第48話 神と魔と人の相克-1
魔王の5将星、デックアールヴ、オリエの一矢で負傷した混元聖母だが、いったん戦線を離脱した彼女はおとなしく療養に専念するわけがなかった。坤地幡を燃やされたことで圧倒的優位を崩されたが、この状況で防御に徹してはじり貧になると知る彼女としては、攻勢を継続せざるを得ない。本来兵法の常道としては兵力に最も劣る混元聖母の陣営こそ人間か魔族のどちらかと盟を結んでの各個撃破を取るべきなのだが、そこは彼女のプライドが許さない。いちど魔王クズノハの膝下に身を置いたことからしてがかなりの屈辱であり、二度同じ思いを味わうつもりはなかった。
といってすぐさま魔軍に攻めかかっても今の、優秀な魔将に率いられた意気軒昂な魔族たちには敵し得ない。となるといきおい、対すべきは人間の連合軍ということになる。
混元聖母は油断なく戦場を選定し、25万でゴーラム・ウェール(緑の丘)の丘陵の高地に布陣。対する反神魔連合軍の総力は40万だが、高低差による地形効果があるうえ、霊力の低い一般兵ではまず天使や神使を倒せない。聖母にとって敗北の目はなかった。
………………
「というわけで、拙者たちの出番でゴザルな」
「……なんでわたしの隣にいるのが、旦那様ではないのかしら……」
「まあまあ。出水さんもご立派なお力を持つようになられましたし……どうです、今夜わたしと……」
「い、嫌でゴザル! 拙者はシエルたん一筋でゴザルよぉ~ッ!!」
アトロファにズボンの前をなでられて、出水は恐怖にすくみ上がる。ともかくも、出水秀規、女神サティア、聖女アトロファの三人は前線に派遣されていた。彼らに期待されるのは部隊の指揮官としての能力ではなく、大規模魔術による敵の一斉薙ぎ払い役。ここにラース・イラ騎士団副団長セタンタ・フィアンと極大火力の持ち主三人を投入したことで総大将エーリカ・リスティ・ヴェスローディアの本気が知れる。
エーリカは軍を中翼、右翼、左翼に分けた。中翼にエーリカと、教皇ルクレツィア、近衛としてインガエウ・フリスキャルヴ、そして実戦指揮官として神聖騎士団長スキピオ。右翼にはラース・イラ国主エレオノーラと、その副騎士団長セタンタ・フィアン。左翼はクーベルシュルト国王フィリップと、将として王妃ジャンヌ、軍師トクロノフ。遊撃にはヘスティア皇帝オスマンとトルゴウシュテの小領主シュテファン・バートリ、後詰予備兵として北嶺院文のアカツキ軍5万。
戦前、教皇ルクレツィアの訓示。
「相手が天の眷属であるといっても、臆することはありません! われわれの前に立ちはだかる神は真実の神ではないのですから! 正しき信仰の名のもとに、狂神を打ち払います!」
神力が豊かなわけではない彼女だが、むしろそれゆえに。彼女の言葉は持たざる兵士たちの心を奮い立たせ、実力以上を引き出させる。兵士たちの士気は十二分だった。
エーリカは連合軍を雁行(斜陣)、東側に偏らせて陣する。
これはセタンタの案で、彼は必勝を期していた。いまラース・イラが大陸に誇る最強騎士ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンが不在なのはただの偶然や行き違いではなく、本国における宰相ハジル派と騎士団長ガラハド派の相克がある。ガラハドの威勢を削ぎたい宰相派は先だっての東方三国同盟でガラハドが混元聖母を取り逃がしたことをあげてガラハドを拘留、審問にかけた。副団長でありガラハドにとっては師匠でもあるセタンタとしてはなんとしてもガラハドを救出せねばならず、そのためにここで武功を上げる必要があった。女王エレオノーラが前線に出張っているのも、そうした事情だった。
逆落としの突破力にも対応すべく、トクロノフの進言を入れて騎兵の前にワゴンブルクを並べて突撃力をそぐにつとめた。騎士たるものがワゴンブルクという民兵の戦術をあえて採用するあたり、決死の覚悟である。
にもかかわらず。
戦端が開かれるや終始優位に立つのはやはり神軍。こちらの通常武器が自分たちには通用しないと知って、天使と神使は遠慮無く猛然と突っかかってくる。しかも逆落としの勢いはワゴンブルクの防衛をも押し返し、そして本来なら混戦で足を絡め取られるはずのところ天使というふよふよ浮く軟体触手には足がない。むしろ迎え撃つこちらが同士討ちでもつれ合い、良い的になった。
「坤地幡はなくても……わたしは負けない」
混元聖母は勝利を確信して呟く。いま状況は東大外に連合、それを圧し倒す勢いで中翼に魚鱗の神軍。そして左翼、西側は開けており、そこに出水、サティア、アトロファの三人は移動する――!
「ひさしぶりに命の巫女の神髄、お目にかけましょうか……。まさか天の御使いを相手にこの力を使うことになるとは、思っていませんでしたけど」
と、まずアトロファが中陣に居座って暴れ回る天使どもの生命力を一気に吸い上げる。すさまじい消耗と虚脱で浮いていられなくなるほどに弱体する天使たち。連合の兵はすわ、と反転逆撃に移ろうとするが、セタンタは鋼の意思でそれを制する。いま中陣に飛びこむことは巻き添えで死を意味する。
「じゃ、合わせるとしますか……はぁ~、合わせる相手がこのデブじゃなくて、旦那様だったらなぁ~……」
「うっさいでゴザルよ性悪女神! 手ぇ抜いたらあとで主様に報告するでゴザルからな!」
「手なんか抜かないわよ。ていうか、あんた生意気じゃない? あたし仮にも創世女神の娘神よ?」
「知っているでゴザルよ。主様に負けて、そのあとニヌルタに土下座した情けない女神サマでござるよな」
「殺されたい?」
出水とサティアの間で、プレッシャーがぐんぐんと高まる。敵にぶちかますべきエネルギーは目の前にいる相手に向けられ……
「はいそこまで。敵はあちらですよ、出水さん、サティア様。……出水さん、和を乱す行為は、メッ♡、ですよ?」
「うひっぃう!? わ、わかっているでゴザル!」
「まあ、ひとまずはアトロファの顔を立てて上げる。でも出水、あんたあとで覚えてなさいよ。旦那様のお気に入りだからって調子に乗りすぎ」
「なんでゴザル? ニヌルタの次は拙者に土下座するでゴザルか!?」
「あんたホント殺す」
「「でもまぁ、その前に……!」」
無数に生ずる断罪の
勒した馬に跨がり、一斉に突撃を敢行するラース・イラ騎士団、ウェルス神聖騎士団、クーベルシュルト傭兵騎士団。そしてなによりヘスティア重装騎兵隊。怒涛の勢いで中翼へと襲い掛かる。
いまや戦況は逆転した。セタンタがギリギリまで敵を引きつけて釘付けにしてくれたおかげで、出水たちの火力は最大限十二分にその破壊力を発揮した。
………………
「……やって、くれる……」
混元聖母は衝撃にうめく。前線で陣頭指揮中、側面からぶつけられた神力と盈力。とっさに【混元幡】で受け流したはいいが、衝撃までは殺せずかすかなダメージを負う。
「この盈力……この前の……男……。やはり、殺しておくべきだった」
瞳に剣呑なものを乗せて呟く聖母。混戦乱戦の中でも冷静に諸事をさばいて過たない彼女だが、出水秀規が盈力に覚醒したのは計算違いだった。本来ならつよい神力を注ぎ込まれた時点で死んでいるはずであり、魔力で相殺しようとしても反発し合う力のせめぎ合いでやはり死ぬはずであり、そこから復活する可能性など万に一つより低い。盈力使いの能力者の出生率というのはそれほどに天文学的なのだ。それがまさかあの凡庸そうな少年に発現するとは。
しかしそれですらも、なお優位にあるのは神軍、混元聖母。すでに天使の優位はほとんどなく、にもかかわらず彼らが優勢であるのはひとえに聖母の卓越した……神がかっているといってもいい……指揮統率能力による。自軍が弱体化しているなら敵のもっと弱いところを突き、ほころびを作り、そのほころびを広げて解き、麻糸を解く様にして連合を崩したてていく。並大抵の指揮官であればすでに何度も軍を壊滅させているだろう、セタンタや大陸指折りの指揮官たちだからこそかろうじて残していられる。しかしそれにも限界があった。
「わたしが……!」
「陛下、なりません」
セタンタの横、神王剣クラウ・ソラスを抜こうとするのは女王エレオノーラ。クラウ・ソラスの威力はセタンタのブリューナクやインガエウ・フリスキャルヴの王者の剣以上、威力絶大にして必中・必殺。しかし所有者の命を削る魔の武具でもあり、それがためにラース・イラの先王は若くして死んでいる。女王を慕うものとしてセタンタはクラウ・ソラスを抜かせるわけに行かなかった。
こうして神軍の優位。出水たちの魔術砲撃も、開幕で全力をぶっぱなした以上連発は出来ない。手詰まり。
この状況で。
背後から迫る大軍。
「魔軍襲らーい!!」
シンタが叫ぶ。
「味方!? 敵!? どっち!?」
「先頭に辰馬サンいる! 味方!!」
………………
少し前、王城ヴァペンハイム。
辰馬たちがローゲに敗北して遁走したあの頃はあちこち穴だらけで名城の見る影もなかったものだが、今大幅な改修工事を済ませみごとな白亜の城を築きあげている。城の東西南北にそれぞれ建てられた尖塔が見事だ。
やけにおどおどした少女の先導で、玉座の間に通される。そこには魔王クズノハ、その腹心デックアールヴのオリエ、ローブを被った謎の人物、そして魔神ローゲとその旗下なる魔竜ニーズホッグ、魔鷲フレスヴェルヴらがずらりと並ぶ。魔軍のかなりの戦力を削いだとはいえ、その中核となるメンバーはこうして無傷で健在であった。
「ようこそ、わが弟‥‥‥さて、まずは……シッ!」
一呼吸で、玉座から立ち上がり、間を詰め、そして一撃をくれる。美咲が「辰馬さま!」と間に入る暇もない。
が。
「なにすんのねーちゃんアンタ」
辰馬はその絶速の一撃を、軽くいなしてさばいてのける。
「ふふ、そうでないとね!
クズノハはさらに踏み込む。焔の陽炎をまとって分身、分身すべてに実体を持たせて、同時に複数の急所を狙う。
しかし。
「だからさ。やめろって」
実にあっさりと、当然のことのように辰馬はさばく。これにはオリエやローゲたちが驚き、息を飲んだ。クズノハも楽しそうにしているが、やはりその瞳には驚きの色が濃い。
「まさかここまで成長しているなんてね。じゃあ、これはどうかしら!? 七星罡天! 那由多無限之黒焔燐火!!」
城ごと消し飛ばさんばかりの、轟炎と炎熱。
けれど。
「だから。話聞けっての」
辰馬が煩わし気に腕を振るだけで、その猛火は焼失する。光の黒翼を発するまでもなかった。もはや明白。新羅辰馬という少年の力は、すでに魔王クズノハのそれを大きく凌駕している。おそらくは地上に並ぶものがないほどに。
「ここまでの成長……素晴らしいわ、予想以上ね」
「なんでもいーから話聞いてくれ。いま、混元聖母が‥‥‥」
「同盟でしょ? いいわよ」
「人類存亡の危機でな、だから……って、へ?」
「同盟は了承。それで、ひとつ条件というか、お願いがあるのだけど」
「? なんよ?」
トントン拍子過ぎる話に、少し身構える辰馬。次に続くクズノハの言葉は、辰馬を驚かせるものだった。
「わたしを殺してくれないかしら?」
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