第49話 神と魔と人の相克-2
「……たまらんよなぁ……」
「クズノハ先生のお言葉ですか?」
魔軍数十万、その陣頭。辰馬と美咲は寡言を交わし合う。
「わたしを殺してくれるかしら?」
魔王クズノハはそう言った。もとより、魔族としての先の長い長い人生を生きるつもりはなかったらしい。それでも、辰馬が自分を満足させられないようなら人類を滅して魔王として君臨するつもりだったが、辰馬が見込み通りに自分を凌駕したのであれば最初から位を譲る……いうなれば、禅譲して身を隠す用意があったらしい。
覇城瀬名を通じて辰馬に接触したときは、確かに辰馬を殺そうとした。それは辰馬の中に実父オディナ・ウシュナハの影をみたからで、父の亡霊、その束縛から逃れたいがための逃避であったが、すぐにその考えは消える。ローカ・パーラのユエガ打倒以降はつねに辰馬の成長を促す方向で立ち回り、一度などは絶命寸前の辰馬を救い蘇生させて「無窮の盈月」として完成させた。そして、それらすべては世界に害為すしかない自分を、最愛の弟に屠って欲しいという、その念に結実する。
この神魔人みつどもえの大戦が終わったら、辰馬の手で殺して欲しいとクズノハは言う。「できないというなら人類を滅ぼすわよ? わたしは魔王なのだから」そう言われては辰馬にぐうの音も出ない。
「やるしかねーのか……っくあぁ~……!」
可憐な美貌を苦悩に歪め、銀髪をぐしゃぐしゃにかきむしる辰馬。平和のために負わされる十字架はあまりにも重く、そして目を背けることを許されない。辰馬自身の意思で明確に殺さねばならない以上、戦場での不特定多数を殺したときのように「あれは本意では無かった」という言い訳に逃げることも出来ない。
「大丈夫です」
美咲が馬を寄せた。卓越した馬術。女神ロイアの行で見せた技量は健在であり、辰馬の馬と併走しながらその肘にそっと手を置く。
「つごもり……?」
「辰馬さまは一人ではありません。負う十字架が重たくて耐えきれないのなら、みんながいます。瑞穂さま、牢城先生、エーリカ女王、磐座さん、サティア様、それに、微力ながらわたしも……。ひとりで世界のすべてを背負い込む必要はないんです」
「……、ん。あんがと」
「そこのカップル、イチャイチャしてる場合じゃないでしょう? 敵が見えてきたわよ!」
奥の本陣からニーズホッグを騎竜に一騎駆けしてきたクズノハが、空から怒鳴る。手にするのは巨大な三叉の大槍「ピナーカ」。かつて旧世界の破壊神が手にしていたとされる塵滅の神槍であり、本来魔族には手にすることが出来ない代物だがクズノハは魔に落とされたとはいえ創世神でもある魔王と神獣妖狐のハーフ、神力の焔に灼かれることもなくこれを軽々と扱う。この一事を持ってして彼女もまた、以前は発現させることが敵わなかった盈力の覚醒に至っていることがわかる。
ピナーカを、頭上で一閃。天がたちまち曇天に包まれ、豪雨が降りしきり、雷鳴が轟く。神軍の前衛数千の天使がたちまち黒焦げになって消滅、それを合図に魔軍の精鋭たちが突撃をかける――!
兵勢はまぎれもなく魔軍にあった。最精鋭たるアスラ(阿修羅)とラクシャーサ(羅刹)の部隊は神に敵する、神殺しの種族。きわめて旺盛な魔力を頼りに、天使・神使の神力障壁などものともせず、錐のように吶喊し、切り裂き突き刺し、あるいは焼き、凍らせ、感電させて屠っていく。本能だけの存在である天使が本能故に怯えすくんで動きを止めるほどで、これまで一方的に狩られる側だった彼らの反撃、その殺戮は酸鼻を極めた。
しかし。
圧しまくられる前衛にもかかわらず、神軍総帥・混元聖母の本陣は揺るぎもしていない。天使を受肉させた神使の少女たちに囲まれ、聖母は悠々と令を下す。
「……右翼下げて。敵を誘引、……隘路に引きつけて岩を落として。分断後は18分隊と24分隊で挟撃」
「……左翼展開、おおきく広げて敵を飲み込んで。……包囲、しかるのち殲滅」
「……中翼左右わかれ。空隙に乗り込んだ敵に烏銃、砲兵、術士隊一斉射撃」
「第4、第7分隊、迂回して敵側翼に突撃、窪地に押し込んで。反撃してきたところを、第10、第11分隊前進して挟撃」
矢継ぎ早の軍令。特に慌てた風もなく、あくまでも淡々と。しかし神軍が普通の軍隊と違うのは天使・神使が聖母の脳波から発した命令を完璧に理解して遂行できるという、指揮官と兵員レベルでの齟齬のなさ。聖母が「こうする」といったことは神軍のすべてが間違いなく達成してのける。36の分隊に分かった25万を手足のごとく操り、その操作レベル・精度の高さによって兵力に勝る対神魔連合・魔軍の合同軍を圧倒する。
「辰馬! なにやってるの! こんなところであんな女にやられてる場合ではないでしょう!? ここであなたが本気を出さないと、人類は滅びるわよ!?」
殺しても殺しても、死を恐れず群がる天使たちに辟易し、クズノハが叫ぶ。この期に及んでまだ殺すのが嫌だと適当に敵をあしらっていた辰馬も、事ここに至って覚悟を決める。
「わかった……やるか! 我が名はオディナ・ウシュナハ! 銀の魔王の継嗣なり! ……今日のおれは容赦なし、本気でいかせて貰う!」
咆吼とともに、魔王の力をまとう。背に発す金銀黒白、巨大なる双翼。天が謳う天が割れる。地が嘶き風がうねる。完全に真なる魔王・創世の神の片割れとして完成した新羅辰馬が、そこにあった。
「輪転聖王・梵!」
天楼一閃。迸るは金銀黒白の凄絶なる稲妻。いままでの辰馬が意識的にか無意識的にか抑えてきた威力を完全解放した盈力の波動はあまりにも桁外れだった。25万、36部署に展開している敵軍のほぼ過半を飲み込み、さらにその過半は一撃で絶命……塵一つ残さず蒸発させる。絶命は免れても戦闘力を奪われた相手の数は、一撃で10万近くにおよぶ。
「す……すごい……辰馬さま……」
「……ははっ、さすがよ辰馬、それでこそ私の弟! さぁ、魔軍の精鋭! 勝機逸すべからず!!」
「はっ!! 我が名はローゲ、魔神ローゲ! この名を聞いて命が惜しくない輩は掛かってこい!」
「猪。突出されると邪魔なのだけど。……まぁ、私の矢は決して外さないけど」
ここまで力を温存していた焔の魔神ローゲは魔剣レーヴァティンを手に突撃、その後方からデックアールヴの弓手オリエが次元を越える矢を嵐のごとく放つ。軍隊の有機的運用は混元聖母のお家芸だが、彼女にはない個人戦の勇者がこちらにはいる。
「……さて、今みてーな一撃はさすがに連発できないけど……そんじゃ晦日、行くぞ。みんなと合流する!」
「は、はいっ!!」
………………
「……っ!! まさか……一撃で……」
混元聖母は力を失った旗を手に、一瞬呆然とする。新羅辰馬の一撃、真なる輪転の盈月を止めたのは「混元幡」。ありとあらゆるエネルギーを混沌の虚無に変換して無力化する秘蔵の宝貝だが、辰馬の一撃を止めたことで限界を超え、ただの布きれと化した。聖母4幡といわれる4枚の宝幡のうち、これで混元幡と坤地幡のふたつが無力化、残るはふたつ。うちひとつ昏冥幡は天に影を作りその影の下の相手をまとめて昏睡させるもの、最後の一人魂還幡は失われた魂を蘇らせるもの。
「こちらも……出し惜しみはしない……」
聖母は衝撃に痺れる指を奮わせて、昏冥幡と魂還幡をふるう。それは敵には死をもたらし、味方を復活させる力。女神の反撃ののろし。
………………
「たのもー! 帰った!」
「たつま遅い! けどよくやった! ヴェスローディア金十字章をあげるわ!」
「なにそれ、いらん……、つーかまだ終わってねーぞ、総員奮起! 成否はこの一戦にあり! ……指揮は今まで通り任せるとして、おれは敵中に突っ込んで混元聖母の首を取ってくる! しず姉、瑞穂、ついてこい!」
「ほいほ~い♡ やっぱここぞでたぁくんが頼るのはおねーちゃんだよねぇ~♪」
「ろ、牢城先生だけが頼りにされたわけじゃないですよ?」
「ちょっと、待ちなさいよ! あたしも行くってば!」
「なに言ってんだエーリカ、お前は全軍の指揮があるだろ?」
「ここであたしひとりのけ者とかありえねーっての! 絶対ついて行くからね!!」
「じゃあ……」
「ならばここは余に任せて貰おうか……それにしても、貴公のまわりには美しい華が集まるものだな」
「皇帝……任せて大丈夫か?」
「誰に向かって言っている。少なくとも、この連合の中で貴公を除いては、余が随一の指揮統率力を持っていると思うがな」
「そーかもな。んじゃ、任せた! 行くぞ!」
「辰馬サン、オレも行くっスよ!」
「当然、俺も行きます!」
「拙者の忍者盈術も必要でござろう!?」
「旦那様、サティアのこともお忘れなく」
「辰馬さま、わたしも一緒に」
シンタ、大輔、出水、サティア、美咲も次々に随行を進言する。現在軍総参謀の穣、実戦指揮中の文を除けばいつもの新羅辰馬一党が勢揃いすることになった。
「んじゃ、行ってくる!」
「うむ。……たいした衆望だ。余の覇道の一番の障害になるのは、あるいはあの少年かも知れぬな」
人気の無くなった幕舎で、ヘスティア皇帝オスマンは独りごちる。その予言は正しく、「第二次魔神戦役」後の9大国の総力戦「大陸唱覇戦争」における最終勝利者決定戦は赤帝・新羅辰馬と雪王・オスマンの間で争われることになる。
………………
辰馬たちが神軍敵中に滑り込んだそのとき、昏冥幡が魔軍と対神魔連合の前衛を失神させ、同時に魂還幡が神軍の使者を蘇らせた。辰馬の真なる輪転の盈月で存在そのものを消失させられたものはさすがに復活できないが、それでもかなりの数が蘇生する。
魔軍の前線ではローゲが昏睡させられ、ローブの人影によって回収されたがやはり崩れたつとこちらが脆い。昏冥幡の2撃目を避けてクズノハは陣を下げた。
魔族が大打撃を受けて人間が無事なわけもなく、対神魔連合の被害は当然、魔軍のそりより大きい。寸前まで優勢を信じて敵中に深入りしていたために、前衛は殲滅と言って良い損害を被ることになった。
………………
「……これは、さっさと決めんとな」
後方で友軍ピンチとなっているのを確認した辰馬は、そう言って拳の先で軽く顳顬を叩く。殺す、と決めてやったこととはいえ、やはり気分が悪く頭痛がする。這い上がってくる胃酸と血管の中にのたうつミミズを入れられたような不快感はどうしようもなかった。
それでも。
辰馬たちの侵入に気づいた天使が襲いかかる。その数数十!
「邪魔ァ!」
怒号ひとつ。それで数十匹の天使は一匹残らず、ぐずぐずの肉片となった。
「ご主人さま?」
「たぁくん……?」
「辰馬サン?」
「今日のおれは容赦なし、って決めたからな。うじうじ悩んでる場合でもねーんだ」
奥歯を噛んで、辰馬。実のところ脳が焼き切れそうなくらいにじんじん言っているが、泣き言は今ではない。事情を知る美咲が少し痛ましげな顔で辰馬を見遣ったが、言葉はかけない。
………………
「侵入してきた……? 望むところ、返り討ちにする」
侵入者に気づいた混元聖母は隔離世結界を展開、表界では依然軍の指揮を継続しながら、裏界では迷宮を形成して辰馬たちを迎え撃つ。
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