないんだもん」
「………………」
「……フッハハ! よく見ておるわ、半妖精の娘」
沈黙するシーリーンに代わって、笑い声をあげたのは偉大なる魔神(マリッド)、マフディー。雫の言い当てたことはすべて事実に正鵠を射ていた。シーリーンがこれまでの人生で人を殺したことがないわけではないが、彼女がそれを望んだことはなく可能な限り避けたがるのは事実である。
シーリーン・アル・ウマイヤ・ブン・シーア・アイユーブはウェルスとクーペルシュルト国境の小国、アイユーブ朝ウマイヤ家の姫君である。とはいえ彼女がクーペルシュルトに嫁いだのは、アイユーブの姫としてではない。
アイユーブの姫として彼女は魅力的に過ぎた。シーリーンの美貌は姉妹たちの恨みを買い、姉妹たちは城下の無頼漢たちを招いてシーリーンを輪姦させた。それだけで飽き足らず、死んだことにして国から追放。
なんのうしろだてもない流浪の民として生きていくことを余儀なくされたシーリーンは否応なく冒険者の道を取ったが、ここでも彼女の美貌は彼女に負の恩恵をもたらした。シーリーンの組んだ男は、まず間違いなくシーリーンを押し倒して彼女を蹂躙した。彼女が人生において初めて人を殺したのはこの時期、自分に乱暴をした男の喉笛をナイフで掻っ切ったのであるが、その男がひとつの古ぼけたランプを持っていたことから彼女の人生は一変する。ランプの魔神は人を欺き、絶望を連れてくる。その言い伝えをわかったうえで彼女はランプを擦ったが、現れた魔神・マフディーは千里眼で彼女の境遇と絶望を知ると魔神らしからぬ涙を流したのである。魔神の最も偉大なるもののひとりは、意外なほど悲しい少女に弱かった。シーリーンの前にひざまずき、自らの名と命にかけて忠誠を誓う。
かくして無力な少女が最強の魔神の使役者となったのは5年前。昨年出現した新代の魔王・クズノハに対してマフディーはシーリーンの自由をかけて勝負を挑むもかなわず、よってシーリーンは従者にして恩人、父のような存在でもあるマフディーの命のためにクズノハの軍門に下り、5将星の1角となる。
クズノハはシーリーンの美貌を活かすべくクーペルシュルトの内紛に乗じるよう命令、名を受けたシーリーンは王党派に取り入って持ち前の美貌とマフディーの魔力でたちまち頭角を現し、国王シャルルの妻に収まる。だが望まない結婚で鬱々として楽しまなかった。笑顔は作り物の感情を見せないものであったが、本来の彼女の笑顔は19歳という年齢相応の無邪気であどけないものだ。マフディーは自分の存在に代えても、シーリーンが笑っていられる世界が見たい。
そういうわけだから、マフディーとしてはシーリーンを理解してくれる存在なら人であれ魔族であれ半妖精であれ、誰でもよかった。そして今ここに牢城雫という人を得て、偉大なる魔神は呵々と笑う。
「だからさー、あたしたちでたぁくんをやっつけちゃおーぜー、しーちゃん♪ そして子供になったたぁくんを、あたしがじっくりたーっぷりお世話するのっ♡」
ここに辰馬がいたらおいこらと怒鳴ること請け合いの雫のセリフだが、ここに辰馬はいない。ひたすら雫の独擅場である。
「おねーちゃーん、遊んでー」
先の楽しみができてウキウキ状態の雫は、すがりついてくる子供たちをえいやっと抱え上げるとぶんぶん振り回してあやす。ノリノリだった。
「マフディー……止めないんですね?」
「止める必要がない。我が望むのは嬢の幸せのみ。あの雫という娘は嬢に有益と見た」
………………
「うーしうしうしうしっ! ここまで順調! 行くぞぁ、シンタ!」
「おうさ! 任せとけー!」
「よっし、玉座の間ってここだよな、たのもー!」
……
「ようこそ♪ たぁくーん♡」
ちゃき、と。
名刀・白露の白刃を向ける、牢城雫。
「は……? しず姉、なにが……」
「あたしとたぁくん(子供ver.)の幸せのために、たぁくんやられろーつ!」
いいざま、雫は踏み込んだ。
ざしゅ、びぅ、どしゅ!
いうことはわけわからんというかコメディチックな支離滅裂なのだが、剣閃は精妙無比。峰こそ返しているもののあとは容赦なしだ。ただでさえ辰馬より上手の剣技が、なんだか名状しがたい妄執にかられてさらにレベルを上げている。辰馬が天楼で受けようとするのを巧みに跳ね上げ、防戦に入る辰馬の下がる歩の先々に的確に置かれる斬撃……というか殴打。右足に爆弾を抱えている辰馬は全力で長時間動けず、数分で動きに精彩を欠くところに打撃、打撃、打撃! 辰馬はかろうじて受け、捌いて威力を外に逃がすが、まともに動くことも許されない。うっかり動いて直撃したら、暁刀というのは鉄の塊である。峰打ちでも十分、ひとは殺せる。さすがに雫が自分を殺そうとするとは思わないが。
「さーさー、動きは止めたよっ、しーちゃん! やっちゃえ!」
「あなた、自分の恋人に容赦ないですね……まあ、やりますけど。マフディー!」
「応! 済まぬな小童!」
「……ッ!?」
出現した魔神、たちのぼる靄煙。これに触れては……と焦慮する辰馬だが、雫に徹底的に封殺されて逃げられない。
「くそ……しず姉のあほー!!」
という罵声とともに、辰馬の意識は刈り取られた。
………………
「魔王の軍と対決、ね」
「呼び建てして申し訳ない。あなた以外に条件を満たす女性の思い当たりがなかった」
「構わないわよ? 名にしおう新代魔王の5将星、そのうち2人が相手、か。なかなか楽しそうじゃない」
臍だし学生服と民族服を組み合わせたような服装、角と翼と縦割れの瞳を持つ少女は竜の魔女ニヌルタ。心底楽し気に、舌なめずりすらして見せる姿は片腕を失ってもなお絶大な自信と実力とを感じさせる。ガラハドも狼牙もヒノミヤ事変当時から相当にレベルを上げているはずだが、それはニヌルタにしても同じことらしい。
「ほんでまあ、俺も狼牙さんの隷下に入れさせてもらいますわ」
長戟を肩に担ぐ2メートル級の巨漢は明染焔。竜の巫女・イナンナと竜の魔女・ニヌルタは彼の監督下にあり、ニヌルタは焔を認めていないかもしれないがいろいろあって頭の上がらない姉が焔に従うよう言い含める以上、逆らうことができなかった。
「ああ、助かる」
狼牙も気心知れた弟分の参陣に笑顔を見せた。
「そんじゃ、まず一発。敵さんに挨拶カマしときますかー……」
焔は陣屋から出て敵陣からへだてるところ10キロほどのところに立つと、右腕を突き出した。上、頭の高さ。
ついで左手。下、臍の高さ。
両腕を回す。ぼぅ、と炎が立ち上り、それは一瞬で大気を焼き、分子を焦がす。かつて4000度が限界だった明染焔の炎熱法術、それはこの2年で限界をはるかに超え、天壌無窮の境地に達し。
数億度、核熱爆発にも匹敵する熱量を生む!
「とりあえずこれが、俺の挨拶やっ!」
両腕を左右に払う。轟炎が走った。先行する音だけで周囲を打ち砕き、そこに乱入する炎はもはや炎と定義するのがはばかられる別格の破壊力。魔軍の先鋒対数千が、たちまち粉砕されて爆裂四散、四分五裂した。
「は! まぁざっとこんなもんや!」
鼻息荒く言い放つ焔に、敵も味方も、それこそガラハドと狼牙ですら慄然となる。援軍は予想以上に心強すぎた。
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