第47話 三重に偉大なちゃっちゃくちゃら
「はぁ~ぁ゛―、行きたくねぇーなぁ~……」
思いっきりやる気なさげに、新羅辰馬は気怠さを表明する。エーリカからご下命された「魔王クズノハとの同盟」、それ自体は大いにやるべしと思うものの、今回自分に白羽の矢を立てたエーリカに「正気か?」といいたい。
まず、辰馬はアカツキを発つ前、永安帝に「魔王クズノハを殺す」よう命ぜられている。おそらく魔軍の間諜はこの情報を知っているはずであり、当然クズノハの耳にも入っているだろう。あの場で辰馬はクズノハを「殺さない」と断言したわけではあるが、しかし事態が大きくなった現在、実姉を殺したくないという感情論で全人類を危険にさらすわけにもいかず殺すべきか殺さざるべきか、二律背反した感情に悩まされているところだ。そこにあっさり「行ってきて♡」とのたまってくれたエーリカのことは、多少恨めしくもある。
「まぁどげんにせよ、おれが決めんといかんことなんやが……」
「南方方言ですか?」
「……あれ、また方言出てたっけ? まぁ、うん。おれはばーちゃんが南方なんでな」
隣に並騎する晦日美咲(つごもり・みさき)の問いにそう答えて、またしばらく沈思。しかしすぐに頭の中がこんがらがり、せっかくの美しい銀糸の髪をぐしゃぐしゃに掻き回す。
「あーあー、どげんしよか、ちゃっちゃくちゃらや(あーあ、どうしようか、二進も三進もいかん)」
天に向かって詠嘆する。実姉と人類と、どちらかを取れといわれているも同然であって、簡単に結論が出るものではない。こういう問題に直面してひたすら悩み懊悩するからこその新羅辰馬であり、だからこそシンタや大輔や出水は辰馬を慕うし、瑞穂や雫やエーリカは辰馬を愛するのだが、どれだけ美質をたたえられようと本人が苦艱から解き放たれるわけではない。まったくもってちゃっちゃくちゃらだった。
悩みながらも、二人は着実にヴァペンハイムに向かい進む。途中上位の魔族や天使が立ちはだかったこともあるが、この二人を苦戦させるほどの相手はついぞない。辰馬が魔王継嗣としてほぼ完璧に完成されているだけでなく、美咲は糸使いの武芸者としてその武技雫に伍し、さらに【人造聖女】としての能力……主として「祝福」の力……持ちでこちらも相当凄絶に強い。上位魔族や天使が一個大隊をなしてかかってきても返り討ち、というレベルであった。
今日も二人は苛烈な神軍、魔軍の攻撃を蹴散らし、そして適当なところで野営する。有事即応のためテントは一つ。辰馬も美咲も蒼月館卒業からこっち同じ下宿に起居していたわけで今更恥ずかしがるはずもない……かといえばまったく逆で美咲はいわゆる新羅家の女性たちの中でもとくに男ずれしていない。下宿では辰馬の正妻、美咲の主君小日向ゆかがほとんど常に間にいたから平気だったが、ここ数日の、とくに悩みを抱えて夜の営みが激しくなっている辰馬の相手は美咲にとって少々、酷だった。事を致している最中「大丈夫かー?」と何度も問いはするものの、大丈夫ですとけなげに答える美咲は間違いなく無理をしている。
「……とにかく、仲よくしましょうとだけお伝えすればよいのではないでしょうか? わたしにはクズノハ先生がそこまで邪悪な存在とは思えません」
かつて葛葉保奈の名で蒼月館の教鞭を執ったクズノハに対して、教え子の立場から美咲はそう言ってみる。場はテントの中、状況は事後の睦言で、赤毛の少女は絶世の美少女なれど身体の起伏乏しく、以前はそのことを気にもしていなかったが最近どうも瑞穂やエーリカと自分を引き比べてコンプレックスを感じることもあるらしい。貧相な体を隠すように毛布を引き寄せる。
「んー……個人としては善人だけど集団のトップになるとどうしても悪、ってのはいるんだよなぁ。魔族の王って時点で世間的にはそーいう認定だし……ほんと困る……」
美咲の横で、辰馬はズボンを上げながらそう言ってまたため息。クズノハが完全な悪でないのはわかっているが、だからといって敵対しなくて済むという理屈でもない。
「とはいえ、話が通じるのは混元聖母よりクズノハなのは間違いねーからなぁ……。聖母のほうは完全に明確に人類を敵……つーか駆除対象と見てるし。神より魔族の方が話が分かるとか、皮肉なもんだけどな」
「神も魔も、関係ないのでしょう? 辰馬さまは」
「あー、うん。神も魔も人も、みんな平等で傷つけ合わない世界が来れば最高だな。けど、それが無理で神や魔がこの世界を、人間の舞台を台無しにするってんなら……おれが魔王としての力のすべてをかけて神魔をたたきつぶす」
それは蒼月館の卒業論文に辰馬が書いた理想論。あらゆる存在がただあるがままに存在できて互いに尊重し合える世界。神への信仰ではなく自助努力によってひとが自らを救済する、そうあればよいという思想は今日の我々の世界にある仏教思想に通ずるものがある。奇態なことだがアルティミシア大陸にこれまで仏教思想に似た思想はなかった。なぜなら仏教は神が実在する世界には根付きにくい思想だからだ。現実に神がいるのでは自助努力より祈って救って貰う方が100倍速く、万倍簡単。そのうえで、仏教思想的なものは「持てるもの」からは生まれにくい。魔術的な力を持たないところから自分を人々を救おうとする故にあの思想は尊く、新羅辰馬は持てるものであるために仏教開祖ではありえないのだが、後世クールマ・ガルパのナガル・ジーナが始めた新思想・慈教(この世界の仏教)開闢の恩人といわれることになる。神魔排撃の英雄、九大国統一の皇帝、そして精神世界の王。「三重に偉大な赤帝」と呼ばれる所以であった。
それから数日。ついにヴァペンハイムの城壁を、辰馬たちは指呼の間に捕らえる。
ちょうどそこでは神軍と魔軍の会戦が行われていた。神軍は八万、魔軍は一五万。総力戦ではない前哨戦というところで地形は平地、しかし混元聖母にはあまたの宝貝があり、ことに坤地幡は地形を自在に変えていくらでも自軍優位の形勢を作りうる。2倍の兵力差があっても突然左右に隘路を作られ、その上に崖を生み出され、その崖上からつぎつぎと大岩を落とされて魔軍の兵は次々と粉砕される。圧倒的に神軍優位、かと見えた。
「下がりなさい」
臈長けた声。それまで整然さに欠けた魔軍が、彼女の言葉の前に一糸乱れぬ後退を見せる。長弓を携えたデックアールヴ(黒エルフ)の少女、そしてもう一人、全身を灰色のローブに包んだ性別不詳の存在を従えた、燃える髪の美女こそ。
魔王クズノハ。
「ずいぶんと、煩わせてくれること。でもこれでおしまい、その玩具は没収よ」
クズノハはそう言って虚空に火をともす。それはボッ、と一瞬なにかを焼き尽くす様に燃え上がり、そして消える。
いったん進み出たクズノハは指揮をデックアールヴの少女オリエともう一人の謎の人影に任せ、自らはヴァペンハイムへ引き下がる。神軍はそれを追撃、しかしここで魔軍の反撃が凄絶を極める。混元聖母は地形を操作して状況を優位に……できなかった。なぜならば坤地幡は謎の炎に灼かれて使用不能になっている。平地で兵力差2倍、そして有能かつ勇猛な2人の指揮官に率いられた魔軍は、それまでの緩慢で連携のとれない集団ではなかった。今やかれらは洗練された軍隊であり狩人であり、数に劣る神軍の天使や神使を紙を裂くように引き裂いていく。
「これは……いったん退いて立て直す……」
引き際を見誤る混元聖母ではない。戦線に利なしと見るやすかさず撤退を全軍に令した。しかし混戦に持ち込まれた状況、しかも天使は単純な戦力としては優秀だが知性という点において到底秀逸とは言えず、それを補うべく人間に寄生させた天使、すなわち神使も、ベースは平凡な町娘たちでしかなく戦術的才能などない。大いに崩れ立った。
「………………」
聖母は八万の収拾を諦めた。ぐすぐずして自分が害されては元も子もなくなると判断した彼女は単身、戦場からの離脱をはかるが、その右肩にどこから飛んできたのかまったく分からない矢の一撃が突き刺さる!
「く……!? 次元を越える矢……オリエ……」
魔軍の五将星、オリエにとっていっさいの距離は障害にならない。混元聖母は敗北の痛みと屈辱にほぞをかみながら、飛んでくる二の矢を障壁で防ぎかろうじて落ち延びた。
………………
戦闘の推移を見守っていた辰馬たちは、驚きの結果に息を呑む。これまで地形を自在に操って敵に一切の仕事をさせなかった混元聖母の神軍が、まさかの敗北。その要因としては坤地幡を破ってのけたことがなにより大きいが、神話級の【遺産(桃華帝国的な言い方をすると、宝貝)】である坤地幡をあんなにも易々と破壊してのけたクズノハの魔力がすさまじい。そしてオリエともうひとりの指揮官の統率力。
「あの灰色の身ごなし、どっかで見た覚えがあんだけどな……?」
辰馬はそう言うも、明確に誰かは分からない。
「んー……」
首をひねっていると、突然横合いから袖を引かれた。
「んん? って、誰!?」
「わ、わたしもびっくりです。ここまで完全に気配を消して……」
「シァーギ、タァーマさま、ですね?」
相手は人間の少女だった。使う言葉はアルティミシア共通語ではなく、ヴェスローディア公用語。ふだん辰馬たちは共通語で会話しているため大陸のどこに行っても意思の疎通に不便を感じることはまずないのだが、この少女は共通語の会話ができないらしい。身なりからしてあまり上等でなく、教育も受けることが出来ていないのだろうと知れた。
「へ? あぁ、シラギ、タツマな。うん」
一瞬、誰のことかわからなかった辰馬だがすぐに理解すると首肯する。相手の少女はあきらかにホッとした顔になると、言葉を続けた。
「クズノハ様がお待ちです、こちらへ……」
言うや身を翻し、ついてこいとばかり歩き出す。これは罠か? と辰馬と美咲は顔を見合わせるも、どちらにせよここで誘いを断る選択肢はない。ならばどうせなら誘いに乗って上手い具合やってのけようと、二人は少女のあとを追って歩きだした。
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